(2016.1.16訪問)
迷車大和路号は、163号線をひたすら東を向いて失踪じゃなかった疾走しています。その昔、国道163号線を四日市線と云ってたのを
ご存知の方もまだいらっしゃるでしょう。ホンマに四日市まで行ってるのか、又その昔、ロードマップを広げて確認したところ163号
線は四日市には行ってなく、津とまりだったんです。で最近四日市線と云わんようになったんかなァ。
そんなことはどうでもいいんです。
今日はなぜ東を向いて走っているのか、163号線は我が家から真東に向かっています。非常に分かり易い道なのです。迷車のナビがア
ホなんで分かり易い道とお寺はどこだ、探したところ新大仏寺が伊賀に在ったんです。
▼山門。三間一戸、八脚門、入母屋造、本瓦葺。両脇に仁王像が安置されています。
仁王さんの撮影失敗、奥の手が使えません。
[ 新大仏寺 ]
●山号 五宝山(ごほうざん)
●寺号 新大仏寺(しんだいぶつじ)
●宗派 真言宗智山派(しんごんしゅうちざんは)
●勅願 後鳥羽法皇(ごとばほうおう)
●開基 源頼朝(みなもとのよりとも)
●開山 俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)
●開創 建仁二年(1202年)
●本尊 盧遮那仏坐像(重文)
▲拝観 新大仏殿(宝蔵庫)300円 朱印 300円 駐車場無料
▲時間 9:00~16:00
▲三重県伊賀市富永1238 電話0595-48-0211
▲http://www.shindaibutsu.or.jp
▲近鉄大阪線 「伊賀神戸駅」(乗換え) 「上野市駅」下車、バスさるびの温泉方面汁付行き「成田山前」下車
国道163号線上野城の北を右折、次の信号を左折、東進(国道163号線)名阪国道中瀬ICをくぐって約20分
名阪国道天理方面から名阪国道中瀬ICを下車 、 東進(津方面へ約20分)
▼寺号石標。
新大仏寺縁起 (新大仏寺パンフから抄出)
新大仏寺は、建仁二年(1202年)源頼朝公が後鳥羽法皇の勅願寺として開創。開山は東大寺再興の勧進職重源上人とし、全国に七カ
所の東大寺別所の中の一つで、伊賀別所として南北六十丁、東西四十丁の広大な寺領伽藍を有したと云われ、新大仏寺と称するところ
は上人が東大寺に敬意を払って寺号に「新」の一字を加えてものです。
▼山門両脇の赤いもの、仁王さんなんです、真っ赤なんです。
▼この額を扁額と云っていいかどうか、全国に七ヶ所東大寺別所の一つの証。
▼蹲踞。
▼明王殿、交通安全祈願所。モダンデザインなのか変なデザインなのかよく判らないデザインのお堂。
成田山不動尊から伊賀成田山不動尊の称号を称賜、伊賀の成田山としてご利益を求めて参拝者が後を絶たないそう。
しかし今日は誰もいませんでした。
▼本尊不動明王立像。
▼高台の法面に白寿観音と、
▼慈母観音の像が置かれています。いずれも銅像です。
▼鐘楼。
▼鐘楼前の十三重石塔。まだ新しいもののようです。
▼芭蕉歌碑丈六塚。 ~丈六に 陽炎高し 石の上~
貞享五年(1688年)芭蕉帰省の際、旧友とこの寺を訪れた時、詠まれた句。
▼大師堂。四方二間、宝形造、元文三年(1738年)建立。ペリーが浦賀来航時、国難消除の祈祷を修したと伝わるそうです。
▼堂内須弥壇。空海さんをお祀りしています。
▼浩宮徳仁親王(皇太子)来寺記念の碑。
▼大仏殿(金堂)。
桁裄三間、梁間四間、入母屋造、銅板葺、千鳥破風と唐破風の二重破風構成の重厚な屋根造。大仏様式。
本来の本尊は盧遮那仏坐像であるが今は収蔵庫に祀られ、釈迦如来立像を本尊としています。
▼内陣扁額。
▼四天柱に囲まれた内陣、中央に本尊釈迦如来立像。
▼ピッカピカの本尊と欄間の飛天絵。右絵は鼓を打つ飛天、左は太鼓を打つ飛天が豊かな彩色のまま残されています。
▼本尊を横から。
▼左欄間の飛天絵。右絵は笙を吹く飛天、左は琵琶を鳴らす飛天。
▼琵琶の飛天をアップで。
▼天井組、梁、斗供など大仏様の見本市。
▼四天柱の内陣と周囲の作り。外陣は畳式になっており周囲を回りジックリ拝観が出来ます。
▼後陣には地蔵菩薩立像と、
▼ちょっくらマンガチックな役行者と前鬼、後鬼が祀られています。
▼真正面の大仏殿。
▼豪華な銅製の妻飾りが付けられています。
▼大仏殿後ろの護摩祈祷堂。不動明王拝殿でもあります。
▼岩屋不動尊。後ろの岩肌を穿った半洞窟に像高6mの不動明王が二童子を連れて
お立ちです。
▼こんなお顔のお不動さんです。
▼本堂(上人堂)。桁裄五間、梁間三間、入母屋造、桟瓦葺、一間向拝付。寛永九年(1632年)建立。
▼上人堂と書かれた本堂扁額。
元は重源像を祀った由縁から上人堂と称していたが、現在は本堂として阿弥陀如来を本尊としている。
▼本堂内陣と須弥壇。中央に阿弥陀如来坐像が祀られています。
▼本堂。
▼宝蔵庫(新大仏殿)。宝蔵庫には本尊盧遮那仏坐像の他に重源さんの木像も祀られています。
今日の最大トピックスは盧遮那仏坐像だ!
▼新大仏寺の本尊盧遮那仏坐像(重文)。
像高4.04m、木造寄木造り、仏師快慶、鎌倉時代。
快慶作は頭部のみ、体部は元阿弥陀三尊像を江戸期に修復改変したそうで、
快慶の傑作、播磨浄土寺の阿弥陀三尊像の様式だったと云います。
(写真はネットからもらってきました)
▼本尊盧遮那仏のお顔。
お顔は誰が見ても快慶さん作と思うほど、とにかく言いようのない素晴らしさと
美しさ、改変されずに三尊が残っていれば間違いなく国宝、浄土寺三尊像と優劣
を競ったことでしょう。惜しむらくはお顔の再彩色、金箔と体部の金箔処理の必
要があるのかなァ。
(写真はお寺パンフを複写)
▼こんな面白い石塔が立ってました。
▼八十八カ所巡りのどこかのお寺、舟形光背に半彫りの千手観音さん。小さな石仏も並んでます。
▼八十八カ所巡りの参道から境内を。右大師堂、中大仏殿、左本堂。左端にちょろっと見えてるのが宝蔵庫。
▼御朱印です。
本尊盧遮那仏坐像を拝して。
江戸期の仏師も大したもんだ。立像を坐像に改変したそのテクニックはお見事、お顔と体部の継のバランスの崩れもなく当初の彫像
と見紛うほどの出来だと思われます。この出来だと快慶さんも許してくれるでしょう。
仏師は慶派の祐慶、運慶の流れは時代を経ても力量的に褪せることはないんですネ。
ただなぜ、三尊立像の中尊を坐像に、そして脇侍の観音勢至は一体どこへ消えたのか、誰もこの訳を教えてくれませんでした。
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