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(2010.11.20 訪問)
R24へ戻り北進、井手町の少し手前木津川に入る小さな川沿い東に2~3km、蟹満
寺は在ります。
[ 蟹満寺 ] かにまんじ
山号 普門山(ふもんざん)
寺名 蟹満寺
宗派 真言宗智山派
本尊 釈迦如来坐像(国宝) 白鳳~天平初期 銅造 像高240cm
蟹満寺縁起
この地一帯は「狛」の地名が残り、古代には蟹幡郷と云う美称を持つ地で幡=織
物を業とする渡来系氏族が住んでいたと云われ、白鳳時代にその氏族によって創
建されたらしい氏寺と考えられているそうです。蟹満寺発掘調査の結果は相当大
きな寺院があったのではと推測されているそうです。
蟹満寺を有名にしている説話に平安時代の説話集今昔物語の「蟹の恩返し伝説」
があり寺名とも関係していると云います。説話の絵解きが額装され本堂内に飾ら
れています。御住職の滔々とした声でマイクを通して説話を聞くことが出来ます。
●寺名石標。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/94/055ed9b3c368714a9d4acebe943cb3f5.jpg)
●本堂偏額。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/3b/f33789bbe1efd2ba437ee45d6c4585bf.jpg)
●本堂。
本尊 釈迦如来坐像(国宝)。像高240cm、重さ2tの金銅像。
今年4月改築されて落慶法要が営まれたまっさらピッカピかの本堂です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/f8/5c45f526de3f98806e60b1c83a9a9c8d.jpg)
真新しい本堂中央須弥壇に国宝釈迦如来坐像がどっしり。造像は白鳳後期から平
城遷都前後の作といわれており、金銅仏としては時代的に前期黄金時代の造像と
云ってもよいのではないでしょうか。ただこのお像の由緒縁起は諸説があり定か
ではないと云います。今は古色蒼然、黒光りしていますが、おそらく当初は金色
燦然と鍍金されており仏師の精魂込めた情熱とエネルギーが拝する人々の心に熱
く伝わったのではないでしょうか。これ程のお像が山城の国に居られるというこ
とにはじめ驚きましたが、よく考えてみればお寺から南へ木津川を渡ればそこは
南都平城京。少し下がれば藤原京、大伽藍が覇を競い仏教文化の華が咲き競う絢
爛の地であることを思えば宜なるかなです。
数年前に描いたペン画、釈迦如来坐像のお顔です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/1d/b02d5d7ec3b7b5d911d930ab7447967e.jpg)
今の蟹満寺の境内は相当狭く、堂宇も本堂のみと云っていいと思いますが、国宝
釈迦如来坐像に拝するだけでもこのお寺の訪ね甲斐がありました。
山背古道巡り お・し・ま・い
おっしゃるとおり釈迦如来坐像に拝するだけでも訪ね甲斐のあるお寺ですよね。
私も4月の新品の木材の香りのする頃に訪ねました。
はるばる一人で車を運転して出かけ、ちゃんとたどり着くかヒヤヒヤしながらです。
でも、苦労して行った甲斐がありました。
「小さなお寺なのに、ゆったりしてる」
こんな印象があります。ペン画で表現されているとおり、仏様がどっしりゆったりしているからでしょうか。
それと、あのお方、徳光アナウンサーに似てないでしょうか。お会いした瞬間、そう思ってしまいまして。ふざけすぎですね。ごめんなさい。
早々に行かれたんですネ、蟹のお寺。さすがアクションママさん。
ボクが訪ねたときはご住職が不在で、奥様とお話をさせて頂きました。
ゆうこママさん聞かれましたか? 洪水の話。
本堂建て替えのいきさつや、ご住職が帰れなくなったハナシなどなど。
お像のハナシそっちのけで話が弾みました。ボクは聞く一方でしたが。
ごゆっくりしていってくださいの言葉に甘えて、一人になった本堂で30分ほどジックリと。内緒ですが、ちょっとだけお釈迦さんと肌のふれ合いをしましたヨ。
それにしても小さいながら感じのイイお寺ですネ。
洪水の話。
本堂建て替えのいきさつや、ご住職が帰れなくなったハナシなどなど。
興味あります。
よかったら教えてください。
お釈迦さんとのふれあい、いいな、私ちょっと勇気なくって・・・
お寺の北を流れる川、天井川のようでしょう、あれがくせ者。
ご住職があの集落の代表
↓
ある日JRと棚倉駅ロケーション交渉
↓
交渉熱が入る
↓
小雨がぱらついてきた
↓
なおも熱が入る
↓
外を見ると大雨に
↓
ついに交渉決裂
↓
道路も田圃も一面水だらけ
↓
日が沈み辺り真っ暗
↓
水は膝以上なお増水中 携帯お寺に忘れた
↓
帰るに帰えれない これを泣き面に蜂と思う
↓
どうして帰ったか分からない
↓
四苦八苦なんとかお寺に帰る
↓
境内一面水浸し 川の水容赦なく流れ込む
↓
本堂床上浸水
↓
本堂滅茶苦茶 これを泣き面に蜂二匹と思う
↓
ついに立て替えを決断
若干フィクションが入っていますが、これが本堂建て替えストーリーのプロット。
奥様は明るく話されていましたが、実のところ相当ご心配だったことでしょう。増水の早さは凄かったらしいです。
以上蟹のお寺の裏話でした。
そんな大事件があったのですね。
そういえば、春に訪れたとき、裏の川はなにやら工事中でした。ひょっとして浚渫工事だったのかしら?
古代から川は人間の生活に欠かせないものなのでしょうが、ひとたび氾濫すれば恐ろしいものに。ご住職の命があって何よりでした。
西には木津の大きな流れもあり、大きな洪水に幾度も見舞われてきた歴史があるかもしれませんね。
でもあの釈迦ならば、どんな大水にもビクともせずに座っていらっしゃるでしょうね。
見事などっしり感は、大河が生んだ?