
(2014.01.11訪問)
それでは東院エリアを訪ねましょう。
▼東院のシンボル夢殿。

▼西院エリアから真っ直ぐな参道を東院エリアに向かいます。前方に見えるのは東大門。

▼東大門(国宝)。桁裄三間一戸、梁間二間、八脚、切妻造,本瓦葺。奈良時代建立。
門の前後に棟が三本あるので三棟造りと云うそうで、右袖に潜り戸が付いています。

▼東院側から見た東大門。

▼東院の入口、四脚門(重文)。木札には上宮王院夢殿とあります。

▼手水舎。

▼迦楼羅か金翅鳥はたまた鳳(雄)凰(雌)か。流水口が教典に出てくる瑞鳥と思いますが…。

▼鐘楼(国宝)。袴腰入母屋造、本瓦葺。吊られている梵鐘には中宮寺と陰刻されてるそうです。

▼夢殿(国宝)。八角円堂、宝形造、本瓦葺。
上宮王院の中心伽藍、聖徳太子供養のために建てられた八角円堂。大子コロニー斑鳩宮夢の跡。
蘇我入鹿の襲撃で壊滅した斑鳩宮跡に天平十一年(739年)行信僧都が太子を偲んで建てたもの。

▼正面(南面)内部。
今はお厨子の扉は閉められていますが、お馴染み秘仏の救世観音立像(国宝)が本尊として祀られています。

▼西面には赤い法衣を着けた太子像が安置されています。

▼東面には行信僧都坐像(国宝)が安置されています。極端な吊り目の奇怪な相貌です。写真右。
西面太子像の隣に道詮律師坐像(国宝)が安置。写真左。この方は平安時代、荒廃していた東院の復興、夢殿
修復に努力した人です。

▼屋根の宝珠。上からの名称は、光芒、宝珠、宝傘、宝瓶、受花だそうです。

▼東廻廊(重文)です。

▼礼堂(重文)。桁行五間、梁間四間、切妻造、本瓦葺。鎌倉前期の寛喜三年(1231年)に建立。
東院伽藍の廻廊を南でつなぐ建物で、旧東院伽藍の門とされているそうで、夢殿をこの堂から礼拝したと云
われているそうです。

▼絵殿(重文)と舎利殿(重文)。ニ堂一棟式の仏殿。桁行七間、梁間三間、切妻造、本瓦葺。
中央一戸が北側伝法堂への通路になっています。
東側舎利殿。聖徳太子がニ才の春に東に向って合掌され、そしてその掌中から出現したという舎利を安置。
西側絵殿。聖徳太子一代の事跡を描いた障子絵が納められているそうです。

▼伝法堂(国宝)。桁行七間、梁間四間、切妻造、本瓦葺。
聖武天皇夫人橘古那可智(たちばなのこなかち)は、東院資材帳によると自分の住んでいた住宅を奉納したと
いい、奉納品に「瓦葺講堂一間」とあるのが、この伝法堂とされており、それを改造して東院講堂として使
われていたそうです。堂内には三組の乾漆阿弥陀三尊像をはじめ多数の仏像が安置されているそうです。

伝法堂は非公開です。仏堂に改造したとはいえもとは住居、当時の皇族階級の住宅事情はどんなものか、ま
た多数の仏像が安置されているそうなので是非堂内を拝見してみたい。
思い切って特別公開してみたらどないですか、法隆寺さん。
東院伽藍は元々宮殿跡、西院伽藍に比べて少々狭い中に、夢殿を中心に廻廊で囲まれ、聖徳太子を信仰の中
心に置いた密閉空間のように思われます。ただボク達がサラッと拝観する中で、太子の香りはどこにも感じ
ることはありません。しかし斑鳩宮のたどった悲しみは、上宮王家の滅亡で歴史の彼方に去りましたが、太
子一族の怨念はやはりこの地の何処かを漂っているのでは。それにしても蘇我入鹿は悪いやつですネ。
狭いとはいえ、東院は西院とはまた違った存在感があります。 太子と山背大兄皇子に合掌!
最後になりましたが、避けて通れない、法隆寺お宝のオンパレード、大宝蔵殿へ。
▼西院聖霊院横の細道を入り真っ直ぐ、右に。朱色と白が鮮やかな大宝蔵殿があります。

▼大宝蔵殿中門の扁額、バクザン先生の揮毫扁額が掛けられています。これほどピッタリの書はお目にかか
れないでしょう。スバラシイ!

▼中門正面に百済観音堂と左右に西宝蔵と東宝蔵が繋がれ、国宝をこれでもかと見せてくれます。

▼百済観音堂のテッペンです。

愛想ないですが、大宝蔵殿オシマイ。
是非皆さんご自身の目でジックリ国宝仏をはじめ色んな宝物をご覧ください。いつもながら百済観音像の前
からはしばらく動くのが躊躇うほどのインパクトをボクは感じています。
▼御朱印です。南大門の柱と礎石に置いて。

これにて初春法隆寺巡り オ シ マ イ !
フロクと云っちゃ何ですが。
西大門沿いの土塀の落書き。修復手つかずの状態らしいですネ。


アホとしかいいようがありません。
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