気ままな思いを

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綴る雑日記です 

「老年になる技術」・曽野綾子著を読んで

2015-04-18 | 読書


今日は内科診察日、早く終わりそうな予感を抱いて行きましたが、
ものの見事に外れて、家に帰ってきたのは13:45ころ。
慌てて食事の支度をして、夫と遅い昼食を済ませたのでした。
待ち疲れてしまいました・・・・・。

待ち時間の間に、曽野綾子著「老年になる技術」を読んで、一ページの
文字数が少ないページも多く、早く読み終わってしまいました。



作家の仕事の内幕を暴露すると、この本の表題も、出版社の知恵を借りて
きめられたものである。私は本の中身は気になるが、表題に関してはどうも
無頓着になってしまう。むしろ、その時々の人々が要求する健全な知的要求に
敏感な編集者たちの意見を使わせてもらう方がいいと考える。・・・と書かれていました。

*** 本の中のところどころの文章を ***

● 諦めるという解決=当てにしない、諦める、という二つの姿勢は老世代の
心理的幸福を構築する上で、実に大切なことなのではないか、と思う。

● 自分のことは自分で=もしかすると百歳まで生きてしまうなら、今のうちから
必死になって体を保たせることを仕事にすべきだ、ということだ。深酒や喫煙をやめ、
運動を怠らず、誰かの世話になればいいという甘えを捨てて、死ぬ日まで自分の
ことは何とか自分でする、という強固な目的を持つことだろう。

● 生き生きした老人でいるために=私の知人に、六十歳を機に、家中のいたるところ
十か所ほど、鏡をおいたという人がいる。それくらいの年になると、もう年だから外見は
どうでもいいや、という気になる。その気の緩みが、古めかしい服を着て、背中を曲げ、
紙がぼさぼさでもいたし方ない。という結果を招く。
しかしそれくらいの年からこそ、人間は慎ましく努力して人間であり続けなければならない。
そのためには差し当たり、姿勢を正し、紙の整え、厚化粧避けても、品のいい生き生きした
老人でいなければならない。と思ったからこそ、その人は鏡を十枚もおいたのだろう。
私はその話にいたくうたれた。別に新しい服を買わなくても、高い宝石を身につけなくても、
背を伸ばすだけでも人は五歳は若くすがすがしく見える。

● 人の最高の姿=「感謝の人」とうのは、最高の姿である。「感謝の人」の中にはあらゆる
かぐわしい要素がこめられている。謙虚さ、寛大さ、明るさ、優しさ、楽しさ、のびやかさ。
だから「感謝の人」のまわりには、また人が集まる。
「文句の人」からは自然に人が遠のくのと対照的である。


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おおいに参考にしたいと思うところもあり、年老いても自分のことは自分で、
の気持ちも大切ですし、日々努力することも人生であると思います。

お役にたてる文章がありましたら、ご参考になさってください。。。。。