(2017.02.04訪問)
迷車大和路号は龍潭寺から法常寺へ向います。先の龍潭寺とは姻戚関係にあるお寺と聞いています。
西へ14~15キロ走りると、いよいよ山懐に入って行きます。坂道の途中ご年配のお母さんが鍬を持って歩いておられたので法常寺の
所在を訪ねると……、
「すぐこの上やよ、お兄さん (ボクのことです) 拝観なん、予約してるか」
「いいえしてません」
「してへんかったら拝観でけへんよ、このお寺チョット気位が高いの」
しまったと思いつつお礼を云って、取り敢えず駐車場へ。ものは試しにお寺へ電話をしたと思って下さい……。
▼参道入り口の石標は……、
[ 法常寺 ]
●山号 大梅山 (だいばんさん)
●寺号 法常寺 (ほうじょうじ)
●宗派 臨済宗妙心寺派 (りんざいしゅうえいげんじは)
●勅願 後水尾天皇 (ごみずのおてんのう)
●開山 一絲文守 (いっしぶんしゅ) 諡号は定慧明光仏頂国師
●開創 寛永十八年 (1641年)
●本尊 釈迦如来坐像
▲京都府亀岡市畑野町千ヶ畑藤垣内1 TEL.0771-28-2243
▲拝観料 300円 御朱印300円
▲JR山陰線「亀岡駅」から徒歩タクシーで約25分
京都縦貫自動車道「亀岡IC」「大井IC」から約20分
▼後水尾天皇所縁の寺号標でした。
法常寺縁起 (法常寺一枚ものお寺ガイドから抄出)
開山一絲文守が寛永九年、この地に「桐江庵」を建立し隠棲。寛永十八年後水尾天皇の勅願寺として当寺を創建したものである。後
水尾天皇以降、孝明天皇までの宸翰御物など文化財を所蔵し、南庭北庭は府指定名勝、本堂、開山堂は市文化財である。本尊釈迦如
来坐像は後水尾天皇の皇后、東福門院の寄進によるものである。
▼二つの石柱が山門代わりなのでしょうか。
▼石畳や石垣、石段には苔が絡み、古刹の味を醸しています。
▼参道正面の大きな石垣に白塀、お城かと見紛うような寺景ですネ。いやが上にも期待感がドンドン高まってきます。
▼まるで城壁です。中に見えるのは鐘楼、これがまた特異な建て方なんですが……。
▼臭いものは入るべからず。
▼左に折れると、味のある参道が続き右手に石段が見えますネ。
▼石段の上、勅使門です。
▼簡素な四脚門、どことなく気品を感じませんか。残念ながら通行は出来ません。
▼大梅山と書かれた後水尾天皇の宸筆扁額。
▼扁額後ろ欄間には陰陽の菊御紋。
▼勅使門石段下から少し迂回して庫裏の方へ上ります。
▼小さい石橋を渡ると正面庫裡になります。
▼庫裡です。
取り敢えずここからお寺へ電話、初めから泣き落とし戦術を決行。
「予約はしてませんが、拝観お願い出来ませんか」
「当日はダメです」
「実はこのお寺をお訪ねするのに100km走ってきました、大阪の南からなんですが」これ大ウソ!
「いまどこですか」
「庫裡の前にいます」
しゃーないなぁと云う感じでご住職が出てこられて、「マァお上がり、ただし写真は庭も堂内も一切ダメですよ」
▼庫裏内の唯一の写真。
▼お庭に入る門ですが締め切り。
下二枚の写真は塀の外から辛うじて撮ったものです。
▼左に庫裏、右の建物は方丈です。方丈前に名勝庭園南庭が広がっています。北庭は方丈裏にあります。
▼雪が残る名勝庭園南庭。奥に見えるのが本堂。本堂右の段落ちの屋根が鐘楼、本堂と一体なんです。こういう堂宇はこのお寺のみ
と聞きました。
▼ご朱印です。
ご住職には方丈、南北のお庭、そして本堂と付きっきりで案内して戴き、懇切丁寧な説明を受けました。決して気位の高いお寺では
ありません。
特に本堂の設えはシンプルそのもの、高い天井に荘厳一切なしの須弥壇に本尊釈迦如来が中尊として、左右に脇侍として阿弥陀如来
坐像と観音菩薩立像が祀られています。非常に印象深い本堂です。
本堂床は瓦タイル、スリッパは履いてるんですが、立ち話は冷た~い約30分の苦行でした。
ご住職に感謝、ボクのウソお許しください。 合掌
法常寺 オ シ マ イ
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