土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

中宮寺尼門跡。謎の微笑は、はたして誰か?

2018年04月03日 | 奈良の古寺巡り





(2018.04.01訪問) 


寺伝では如意輪観音といい、史学的には弥勒菩薩と云われる中宮寺の謎の微笑み仏。今日の大和路号はこの謎の微笑みに会いに取り
敢えず法隆寺を目指しています。我が家からはR163を東に、そしてR168を南下、竜田川沿いはもうすでに桜吹雪が舞っています。
法隆寺は相変わらずの賑わい、しかし中門は今覆いテントで隠され修復工事中。にもかかわらずドンドン人波は西院伽藍へ吸い込ま
れて行ってます。その法隆寺はパスして中宮寺への細道を行きますとこちらはだんだん人影は減ってゆくのです。





            ▼そこが受付ですよと指案内。
             法隆寺東院伽藍の舎利殿北側に中宮寺の山門があります。







            [ 中宮寺 ]
            ●山号 法興山(ほうこうざん)
            ●寺号 中宮寺 (ちゅうぐうじ)
            ●開基 伝聖徳太子(しょうとくたいし)
            ●開創 7世紀前半
            ●宗派 聖徳宗
            ●本尊 如意輪観音菩薩半跏像
            ▲拝観料 600円 朱印300円 駐車料500円
            ▲時間 10/1~3/20: 9時~16時(受付~15時45分)
                3/21~9/30: 9時~16時30分(受付~16時15分
            ▲西国三十三カ所観音霊場第二十番札所
            ▲奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺北1-1-2 Tel.0745-75-2106
            ▲http://www.chuguji.jp

            ▲JR「法隆寺駅」から法隆寺門前行きバス終点下車徒歩8分
             近鉄「筒井駅」から王寺駅行きバス「中宮寺前」下車徒歩5分





▼門前の広場。写真右下影が法隆寺舎利殿の影です。







中宮寺縁起 (中宮寺HPから抄出)
中宮寺は聖徳太子の御母穴穂部間人皇后の御願によって、西の法隆寺と対照的な位置に創建された寺であります。その旧地を発掘調
査しましたところ、南に塔、北に金堂を配した四天王寺式配置伽藍であったことが確認され、それは丁度法隆寺旧地若草伽藍が四天
王式であるのに応ずるものといえましょう。その出土瓦から、法隆寺は僧寺、中宮寺は尼寺として初めから計画されたものと思われ
ます。国宝菩薩半跏像、寺伝では如意輪観音像は金堂の本尊であり、天寿国曼荼羅は、その講堂本尊薬師如来像の背面に奉安された
ものと伝えております。依然大和三門跡尼寺の随一としてその伝統を伝えております。飛鳥時代このかた千三百年の長きに亘り、尼
寺の法燈を続けておるのは日本広しと言えども実に中宮寺だけであります。





▼山門。







▼ココからは入山出来ません。







▼山門扁額、山号法興山と記されています。不思議なことにこの扁額は内向けに掛けられているんです。







▼表御殿の大玄関。







▼表御殿。女性の皇族宮家をお迎えするために造営された住居です。
 木造書院造平屋建、入母屋造、本瓦葺。現在の建物は江戸時代後期の建築です。







▼お寺が植栽で迷った時、困った時は蘇鉄が一番と聞いたことがあります。ココはどうか知りませんが。







            ▼ユニーク灯籠。







▼でわでわ国宝仏に会いに行きましょう。左の建物が本堂です。







▼参道脇には山吹と桜の競演。







▼これが本堂。昭和43年5月再建。堂内に飛鳥時代造像の本尊菩薩半跏像が安置されています。







▼幾何的文様の空堀と山吹に囲まれた土手。







▼本堂正面。堂々とした本堂ですが、尼寺のお堂としてはいささか違和感が。







            ▼遠慮がちな扁額。







▼本堂内陣の須弥壇。中央が超有名、皆様よくご存知の本尊菩薩半跏像。
 堂内撮影は不可のため、堂外からロングで撮りましたがピンがダメですネ。







            ▼ずいぶん以前に描いたペン画本尊です。







            ▼正真正銘の本尊(国宝)。
             像高87.9cm、総高132cm、楠寄木造り、鍍金、仏師不祥、造像年不祥(7世紀後半か)。



            (写真はネットからもらってきました)

中宮寺の熱い想い。(中宮寺HPから抄出)
本尊は、飛鳥時代の彫刻の最高傑作であると同時に、わが国美術史上、欠かすことの出来ない地位を占める作品であります。顔の優
しさを評して、数少い「古典的微笑(アルカイックスマイル)」の典型として高く評価され、エジプトのスフィンクス、ヴィンチのモナ
リザと並んで「世界の三つの微笑像」とも呼ばれております。半跏の姿勢で指先きをほのかに頬に触れんばかりの優美な造形は、人
間の救いをいかにせんと思惟されるにふさわしい清純な気品をたたえています。伝統千三百余年の中宮寺のこの像は、永遠に私たち
を見守ってくださるでしょう。





▼本堂。







▼ご朱印。







時代を超えた不朽の名作は相変わらず深い瞑想の最中 (さなかと読んでください)。この表情が世界三大アルカイックスマイルと呼ば
れる微笑みの極致と云われて久しいですが、ボクなどは全体造形の素晴らしさの方に想いはゆきます。思索の一瞬を捉えた右手の表
情や、右足を組み裳掛けの流れが幾重にも重なり落ち、左足の指先が上に反り気味なところなど静の中に一種の動きのリズムが感じ
られ、造形のバランスなど最高の作ではないでしょうか。この像が彩色され完成しお披露目した当時の衆生の評価や驚きはどんな感
じだったのか非常に興味があります。コレだけの像を彫り上げる仏師の力量は並ではないでしょう。謎の微笑みと同時に仏師も謎、
いつ造られたかも謎、謎だらけのこの菩薩、せめてこの方、如意輪さんか弥勒さんかさぁどちら、仏師に聞きたいですネ。
中宮寺オシマイ。





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長谷寺、像と画、二躰の本尊がお目見え。

2018年03月06日 | 奈良の古寺巡り





(2018.03.03訪問) 


新大和路号は南阪奈道から165号線を隠国初瀬の地、長谷寺を目指して例によりチンタ〜ラ走っております。
今、長谷寺で日本最大の掛け軸がご開帳されているんです。室町時代に罹災した本尊十一面観世音菩薩立像を復興修造するため設計
図として作られたと伝わる原寸大の掛け軸のご開帳です。聞いて驚き、見てビックリ! なんと軸長16m余りの大きさなんです。軸の
体裁なので軸なんでしょうが、余りにも大きくどんな使い方をしたのか、大いに興味がそそられます。



            ▼大観音大画軸大開帳ポスター。今日の長谷寺拝観は、コレがメイン。







            [ 長谷寺 ]
            ●山号 豊山 (ぶさん)
            ●院号 神楽院 (かぐらいん)
            ●寺号 長谷寺 (はせでら)
            ●勅願 聖武天皇 (しょうむてんのう)
            ●開基 徳道上人 (とくどうしょうにん)
            ●開創 伝 神亀四年(727年)
            ●宗派 新義真言宗豊山派総本山
            ●本尊 十一面観世音菩薩立像 (重文)
            ▲拝観料 拝観料 500円 大講堂特別拝観500円 朱印300 駐車料500円
            ▲拝観時間 9:00~17:00 (シーズンにより変動があります。ご注意!)
            ▲西国三十三カ所観音霊場第八番札所
            ▲http://www.hasedera.or.jp/
            ▲奈良県桜井市初瀬731-1 TEL.0744-47-7001
            ▲近鉄大阪線「長谷寺駅」を下車、徒歩15分
             西名阪自動車道「天理IC] 国道169号線を桜井市内で国道165号線を東進、初瀬西の信号を左折し門前町へ。
             南阪奈道路を突きっきり、橿原市縄手町を左折、スグの国道165号線を東進、初瀬西の信号を左折し門前町へ。





            ▼参道前の寺号石碑。







長谷寺縁起 (長谷寺HPから抄出)
朱鳥元年(686年)道明上人は、天武天皇の銅板法華説相図を西の岡に安置、神亀四年(727年)徳道上人は、聖武天皇の勅を奉じて、衆
生のために東の岡に近江高島から流れ出でた霊木を使い、十一面観世音菩薩をお造りになられました。徳道上人は観音信仰にあつく、
西国三十三所観音霊場巡拝の開祖となられた大徳であり、当山は三十三所の根本霊場と呼ばれてきました。現在の長谷寺は、真言宗
豊山派の総本山として、西国三十三観音霊場第八番札所として、 多くの人々の信仰をあつめています。





▼参道。







▼仁王門。







▼仁王門扁額。







▼仁王門。







▼登廊 (のぼりろう)。108間、399段、上中下の三廊に分かれてる。長歴3年 (1039年)建造。







▼下登楼から中登楼へ。







▼399段上りきるとそこに鐘楼。







▼下から梵鐘を見ます。







▼鐘楼横に本堂、コレは側面です。







▼とてつもなく大きい本堂扁額。舞台側に掲げられています。







▼本堂礼堂定番の床緑は時期早尚、あとひと月お待ちを。







▼奥に本尊十一面観世音菩薩立像 (重文) が金網越し僅かに見えます。像高10.18m、木造、天文7年(1538年)再興。
 通常の十一面観音像と異なり、右手に数珠と地蔵菩薩が持つ錫杖を持ち、左手に通常の十一面観音像と同じ水瓶を持っている姿で
 す。錫杖を持った十一面観音は「長谷寺式十一面観音」と呼ばれています。







▼奉納額がコレでもかと、とにかくイッパイ。







▼大舞台。







▼そよぐ五色幕。







            ▼舞台から五重塔遠望。







▼舞台から本坊遠望。今日目指す開帳会場はこの本坊で。







▼本堂 (国宝)。桁行9間、梁間5間、正面入母屋造本瓦葺。
 正堂(内陣)と礼堂(外陣)とで構成された非常に複雑な建築法を用いている建物です。







▼開山堂。方3間、宝形造、本瓦葺。







▼開山堂内陣。長谷寺開山徳道上人をお祀りしています。







▼弘法大師御影堂。方5間、宝形造、銅板葺、1間向拝付。宗祖弘法大師をお祀りしています。







▼本長谷寺。桁裄3間、梁間3間、入母屋造、本瓦葺、1間向拝付。
 天武天皇勅願で道明上人がここに精舎を造営したことから、今の本堂に対し本長谷寺と呼んでいる。朱鳥元年 (686年)道明上人
 は天武天皇の御病気平癒のため「銅板法華説相図」を鋳造、本尊としてお祀りされた。







▼本長谷寺内陣。正面に本尊銅板法華説相図が祀られています。







▼ 銅板法華説相図。







▼一切経蔵。方3間、宝形造、本瓦葺。残念ながら内部は窺うことは出来ません。







▼一切経蔵扁額。







            ▼五重塔。塔高 31.39m、桧皮葺、昭和29年( 1954年)建立。
             塔身の丹色と相輪の金色、檜皮葺屋根の褐色は、周辺によくマッチしています。







▼2層目の高欄のグリーンは補色の美。







            ▼五重塔。







            ▼相輪。







            ▼五重塔。







            ▼相輪トップ。水煙デザインがよく判りますネ。







            ▼五重塔。







▼五重塔から少し行くと納骨堂が建ち、ズンズン進むと道は奥の院へと続きます。







奥の院です。奥の院は祖師堂を正堂、陀羅尼堂を礼堂、合わせ菩提院と称しています。

▼興教大師祖師堂。方3間、宝形造、本瓦葺。両脇は格子の蔀戸。







▼祖師堂扁額。







▼祖師堂前面。







▼祖師堂内陣須弥壇。中央に立派なお厨子が置かれ中に覚鑁さんが祀られているのでしょうか。







▼祖師堂。







▼陀羅尼堂。







▼陀羅尼堂扁額。







さて今日の本番、本坊へ向かいます。

▼本坊山門。







▼中心伽藍から少し離れたところ、本坊だけでも一寺院の風格。







▼本坊玄関。本坊は根本道場である大講堂や書院などで構成されています。







▼この軸が長谷寺観音大画軸。
 明応4年 (1495年)に罹災した本尊十一面観世音菩薩立像を復興修造するため設計図として作られたと伝えられ、本尊十一面観世
 音菩薩立像とほぼ原寸大に描かれているそうです。
 この写真では大きさが判りませんよネ。







▼ならばと大講堂に斜めに寝かして開帳展示されています。大きいでしょう、大講堂でも見え方はこれが精一杯。
 高さ1646.6cm、横幅622.6cm、重量125.5kg、日本最大の掛軸。







▼上半身の部分。







▼本坊仏間の本尊阿弥陀如来坐像。







            ▼脇壇の宗祖興教大師覚鑁上人像。







▼悠然とそよぐ吹き流しを仰ぎながら今日の長谷寺予定終了。







▼ご朱印です。







聞きしに勝る大きな画軸でした。コレだけの長尺軸を懸けて眺められる堂宇があったのかどうか疑問が残ります。罹災した本尊復興
修造のための設計図とは言え、巻いて保管だけでは余りにも勿体ないし、ましてや衆生に常時公開してこその本尊軸。余りの大きさ
に疑問も大いに膨らむ大画軸でした。皆様も一度ご覧になってはいかが、お値打ちですヨ。





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戒長寺、山寺の冬、お葉つきイチョウも大きな枯れ木。

2018年02月15日 | 奈良の古寺巡り





(2018.02.11訪問) 


佛隆寺からもと来た道R369号を戻り、中途右折して戒場山の山懐を目指します。戒長寺は佛隆寺と同様今は全く何もない冬の山寺、
縁起にあるような「平安後期には相当な寺観を呈し、戒場薬師と呼ばれ戒律道場として栄えた」と云うような印象今は全くなくただ
一古刹、山中にあると云っていいような山寺です。


[ 戒長寺 ]
●山号 戒場山 (かいばさん)
●寺号 戒長寺 (かいちょうじ)
●宗派 真言宗御室派 (しんごんしゅうおむろは)
●勅願 伝 用明天皇 (ようめいてんのう)
●開基 伝 聖徳太子 (しょうとくたいし)
●本尊 薬師如来坐像
▲拝観料 本堂拝観要予約 朱印不祥
▲奈良県宇陀市榛原戒場386 Tel.0745-82-1301
▲近鉄大阪線「榛原駅」から奈良交通バス針IC行で「玉立」下車、徒歩40分
 名阪国道「針IC」から、国道369号線、国道165号線で山辺三より市道を利用。





▼チョット躊躇しましたよ、この石段行くのを。







戒長寺縁起
寺伝では用明天皇の勅願により聖徳太子が建立。その後空海が伽藍を整えるとあるが、由緒は明らかでないが、仏像や梵鐘から平安
後期には相当な寺観を呈していたと思われる。戒場山のすそ野にある静かな山寺。薬師如来座像を本尊とし、俗に戒場薬師と呼ばれ
る。藤原時代には地方の戒律道場として栄えた。9体の藤原仏を伝来し、わが国唯一の十二神将を刻んだ銅鐘や、葉の縁に小さな実
がつく奈良県指定の天然記念物の「お葉つきイチョウ」が有名である。





▼まもなく山門が見えてきました。しかし相当荒れた参道ですネ。







▼石段はこんな感じ。







▼さて山門、鐘楼門のようです。







▼山門から境内、正面に本堂が見えます。







▼梵鐘 (重文) が吊られています。この梵鐘相当有名なものらしく鐘身に1面に3体ずつ十二神将像を鋳出する非常に珍しい梵鐘。
 鐘高121cm、口径66cm。正応4年 (1291年) 鋳造。







▼ウ~ン侘と寂が正面に建っているような本堂です。
 桁裄3間、梁間4間、寄棟造、桟瓦葺、元治元年(1864年)再建。ナヌ江戸後期の再建にしてはねぇ〜







▼本堂正面、扉は鍵が掛り堂内はもちろん窺うことは出来ません。







▼本堂正面の扁額。







▼本尊薬師如来坐像。薬師如来のスタンダードのようなご本尊。実物を拝することは出来ませんでしたが、写真を見る限り如来の柔
 和なお顔に造形抜群の全身像、翻波式衣文の表現など、相当な腕の仏師の作と見受けられます。



 (写真はネットからもらってきました)





▼どこから見ても荒れ感は否めません。







▼お葉つきイチョウ。凄い気根、乳と云うらしいですネ。樹高30m、幹周4. 20m。







            ▼五輪塔。







▼境内にある戒場神社の鳥居。扁額はありません。







▼本殿を囲む瑞垣。







▼戒場神社本殿。戒長寺の鎮守社、祭神は大山祇命 (オオヤマツミノミコト)







極々小さなお寺で一見荒れ放題、ジーッと見ても荒れ放題。本尊お薬師さんに会いたくて訪ねたんですが、錠前ロックで小窓もない
お堂、庫裡へ伺ったんですがお留守のようでご朱印もナシ、残念ながら早々にお暇した次第。
著名なお葉つきイチョウ今は枯木然、しかし凄い眺めで初めて見る気根は異様です。落葉期の写真を見ると境内一面の黄葉はまさし
く高級絨毯そのもの、ひっくり返って寝転んでみたいものです。

それではこれにて戒長寺おイトマ。





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佛隆寺。清楚な薄紅色と真っ赤の華やぎ、ああ!今は何も無し。

2018年02月13日 | 奈良の古寺巡り





(2018.02.11訪問) 


今週も新大和路号は我が家からR163号を走り、R369号を南へ南へ脇目も振らずまっしぐら。奈良を越え、柳生を越え、針を越え、
榛原を越えて室生山塊の山懐、佛隆寺を目指しているのであります。モチヅキ桜の巨木や参道石段両側の彼岸花で名を馳せているあ
の佛隆寺です。しかし今は全く何もない冬の山寺なんです。そう冬の山寺を巡るのがお寺巡りのコツなんですヨ。





▼R369号線沿い高井バス停に建つ佛隆寺への道標。赤いどおり勿論躊躇なく左折。







[ 佛隆寺 ]
●山号 摩尼山 (まにさん)
●寺号 佛隆寺 (ぶつりゅうじ)
●宗派 真言宗 (しんごんしゅう)
●開基 堅恵大徳 (けんねだいとく)
●開創 嘉祥3年(850年)
●本尊 十一面観音菩薩立像
▲拝観料 本堂拝観300円 朱印300円
▲拝観 9:00~16:30
▲奈良県宇陀市榛原区赤埴 Tel.0745-82-2714
▲近鉄大阪線「榛原駅」から奈良交通バス「高井」下車、徒歩20分
 国道369号線を榛原経由南に、途中高井で左折10分


▼冬枯れの山間道を進むとやがて……、


佛隆寺縁起
平安時代前期、弘法大師空海高弟の賢恵の創建と伝わり室生寺の南門として末寺の関係にある。空海が唐より持ち帰った茶を栽培し
たと伝わり大和茶発祥の地とされている。彼岸の頃には197段の石段の両側をヒガンバナが埋め尽くし花の寺として著名。聖徳太子
作と伝わる十一面観音を本尊とし本堂に安置。境内奥には開祖賢恵の廟と伝わる石室が現存し、重要文化財に指定されている。
因みに室生寺の四門とは、
●東門(田口の長楽寺)●西門(大野の大野寺)●南門(赤埴の仏隆寺)●北門(名張の丈六寺)





            ▼長~い石段が見え前に石碑が。正面に南無大師遍照金剛、
             何を血迷ったか左側を撮り忘れ、寺名は左側に刻されているんです。







▼進入禁止か。いえいえ、鹿などの防護柵でした。けど左右から進入し放題なんですけど。







▼さて石段参道です。大和三名段の一つ、197段だそうです。







▼石段右に樹齢千年と云われる名木天然記念木モチヅキ桜。樹高16m、幹周7.5m、開花は4月中旬頃。







▼満開はこんな感じ。(写真はネットからもらってきました)







▼今は緑陰もなくサッパリした石段を行ます。







▼こんな石段です。夏から秋にかけて石段左右には……、







▼赤で埋もれます。(写真はネットからもらってきました)







▼山門到着。







▼天を突く。







▼入山料200円を納め境内へ。







▼なんと立派な鐘楼。







            ▼このお寺は空海さんが唐より持ち帰った茶を栽培した大和茶発祥の地と伝わるそうです。







▼手水鉢。







▼五色幕が揺れる本堂。桁裄3間、梁間4間、入母屋造、桟瓦葺、四辺外縁に高欄が巻いてます。







▼本堂前面。入堂は両サイドの板障子から。







▼堂内内陣の設え。須弥壇中央のお厨子にご本尊がお立ちです。

                      





▼中央須弥壇。

                      





▼本尊十一面観音菩薩立像。像高約100cm、一木彫、右手に錫杖を持つ長谷寺型観音像。







▼本堂裏に求聞持堂。本尊不動明王。         













▼歴代住職の墓標。







▼開祖堅恵大徳の廟。左右7m、奥行き5m、高さ4.5mの石で組まれた宝形屋根の珍しい様式の廟です。







▼羨道奥付きに玄室が見えますが、石棺は見えません、代わりに五輪塔が置かれています。







            ▼十三重石塔。元徳二年 (1330年) の刻があります。







▼境内右に鎮守社の白岩神社、これは本殿。
 仏隆寺の鎮守として創祀されたと伝わり、祭神は須勢理姫命。岸壁の下に創祀された室生の龍穴神社と同じ水神を祀った社だと考
 えられているそうです。







▼参道口まで引き返し振り仰げば後山の優姿。







▼ご朱印です。







千年桜の花も葉もなし、彼岸花の赤の気配全くナシ、冬枯れの佛隆寺は197段の石段がいやが上にも真っ先に迫ってきます。この石
段が中々味のある石段で、自然石をそのまま組み込み所々苔むした色々な表情を愛でながらチンタラ上って行くといつの間にか山門
前へ。ヘッチャラの197段でした。

それではこれにて佛隆寺お暇。





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光明寺、噂どおりの鐘楼門。

2018年02月08日 | 奈良の古寺巡り





(2018.02.03訪問) 


世に光明寺や観音寺という名称のお寺は数多くあり、光明寺はこの宇陀近辺でも2〜3カ寺あるそうで、これから訪ねる光明寺も
その一つ。大願寺からR166線を北へ戻ること約10分、遍照山光明寺に着きます。このお寺素晴らしい山門を構えているんです。
檜皮葺きで重層楼門いわゆる上層に梵鐘を吊るす鐘楼門。「近くへ行ったら是非寄るべし」寺友Nの情報は○もあれば×もあり、
今日は○を期待して訪ねてみることにしたんです。





            ▼寺号標。







            [ 光明寺 ]
            ●山号 遍照山 (へんしょうざん)
            ●院号 朝徳院 (ちょうとくいん)
            ●寺号 光明寺 (こうみょうじ) 正称 遍照山朝徳院光明寺
            ●宗派 融通念仏宗 (ゆうずうねんぶつしゅう)
            ●開基 詳細不詳
            ●開創 詳細不詳
            ●中興 永欣上人 応永十年(1403年)
            ●再興 法俊上人 天正十四年 (1586年)
            ●本尊 阿弥陀如来坐像
            ▲拝観料 境内自由 朱印無料
            ▲奈良県宇陀市大宇陀西山121 Tel.0745-83-0254 
            ▲近鉄大阪線「榛原駅」から奈良交通大宇陀行きバスで15分、西山下車、徒歩5分
             名阪国道針ICから国道369線、370号線経由約20分





▼檜皮葺きの鐘楼門。檜皮葺山門は比較的珍しく、門構えも袖塀を備えた堂々とした構成を見せていますネ。カッコいい山門です。
 重層、一間一戸、入母屋造。江戸初期の慶安から寛文年間の建立。







光明寺縁起
創建は第五十九代宇多天皇の頃と伝えられるも詳細は不祥。その後応永十年(1403年)大念仏宗本山恵観浄善の弟子永欣が中興、
天正十四年(1586年) 法俊上人が再興。現在の本堂は、寛政五年(1793年)の建立。内陣に藤原時代の本尊阿弥陀如来立像、多聞
天立像、八幡大菩薩、大日如来、永欣和尚坐像などを安置。境内の観音堂には十一面観音像を安置しています。





▼久し振りに目にしました、莫山さん書の山号扁額。







▼斜めからのショットもカッコいい。







▼振り返ってみてもカッコいい。







▼境内は決して広くはないですが、参道以外は砂が敷きつめられ、お庭の植栽も古木が時代を添えて綺麗な境内です。







▼言い訳ですが、写真の撮りようがない本堂。寛政五年 (1793年) 建立。







▼院号が書かれた扁額。







▼本堂前面です。正面障子戸の両脇から入堂します。







▼僅か10cm足らずの隙間を埋める向拝彫刻、相当細かい彫技です。







▼本堂内陣の荘厳。







▼須弥壇奥の本尊、ほとんど拝する事が出来ませんでした。







▼内陣の扁額。ここは寺号が書かれています。







▼一般的な堂内構成。椅子席が外陣、畳が中陣、須弥壇以奥が内陣ですネ。







▼見上げると大屋根に飛翔寸前の鷺。







            ▼十三重の石塔。苔むす見栄えに歴史を感じます。
             塔高約400Cm、花崗岩、南北朝時代中期。
             初層軸部に金剛界四仏の薬研彫りされ阿弥陀が刻まれています。







            ▼こんな石灯籠も。







▼境内。







▼本堂左前の観音堂。本尊十一面観音菩薩。







▼宇陀西国一番札所のご詠歌が扁額代わりか。

             





▼宝蔵か経蔵か。

               





▼近年建て替えられた庫裡。こちらでご朱印を頂きます。







▼大玄関。







▼今ご朱印をお願い中、手前の椅子で待ってます。







▼丸く刈り込みがなされたツツジ (だと思いますが) の中に、直径30cmくらいのこれ何だと思います?
 中は氷が張って、しかも手が届きません。ハテなんでしょう? 判りません。 







▼ご朱印です。







先の大願寺に輪をかけて情報が少ないお寺でした。ご住職「当寺は観光寺院ではないのでお寺パンフは作っておりません」とのこ
とで、入山者はあまり有り難くない様子。入山料もなく、通常ご朱印は300円ですが、それすら受け取られません。と云って境内
や本堂入堂を拒否する訳でもなく「どうぞごゆっくり」の言葉まで頂戴、お言葉に甘えて境内くまなく廻ったのは云うまでもあり
ません。

これにて光明寺 オ シ マ イ





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