(2017.12.09訪問)
摠見寺から迷車大和路号は浄厳院へ、このお寺安土駅のほんご近所、といっても周辺は田圃が広がる長閑なところ。幹線道を折れて
南へフラフラ走っていると左手にいい案配に赤い楼門が遠望され、これがまた目立つんです。青空に朱色ほど映えるものはありませ
んネ。これはいやが上にも期待が膨らみはやパンクしそう。駐車場には迷車大和路号のみ、何方もいないようです。
▼周辺を田圃に囲まれた見渡しのよいところ、ど~んとこの石柱。
[ 浄厳院 ]
●山号 金勝山 (きんしょうざん)
●寺号 浄厳院(じょうごんいん)
●宗派 浄土宗 (じょうどしゅう)
●開基 織田信長 (おだのぶなが)
●開創 天正六年 (1578年)
●本尊 阿弥陀如来坐像
▲拝観 境内自由 8月13日14日15日本堂公開(本堂拝観は要予約500円) 朱印有無不明
▲時間 9:00~17:00
▲滋賀県近江八幡市安土町慈恩寺744 電話 0748-46-2242・5435
▲JR東海道本線「安土駅」から徒歩10分
名神高速道路「竜王IC」から20分
▼白い築地塀に囲まれた堂々の楼門、アプローチとしてのインパクトは大。
朱色も青空に映え、付近を圧倒するようにして建っています。
浄厳院縁起
近江源氏佐々木六角氏の菩提寺として建てられた慈恩寺(じおんじ)の旧地に、安土桃山時代、織田信長が安土城築城とともに創建
し近江、伊賀国両国の浄土宗総本山としたのが始まりです。
▼楼門(重文)。この地にあった旧慈恩寺の山門として建立されたもの。
三間一戸、八脚門、入母屋造、本瓦葺、天文二十四年(1555年)建立。
▼山号金勝山が凄く目立ってます。
脇間左右の金剛力士。部分的に欠損部の後補が目立ちますが、筋肉表現は誇張が無くバランス的に優れた像形です。
▼阿形金剛力士。
▼吽形金剛力士。
▼楼門。
▼楼門戸口から境内、正面本堂です。
▼境内に第一歩、左に手水舎。
▼本堂(重文)。本尊阿弥陀如来坐像。
桁行七間、梁間六間、入母屋造、本瓦葺、三間向拝付、元亀三年(1572年)建立。
本堂は、もとは近江八幡市多賀町にあった天台寺院興隆寺の弥勒堂を移築したものだそうです。
信長はあっちこっちから色んなものを持ってきますネ。スキホウだい、やりたい放題、やはり偉大な為政者です。
▼寺号の書かれた本堂扁額。
▼本堂。元禄年間に大規模な修理が行われ屋根の高い外観になったそうで、堂々の堂形です、風格抜群!
残念ながら本堂は入堂はできず、堂内を窺う事は出来ません。毎年8月13日14日15日公開されるそうです。
▼本尊阿弥陀如来坐像(重文) 像高274.5cm、寄木造、漆箔、11世紀平安時代。
定朝様の貫禄で螺髪が小さくまんまるお顔が失礼ながら可愛い印象の阿弥陀さんですネ。
(本尊写真は神仏います近江HPから)
▼本堂。
▼本堂外縁。日当りはいいのでしばらくこの縁に坐っていましたが、寂しいですネ、参拝者はいません。
▼天気上々ですが時にこんな雲が湧きます。太陽半分逆光でゴースト狙い、サッパリ効果なし。
▼勅使門。一間四脚門、切妻造、本瓦葺。正面を見る事は出来ません、どこから行けばいいんだろう。
▼鐘楼。三段積基壇に袴腰なので背の高さに圧倒されます。寛保二年(1741年) 建立。
▼鐘楼の上層。屋根両端の鬼瓦に寛保二年銘が刻まれているそうです。
▼観音堂。桁裄三間、梁間三間、入母屋造、本瓦葺。享保六年(1721年)建立。
▼位牌堂。元不動堂が解体修理され位牌堂として再生。方一間、宝形造、桟瓦葺。唯一中が覗けたんですが、物置。
▼六地蔵。
▼庫裏と本堂を繋ぐ渡り廊下。あの下を潜って御朱印を頂きに庫裏へ。
▼庫裏。こんにちわ~~~、呼べど叫べど返事なし。結局ご朱印今日はナシ
▼裏門。切妻造、本瓦葺、袖塀付きの大型高麗門。江戸後期建立。
浄厳院これにて オ シ マ イ
ほぼ方形の境内には小さな堂宇がギッシリ、まるでジグソーのように綺麗に収まっています。境内周辺には墓地が整然と並び古から
の檀家寺なんでしょう。残念ながら本堂へは入堂できず、庫裏もお留守のようで、信長との関係やお寺の詳細をお聞きする事は出来
ませんでした。
湖国近江路は地形変化が豊かで色んな表情のお寺がありそう。来週湖北長浜辺りの観音さんを訪ねたかったんですが湖北は早雪便り、
長浜観音さん巡りは来春の計画にしました。
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