土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

岩船寺、三重塔初層開扉中。

2012年11月05日 | 京都の古寺巡り


(2012.11.03訪問)

この時期、京もそうですが、奈良でも各神社仏閣で「奈良を巡る祈りの廻廊、秘宝・秘仏特別開帳」が開か
れています。
岩船寺のある当尾の里の行政区は京都府なんですが、やはり古から仏教的に南都の影響強く、生活圏、観光
圏は大和の一部と云う感覚で浄瑠璃寺共々奈良エリアとしてあるんでは、とボクなんかも思っています。
季節は秋とはいえ、旧道沿いや山々の樹々はまだまだ緑、葉色の色づきに秋の気配は感じることは出来ませ
んが、浄瑠璃寺から岩船寺に至る道にはハイキングやお寺、石仏を求めて歩いている人も多く、当尾の里は
盛況でした。この日は岩船寺三重塔初層が開扉されていると云うことで当尾の里、岩船寺を訪ねました。

▼境内奥の高台に建つ三重塔。



[ 岩船寺 ]
●山号 高雄山(たかおさん)
●院号 報恩院(ほうおんいん)
●寺号 岩船寺(がんせんじ)
●宗派 真言律宗(しんごんりっしゅう)
●開基 聖武天皇(しょうむてんのう)
●開山 行基(ぎょうき)
●開創 天平元年(729年)
●本尊 阿弥陀如来坐像

岩船寺縁起 (岩船寺パンフより抄出)
天平元年(729年)、聖武天皇の勅願で僧行基が、阿弥陀堂を建立したのが初。大同元年(806年)弘法大師と甥
の智泉大徳が灌頂堂報恩院を建立、嵯峨天皇が智泉大徳に皇孫誕生祈願の勅命したところ、皇子誕生、弘仁
四年(813年)堂塔伽藍が整備され、寺号も岩船寺となる。最盛期は広大な境内に三十九の塔頭坊舎を有したが
度重なる兵火で荒廃、江戸期に修復、いまの姿に復興。鎌倉時代以来興福寺の末寺であったが、明治十四年
西大寺の末寺となり今日に至る。

▼短いですがきれいな参道。手前には地産の野菜やお漬け物が売られています。




▼簡素な造りの山門。昭和五十八年再建したそうです。




▼本堂。桁行五間、梁行四間、入母屋造、本瓦葺。昭和六十三年(1988年)再建。
 本尊 阿弥陀如来坐像(重文)。欅一木造り、像高約300cm、丈六像。天慶九年(946年)造立。
 須弥壇中央本尊を囲むように四天王が配されています。




▼本堂。




▼阿字池。今花の色は有りません。




▼阿字池越しの本堂。




▼阿字池の畔に建つ十三重石塔(重文)。塔高6.2m、正和三年(1314年)造立。




▼三重塔(重文)。塔高21m、嘉吉二年(1442年)建立。




▼三重塔。今日の開扉は東正面と西背面の開扉でした。写真は北面になります。
 堂内初層中央に来迎壁が建ち、東西に十六羅漢図、五大明王図が掲げられています。
 内部壁画は平成十五年に復元されたものです。




▼三重塔初層東面(正面)。来迎壁の十六羅漢図。板戸内面右、伊舎那天、左、帝釈天。




▼十六羅漢図。数シャッター押しましたが、全てミスピント。腕かカメラかどっちや!




▼三重塔初層西面(背面)。来迎壁の五大明王。板戸内面右、羅刹天、左、水天。




▼五大明王の部分、不動明王。




▼隅鬼[天邪鬼](重文)。塔四隅の垂木を支える天邪鬼。なかなかの表情、大工さんのこのユーモア精神と感性
 に拍手!!!




▼開山堂。




▼鐘楼。別名報恩の鐘。一つ撞かしていただきましたが、余韻の長いこと素晴らしいです。



▼鐘楼から三重塔。




▼地蔵堂。




▼厄除地蔵尊像。鎌倉時代。




▼五輪石塔(重文)。東大寺別当、平智僧都の墓と伝わるそうです。鎌倉時代。




▼緑に埋もれてそっと置かれた舟形蹲。




▼歓喜天堂。心願成就祈願のために歓喜天を祀っています。




▼樹々の中の三重塔。




▼きれいに整備されていますネ。貝吹岩への道。




▼貝吹岩。その昔、三十九の坊舎があった頃、一山の僧を集めるために法螺貝を吹き鳴らした岩。




▼貝吹岩から南山城の眺望。




▼石風呂。まさかこの場所で風呂とは、修行僧が身を清めるための石風呂。




▼鎮守社の左、白山神社(重文)、右、春日神社。天平勝宝元年(749年)開創と伝わるそうです。




三重塔内壁画は全て新しく、創建当初の荘厳が復元されたとはいえ、あまりに鮮やか、古色彩色の妙を感じ
ることは出来ないのは、ボクなんぞの偏った色彩感なのか、古色への思い込みからなんでしょうか。数百年
後に改めて訪ねてみましょうか。よくよく考えて見ると、創建時はみんな鮮やかだったんだよネ。