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土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

願成就寺、街中とは思えない山懐にあります。

2017年12月07日 | 滋賀の古寺巡り





(2017.12.02訪問)


八幡山を下り次の訪問先は願成就寺なんですが、例によりアホナビが反応しません。やむを得ず近江八幡市役所へ直行。土休に関わ
らず職員の方お二人が探して下さり「スグそこですワ」本当にスグそこでした。小幡の交差点を左折、スグ石段が見えてきます。
近江八幡市は山あり湖あり掘割ありと地形的に変化にとんだ町、願成就寺は八幡山の裾いくらか小高い地にあります。





▼冠木門を潜ります。







[ 願成就寺 ]
●山号 比牟礼山 (ひむれさん)
●寺号 願成就寺(がんじょうじゅじ)
●宗派 天台宗 (てんだいしゅう)
●開基 聖徳太子 (しょうとくたいし)
●開創 推古天皇二十五年 (617年)
●本尊 十一面観世音菩薩立像
▲拝観 境内自由 朱印300円 
▲滋賀県近江八幡市小船木町73-1 電話 0748-33-4367
▲JR東海道本線「近江八幡駅」から近江鉄道バス「小幡町資料館前」下車徒歩10分
 名神高速道路「竜王IC」から30分 





▼ザッと見上げて70~80段、なんのコレシキ石段。

        





願成就寺縁起
願成就寺の創建は推古天皇二十五年、聖徳太子が勅願により建立した48寺院の最後の寺院として開かれ、寺号は聖徳太子の誓願が
成就した事から願成就寺となったとされています。いちじ衰退しましたが、平安時代初期に延暦寺の末寺として再興、寺勢隆盛し今
があります。当初は八幡山西南にありましたが天承三年(1585年)豊臣秀次が八幡山城を築く際、鷹飼に移転、その後現在地に再び移
転しました。





▼石段上りきるとスグ境内、お堂が二棟見えます。本堂(右)と不動堂(左)







            ▼左手スグに芭蕉の句碑。 比良三上 雪さしわたせ 鷺の橋







▼鐘楼。







▼本堂。本尊十一面観世音菩薩立像(重文)。桁裄五間、入母屋造、桟瓦葺。







▼中央一間のガラガラ格子戸、一般住宅の玄関のような感じ、その左右板戸、両端が格子窓。
 イメージ的に本堂と云う印象は薄い感じのお堂です。







▼本堂扁額。







▼外陣の本尊名が書かれた大提灯。内陣は中央格子の二つの空き窓から覗きますが……、







▼本尊十一面観世音菩薩立像(重文)は秘仏で見る事は出来ません、奥のお厨子の中のようです。







▼本堂横、真っ赤に燃える紅葉。







▼本堂に並んでスグ左に不動堂。本尊五大明王が祀られています。







▼扁額はシンプルに不動明王と書かれています。







▼須弥壇は暗くてよく見る事は出来ませんが、最奥に中尊お不動さんが幽かに見えます。 
 大日大聖不動明王、降三世明王、軍茶利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王を五大明王といいます。

           





▼こちら明瞭、不動堂横に石の不動明王立像。

 





▼境内一際目をひく朱鳥居の椿稲荷明神。豊川稲荷系のお稲荷さんです。







▼お隣には打って変わって崩れかけ、ヤバいお社は牛頭天王を祀る祇園神社。







            ▼芭蕉句碑。 五月雨に 鳰の浮巣を 見に行かん
             境内に芭蕉句碑が三カ所あるそうですが、一カ所判らずじまいでした。







▼木の中地蔵堂。方三間、宝形造、桟瓦葺、一間向拝付。







▼扁額です。







▼内陣須弥壇上に本尊地蔵菩薩(重文)が祀られています。像高161cm、玉眼、寄木造、13世紀後半 







            ▼宝形屋根の宝珠。







▼最後の映えを魅せてくれました。







▼御朱印。







境内へは市道からいきなり参道石段の急坂、一瞬躊躇しますが僅かなアタックでOK。そして境内の伽藍配置が実に上手く配置されて
います。拝観者にとって無駄な歩数が省け、参道石段を上がると左回りに順番に拝観出来るグッドな配置になっている境内です。
願成就寺 オ シ マ イ





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瑞龍寺、山頂の門跡寺院の今は……、

2017年12月04日 | 滋賀の古寺巡り





(2017.12.02訪問)


迷車大和路号は近江路を颯爽と走りたいのですが、如何せん走ってるクルマが多すぎます。近江八幡市街も例外なくノロノロ運転、
やっとの事で八幡山ロープウエイの駐車場に大和路号を置きました。我が身は空中へ……。
今日訪ねた瑞龍寺は門跡寺院、八幡山の頂上にある由緒正しき日蓮宗のお寺です。あの悲運の武将と云われた豊臣秀次の生母が我が
子の菩提を弔うために創建したと伝わる少々暗いイメージが残っているお寺なのではと思ったんですが……。





            ▼八幡山頂上へ4分の遊泳。







            [ 瑞龍寺 ]
            ●寺号 瑞龍寺(ずいりゅうじ)正称 村雲御所瑞龍寺門跡
            ●宗派 日蓮宗 (にちれんしゅう) 門跡寺院
            ●勅願 後陽成天皇 (ごようぜいてんのう)
            ●開山 日秀尼 (にっしゅうに)
            ●開創 文禄五年 (1596年)
            ●本尊 一塔二尊四菩薩
            ▲拝観 300円 朱印300円 
            ▲時間 9:00~17:00 
            ▲滋賀県近江八幡市宮内町19-9 電話 0748-32-3323
            ▲JR東海道本線「近江八幡駅」から近江鉄道バス「大杉町」下車 八幡山ロープウェイで4分
             名神高速道路「竜王IC」からR477号 県道2号で八幡山ロープウエイ駅 





▼ロープウエイ山頂駅から少し石段を上ると……、

        





瑞龍寺縁起 (瑞龍寺パンフレットから抄出)
瑞龍寺は豊臣秀吉から非ぬ疑いをかけられ高野山で割腹、非業の最期を遂げた我が子豊臣秀次の生母、瑞龍寺殿日秀尼公が我が子の
菩提を弔うため文禄五年創建。後陽成天皇から村雲の地と瑞龍寺の寺号、寺禄一千石を賜り菊の御紋使用が許され勅願所となった。
昭和三十六年(1961年)、今出川堀河村雲の地から豊臣秀次が居城を築いた八幡山城趾に移築、豊臣秀次棲神の地へ復興を果たした。





▼宝形造り銅板葺きのお願い地蔵堂。道側が張り出し柱で間を通り抜けます。







            ▼本尊子安地蔵尊。珍しやお地蔵さんと七字名号軸です。







▼参道を少し上ると石垣にこんな石が使われています。信長がよくやる手法ですネ。







            ▼菊の御紋が燦然と……。







▼山門に目を転じると、こちらは質素な四脚門。村雲御所の風情を残しているような。







            ▼書の見本のような筆跡もいいですが、この書もなんとなく味がありますネ。







▼名残紅葉。







▼山門にかかる紅葉。







▼菊の御紋が入った手水鉢、これは珍しい。このお寺よほどの格とお見受けします。







            ▼開山塔。







            ▼瑞興殿。六角堂ですが、どういうお堂かよく判りません。







▼境内隅に金生稲荷社。瑞龍寺の鎮守社と思われます。







▼本堂です。境内唯一のお堂、入母屋造、唐破風の一間向拝付。どことなく宮殿のイメージを感じるお堂です。
 前引きがなく、全景を撮る事が出来ません。

            





▼前面には掲示物がゴテゴテと、上品な由緒なんてどこへ行ったんでしょう。

 





▼向拝屋根裏の曲線の美、貫に蛙股が二つ、これはなかなか見ることができません。







▼本堂内陣です。







▼須弥壇は階段状、本尊は最上段におられます。







▼本尊一塔二尊四菩薩は暗くて見えませんが、前列に日蓮大聖人のお像が光っています。
 なにを被られているんでしょうか?







▼天蓋です。







            ▼七字名号が書かれた天蓋左右の瓔珞。







▼本堂から宮御殿への渡り廊下。小さなお庭の紅葉もぼつぼつオシマイですネ。







▼見えますか小石で書かれた妙法の文字。







▼宮御殿楓の間。







▼次は雲の間。         













▼拝謁の間。住職が信者や客との謁見の間。







▼仏間。







          ▼豊臣秀次像がひっそりと置かれていました。







▼御朱印。







フロク

▼境内高所から見た近江八幡市街の景観。













下界景観の印象しか残らない瑞龍寺でした。
非業の死を遂げた関白豊臣秀次築城の八幡山城址にある瑞龍寺、悲運の人のイメージはもはや感じる事はありません。
時の移ろいとともに悲劇は薄れ、普通の山寺へと印象が変わって行くのも仕方のない事かも知れませんネ。

村雲御所瑞龍寺門跡これにて オ シ マ イ





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日吉大社、記紀の世界へ誘い。

2017年10月12日 | 滋賀の古寺巡り





(2017.10.08訪問)


坊村の明王院から坂本へ向かいます。さすが叡山のお膝元、クルマも人も溢れんばかり、次に訪ねたのは律院と云うお寺、坂本の界
隈はよく歩くのですが律院は初めての訪問、しかし訪問出来ませんでした。律院では何か大きな法要があるらしく、門外まで人で溢
れています。本堂までとてもとても行き着くことは出来ません。まして写真など論外のごとし。
よし取り敢えず腹ごしらえと日吉そばへ。そば屋へ入って鰊うどん下さ〜い。
心と腹が満たされ、さてと道路の左を見ると前方に赤い大きな鳥居が見えます。叡山鎮守の日吉大社の鳥居です。
そうだ今日は久々に神社を訪ねよう。





▼日吉大社シンボル山王鳥居。







[ 日吉大社 ]
●社号 日吉大社(ひよしたいしゃ)
●開創 崇神天皇七年 (BC91年)
●祭神
 西本宮 大己貴神 (おおなむちのかみ)
     大己貴神は出雲神話の最大のヒーロー大国主の別名。素戔嗚尊より五世の孫
 東本宮 大山咋神 (おおやまくいのかみ)
     山の地主神で農耕治水を司る神とされる。近江日枝山(比叡山)およ葛野の松尾に鎮座し、里山に鎮まる神とされる。
 宇佐宮 田心姫神 (たごりひめのかみ)
     宗像三女神の一柱。宗像大社では沖ノ島にある沖津宮に祀られている。
 牛尾宮 大山咋神荒魂 (おおやまくいのかみのあらみたま)
 白山宮 菊理姫神 (くくりひめのかみ)
     白山比咩神社の祭神。菊理媛の「くくり」は「括る」に もつながり、「和合の神」「縁結びの神」として崇敬。
 樹下宮 鴨玉依姫神 (かもたまよりひめのかみ)
     賀茂氏の祖先とも云われている神で、神武天皇の母神玉依日売命の別名ともいわれ、八咫烏の子孫とも云われる神です。
 三宮宮 鴨玉依姫神荒魂 (かもたまよりひめのかみのあらみたま)
▲滋賀県大津市坂本5-1-1 Tel.077-578-0009
▲http://hiyoshitaisha.jp
▲JR湖西線「比叡山坂本駅」下車徒歩20分
 京阪石山坂本線「坂本駅」下車徒歩10分
 名神高速道路 「京都東IC」から西大津バイパス(国道161号線)経由、滋賀里ランプで下車、T字交差点左折で道なり。
 湖西道路「坂本北IC」から交差点右折で道なり。





▼社号石柱は旧表示そのまま。官幣大社ですよ。







日吉大社縁起 (日吉大社HPから抄出)
比叡山の麓に鎮座する当大社は、およそ2100年前、崇神天皇7年に創祀された、全国3800余の日吉・日枝・山王神社の総本宮です。
平安京遷都の際には、この地が都の表鬼門(北東)にあたることから、都の魔除・災難除を祈る社として、また伝教大師が比叡山に
延暦寺を開かれてよりは天台宗の護法神として多くの方から崇敬を受け今日に至っています。





▼社号扁額。







▼大宮橋(重文)。日吉三橋の一つで三橋の中で最も豪華な造りといいます。







▼その豪華な造りを横から見ると。







▼参道少し行くと、日吉大社シンボル山王鳥居「惣合神門」鳥居上部の合掌の形から「合掌鳥居」と呼ばれるそうです。







▼西本宮に向かう参道。







▼参道途中右手に立派な拝殿が見えます。宇佐宮拝殿(重文)です。







▼宇佐宮本殿(重文)。祭神は田心姫神 (たごりひめのかみ)
 やや高い外縁に高欄を巻き、両端に阿吽の獅子が置かれています。
 桁裄五間、梁間三間、日吉造、檜皮葺、一間向拝付、慶長三年(1598年)造立。







▼西本宮楼門(重文)。大社に相応しい豪華な楼門です。
 重層楼門、三間一戸、入母屋造、檜皮葺、天正十四年(1586年)推定造立。







▼ご苦労さ〜ん、上層軒下四隅にお猿が屋根を支えています。「棟持ち猿」と云うそうです。







▼楼門を潜るとすぐ前に西本宮拝殿(重文)。







▼西本宮本殿(国宝)。祭神は大己貴神 (おおなむちのかみ)
 縁に高欄を巻き、両端に阿吽の獅子が置かれています。
 桁裄五間、梁間三間、日吉造、檜皮葺、一間向拝付、天正十四年(1586年)造立。







▼外縁両端に阿吽の獅子が置かれています。これは左側吽の獅子です。







▼西本宮本殿を中心に瑞垣が巡っています。







▼白山姫神社拝殿(重文)。四方吹き放し方三間、入母屋造、檜皮葺、慶長三年(1598年)造立。







▼白山姫神社本殿(重文)。祭神は菊理姫神 (くくりひめのかみ)
 高床式の建物で縁に高欄を巻き、両端に阿吽の獅子が置かれています。
 三間社流造、檜皮葺、一間向拝付、慶長三年(1598年)造立。







▼こぼれ陽が美しい東本宮に向かう参道です。







▼神木にもスポット。







▼東本宮楼門。







▼東本宮楼門を入ると左に樹下神社拝殿(重文)。
 四面とも格子と格子戸のユニークな造り、外縁は高欄が巻かれています。
 桁裄三間、梁間三間、入母屋造、檜皮葺、文禄四年(1595年)造立。







▼樹下神社本殿(重文)。祭神は鴨玉依姫神 (かもたまよりひめのかみ)
 外縁は高欄が巻かれています。三間社流造、檜皮葺、一間向拝付、文禄四年(1595年)造立。







▼東本宮拝殿(重文)。四方吹き放し方三間、入母屋造、檜皮葺、文禄五年(1596年)造立。
 石垣上に建てられているので、下から見ると屋根の稜線がまるで羽根の様、今にも飛び立ちそう。







▼東本宮本殿(国宝)。祭神は大山咋神 (おおやまくいのかみ) 
 桁裄五間、梁間三間、日吉造、檜皮葺、一間向拝付、文禄四年(1595年)造立。最近修復されたのか美しい建物です。







▼外縁両端に阿吽の獅子が置かれています。これは右側阿の獅子で、少々寄り目は愛嬌か。

      





▼東本宮楼門を出るとスグ二宮橋(重文)。日吉三橋の一つ、天正年間豊臣秀吉の寄進と伝わるそうです。



橋を渡り少し坂を上るとはじめの鳥居に、日吉大社これにて オ シ マ イ

さほど広くない境内に、これでもかとお社が並んでいます。それぞれの神様に拝殿と本殿、神社ファンには応えられないでしょう。
平安京の鬼門除け厄除けとして、叡山の鎮守として2000年を越える社歴は半端じゃありません。
魔除け厄除けの象徴神猿(まさる)として「魔が去る」「勝る」に通じ、語呂合わせ気味にお猿が大切にさているようです。
参道に本物がいましたのでおちょくりましたが、完全に無視されました。





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明王院、比叡山北限無動寺の奥の院です。

2017年10月10日 | 滋賀の古寺巡り





(2017.10.08訪問)


錦秋の彩りがチラホラ感じられる京大原から途中越えのトンネルを越え、国道367号を北へ。この道は数あるさば街道の東端の道、
比良山系の山あいを高島を経て小浜に向かうなかなか味のある街道です。なんと云っても鯖ですもの塩味が効いてます。やがて比良
武奈ヶ岳の麓、旧坊村懐かしい地名に到着。比良山系を歩き回っていた頃、琵琶湖側からやこちら側から武奈ヶ岳アタックのベース
としてよく通った所です。約半世紀後の今は坊村の表情もすっかり変わりましたが、道沿いに流れる安曇川は遠い姿そのままに綺麗
な水の流れを見せています。葛川息障明王院、通称明王院はそんな国道367号沿いを少し入った所にあります。この道は幾度も通っ
ている道ですが、チラチラ見える朱色を横目に走るのみで今まで訪ねたことはありません。





            ▼参道入り口には自然石を刻した石碑が建っています。                                    






            [ 明王院 ]
            ●山号 北嶺山 (ほくれいざん)
            ●寺号 明王院 (みょうおういん) 正称 葛川息障明王院 (かつらがわそくしょうみょうおういん)
            ●宗派 天台宗 (てんだいしゅう)
            ●開創 伝 貞観元年 (859年)
            ●開基 伝 相応和尚 (そうおうおしょう)
            ●本尊 不動明王立像 千手観音立像 毘沙門天立像
            ●近畿三十六不動尊二十七番札所
             琵琶湖百八霊場湖西名刹十八番札所
            ▲拝観 境内自由 朱印300円
            ▲時間 9:00~16:30
            ▲滋賀県大津市葛川坊村町155 Tel.077-599-2372
            ▲http://www.biwa.ne.jp/~k-katura/
            ▲JR湖西線「堅田駅」からバスで40分 「坊村」下車から徒歩で3分
             湖西道路「真野IC」からR167を車で30分 葛川市民センター前





▼近畿三十六不動尊二十七番札所、琵琶湖百八霊場湖西名刹十八番札所の木札が。







明王院縁起
明王院は比叡山無動寺の奥の院です。貞観元年円仁上人の師弟である相応和尚が厳しい修行の末生身の不動明王を感得、その木像を
安置したのが始まり。相応は天台座主円仁 (慈覚大師) の弟子で、比叡山東塔の南に位置する無動寺谷に住したが、修行に適した静寂
の地を求めてこの地に移ったという。





▼明王滝川にかかる赤い橋、三宝橋を渡ると境内です。







▼明王滝川の景観、晩秋には紅葉の一大名所、凄いことになると聞きました。







▼それではレッツゴー。これ全部もみじ!







▼石段を上がると左手、寺務総取り扱い政所の表門が見えます。







▼がっちりと石垣に囲まれた立派な山門(重文)です。一間一戸、切妻造、銅板葺、大永六年(1526年)建立。
 ご朱印はこちらで戴きます。







▼政所前がスグ境内、境内には山門はありません。







▼手水龍の水口。残念ながら水涸れ、不浄の身を清めることは出来ませんでした。







▼弁天さんも祀られています。







▼護摩堂(重文)。桁行三間、梁間三間、宝形造、杮葺。宝暦五年(1755年)建立。







▼護摩堂三間正面は蔀戸、左右は火頭窓。この日蔀戸は〆切、中を窺うことは出来ませんでした。







▼それでは本堂へ。







▼石段先に見えるのが本堂。ムム、何やら異型の感じ。







▼本堂(重文)。桁行五間、梁間五間、入母屋造、杮葺、正徳五年(1715年)建立。
 引きが少なく正面の堂形が撮れなくて判りにくいですが、入り口が右端のみ正面側には入口を設けていません。一間向拝が付いて
 います。







▼息障明王院と書かれた本堂扁額。







▼向拝貫の蛙股の獅子の彫刻。これのみ色付き、よく目立ちます。







▼本堂外陣。







▼外陣長押に奉納絵馬がギッシリ飾られています。







▼外陣と内陣は格子で仕切られています。







▼格子の一マスから覗いた内陣の様子。須弥壇中央にお不動さんが、この像はお前立ちか。







▼お前立ちお不動さんの後ろに立派なお厨子が。この中に本尊三尊が祀られているのでしょう。







            ▼お前立ちお不動さん。火焔の造りがリアルですネ。







▼本堂屋根。







▼境内の一角に三社、祭神確認忘れました。







▼宝蔵。







            ▼胴が丸い、これも宝篋印塔か。







明王滝川を渡った対面に明王院の鎮守社、地主神社が鎮座、行ってみましょう。

地主神社由緒(滋賀県神社庁HPから)
比叡山延暦寺と深い関係にあり、平安時代前期に相応和尚が息障明王院の鎮守、守護神として創建されたものである。創建時は明王
院背後の山腹に鎮座されたが室町時代文亀二年に現在地に遷座した。





▼参道石段。







▼拝殿と本殿だけの小さな境内、石段を上がるとスグ右手に拝殿。拝殿から本殿です。
 拝殿 入母屋造 間口三間 奥行二間三尺。







▼拝殿扁額。







▼本殿。屋根とお堂の造りが複雑な形、魅力のある社です。祭神国常立尊。三間社隅木春日造 間口二間 奥行二間三尺。







▼本殿横景。







▼垂木の向きとアール付き垂木、ユニークな形状ですネ。







▼本殿。







▼ご朱印です。







明王滝川に架かる朱色の三宝橋を渡ると雰囲気が一変、厳とした精神の聖域がそこにあるような感覚です。叡山北限無動寺の奥の院
と云うことで、狭い境内ですが凛とした空気とお不動さんの気魄が感じられるとっても気持ちのイイお寺ですヨ。
明王院 オ シ マ イ

叡山お膝元、坂本のお寺をこれから訪ねます。





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錦織寺「きんしょくじ」と読みます。

2017年08月23日 | 滋賀の古寺巡り





(2017.08.20訪問)


晴れた湖国近江路は実に爽快、と云っても大半は名神高速一本道。今日は湖南野洲市にある錦織寺を目指しています。浄土真宗木辺
派に属するお寺です。木辺派って初めて聞く宗派、一度訪ねてみようと云うことで新大和路号は、名神を一路東へ。
「錦織寺」最初この寺号どう読むのかな「にしこり寺」「にしごり寺」「にしきおり寺」のどれかだろうと思っていたんですが、実
は「きんしょく寺」が正しいのです。お寺が織物を朝廷に献上した際、時の四条天皇から「天神護法錦織之寺」 の勅額を賜ったのが
きんしょく寺の寺号の由来だそうです。





▼参道と表門。







            [ 錦織寺 ]
            ●山号 遍照山 (へんしょうざん)
            ●院号 天神護法院(てんじんごほういん)
            ●寺号 錦織寺 (きんしょくじ)
            ●宗派 浄土真宗木辺派 (じょうどしんしゅうきべは)
            ●開創 天安二年 (858年)
            ●開基 慈覚大師円仁 (じかくだいしえんにん)
            ●本尊 阿弥陀如来坐像
            ▲滋賀県野洲市木部826 電話 077-589-2648
            ▲拝観料 境内自由 ご朱印300円
            ▲時間 9:00~17:00
            ▲http://www.kinshokuji.or.jp/
            ▲JR東海道本線「野洲駅」からバスで13分 「木部」下車から徒歩1分
             名神高速道路「竜王IC」から車で約20分





            ▼寺号石柱。







錦織寺縁起 (錦織寺HPから抄出)
親鸞聖人が嘉禎元年 (1235年) 関東から京都帰還途中立ち寄り、御仏の法を説いた縁の地です。この地は天安二年 (858年) 叡山三代
座主慈覚大師が御堂を建て、毘沙門天王の像が安置された所です。 寺伝によると、この毘沙門天王のお告げを承けて親鸞聖人がこの
御堂に立ち寄ったところ、地頭石畠氏をはじめ近在の人々の懇願に応じ逗留し念仏の法を説かれ、農民たちに「光明遍照」の経文や
讃文等に節をつけた田植歌で教化されました。それ以来、親鸞聖人の教えの流れを汲む真宗木辺派の本山として今日に至っています。





▼ここは親鸞さんの舊蹟ですの碑。

       





▼表門。一間薬医門、切妻造、本瓦葺、江戸後期建立。お寺の玄関口として、重量感のある堂々の四脚門です。

      





▼表門を入るとスグ中門が控えています。







▼中門を入るとスグ右に手水舎。六本柱、切妻造、桟瓦葺、文久元年 (1861年) 建立。







▼境内左に宗務所。こちらで御朱印を戴きます。







▼講堂。集会所との表示がありますが詳細は不祥。







▼正面参道の向こうに御影堂。







▼御影堂。本尊親鸞聖人御影。桁行七間、梁間五間、入母屋造、三間向拝付、本瓦葺。元禄十四年(1701年) 再建。







▼御影堂内。内外陣は各間に彫刻欄間をはめ込み、すべてを金箔で非常に華麗豪華です。







▼内陣扁額。明治十四年(1881年) 明治天皇は親鸞聖人に「見真」大師号を追贈、勅額を授与。
 この勅額がひたすら豪華絢爛、真宗ブルー地に双龍で「見真」を囲み周辺はオール金箔処理がされています。







▼須弥壇とお厨子。







▼見えるでしょうか、豪華なお厨子内の鸞聖人御影。







▼ビックリなのが欄間の彫刻。中央三間通しで雲間の龍、迫力満点!







▼左右脇欄間も龍で飾られています。               













▼御影堂。







▼御影堂と阿弥陀堂を結ぶ渡り廊下。錦織寺のお堂間は総て渡り廊下で結ばれています。







▼阿弥陀堂。本尊阿弥陀如来座像。桁行七間、梁間五間、入母屋造、三間向拝付、本瓦葺。天保二年 (1831年) 再建。







▼阿弥陀堂正面。







▼内陣扁額。四条天皇勅額「天神護法錦織之寺」錦織寺寺号由来の扁額。







▼須弥壇お厨子にチョット見ずらいですが本尊阿弥陀如来坐像が祀られています。







▼欄間をご覧ください。こちらは天女の機織姿の彫刻です。      







▼阿弥陀堂。







            ▼親鸞聖人銅像。







▼鐘楼。







▼天安堂。堂形としてはかなりの異形、しかし見方によれば非常に魅力的なお堂です。文久元年 (1861年) 再建。







▼天安堂内本尊のお厨子。本尊毘沙門天立像は秘仏。この像は伝教大師最澄が東塔にあった霊木で彫られた霊像と伝わります。







▼屋根トップに宝珠が乗るので宝形造りかと思われますが、込入った形状は変化に富んでます。







▼唐破風向拝のカーブに沿って龍が彫られているんですヨ。







▼鎮守の山王権現社。

 





▼境内伽藍裏手に親鸞聖人廟。







▼廟の周囲を蓮池が巻いてます。







▼蓮花もまだ蕾も沢山ついてます。                  













▼綺麗です。







▼親鸞聖人廟。







▼高廊下、御影堂への渡り廊下です。これからこの廊下の向こう側、東山御殿へ行きます。







▼大玄関。







▼いきなり東山御殿のお庭です。御殿各部屋は今日は入ることが出来ませんでした。   







▼親鸞聖人笈掛松。







▼東山御殿前庭。







▼東山御殿前庭の蹲踞。シンプルイズベストですネ。







▼小書院前庭。                            







▼奥の建物は茶室です。







▼境内景。左から御影堂、阿弥陀堂、天安堂。







▼ご朱印です。







特別フロク
▼明治二十九年の錦織寺境内マップ。驚きです、現状と殆ど変わりません。







浄土真宗には公式十派 (以外に十数派アリ) があるそうですが、東西本願寺とここ錦織寺そして仏光寺、興正寺しか知りません。
いずこも親鸞さんスベテは当然ながら、各寺院はそれぞれ大境内大伽藍を擁し堂内荘厳も格調すこぶる高い。親鸞さん蓮如さん
と続き、途中真宗弾圧の苦境を乗り越えて今がある浄土真宗は、我が国に置ける多数の仏教勢力から頭一つ突き出ているように
思えます。そんな真宗勢力の一派が湖国に根を張り、天台王国と共存する寛容さ、日本仏教のおおらかさを感じた錦織寺訪問で
した。

これにて錦織寺 オ シ マ イ
長々のお付き合いありがとうございました。





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