(2014.03.15訪問)
壬生寺から仏光寺通りを東へ、歩き、歩き、めげずに歩き、です。今日はもう15,000歩、越えてま~す。
真宗十派の一つ、浄土真宗佛光寺派本山で末寺寺院数約400ヵ寺、勢力的には五位くらいに位置する佛光寺を
目指して歩いています。全国で真宗寺院は22,000ヵ寺を越えると云い、信徒数は星の数ほど、大勢力ですね。
そんな真宗十派の内、ここ京には四派の本山があります。
▼御影堂。宗祖親鸞さんをお祀りしています。
[ 佛光寺 ]
●山号 渋谷山 (しぶたにさん)
●寺号 佛光寺 (ぶっこうじ)
●開山 伝親鸞上人 (しんらんしょうにん)
●開創 伝建暦二年 (1212年)
●中興 実質開山 了源上人 (りょうげんしょうにん)
●宗派 浄土真宗佛光寺派本山
●本尊 阿弥陀如来 (重文)
▲京都市下京区高倉通仏光寺下ル新開町397 075-341-3321
▲拝観料 境内自由 御朱印300円
▲拝観時間 9:00~16:00
▲HP http://www.bukkoji.or.jp
▲JR京都駅から地下鉄から烏丸線四条駅5番出口から、徒歩2分
阪急電鉄烏丸駅15番出口から、徒歩5分
佛光寺縁起 (佛光寺HPから抄出)
越後流罪に遭われた親鸞聖人は、赦免の翌年建暦二年(1212年)に京都に帰られ、山科の地に草庵を結ば
れました。この草庵が佛光寺草創と伝えられています。当初、真宗開闢の根本道場を意味して、興隆正法寺
と号しました。親鸞聖人在世の当時、真宗の教えは関東を中心に広がりをみせていましたが、第七世了源上
人になって、教化活動の拠点を京都に置き、西日本布教活動に力を入れました。兵乱の世に人々は上人のお
徳を慕って念仏申すようになり、元応二年(1320年)寺基を山科から汁谷(現京都国立博物館あたり)に
移しました。了源上人亡き後、了明尼公が第九世の法灯を継がれることになりました。女性差別の激しい南
北朝時代に、女性が一山の門主の地位に就くということは、まさに革命的な出来事です。以後、佛光寺は性
別による差別のない開かれた教団として、多くの女性が教団護持に携わってきました。
▼御影堂門。切妻造、四脚門、本瓦葺。扉や脇、腰の各部分は彫刻で装飾しています。
▼寺標。
▼手水舎。
▼境内。真宗大寺院の御堂配置のセオリー通り、向かって右に御影堂、左に阿弥陀堂が並びます。両本願寺
の規模とは比較になりませんが、前庭に立ち両堂を目の前にすると、やはり親鸞さんに対する思慕と信仰
の念が色濃く漂っているようです。
▼鐘楼。左の門は阿弥陀堂門です。閉まってます。
▼御影堂。桁行五間、梁間七間、単層入母屋造、本瓦葺。三間向拝付。明治十七年再建。
▼御影堂内陣。須弥壇上に親鸞聖人坐像、両脇壇に中興了源上人坐像と前住上人絵像が安置されています。
▼御影堂内陣扁額。親鸞聖人の大師号「見真」と揮毫されています。
▼御影堂内陣。親鸞上人です。
▼渡り廊下。御影堂と本堂をつなぐ廊下。手前の枝垂は天皇家から植樹された枝垂れ桜で、見事らしいです。
▼本堂 (阿弥陀堂)。桁行七間、梁間七間、単層入母屋造、本瓦葺。明治三十七年再建。
本尊 阿弥陀如来立像。像高99.5cm、寄木造。
内陣須弥壇上に阿弥陀如来立像、両脇壇に聖徳太子像と法然上人坐像が祀られています。
▼本堂 (阿弥陀堂)。
▼境内。
▼宗務所。ここで御朱印を戴きます。
▼玄関門。書院大玄関から白書院、黒書院への門です。
▼御朱印です。
フ ロ ク
▼今日の仏光寺通午後二時ごろ。
壬生寺から佛光寺へは、この仏光寺通りを歩きました。稀にクルマ、稀にヒトです。少し北の四条通とは
えらい違い。この写真は、東から西へ振り返って撮ったものです。
お詫び
前回の壬生寺コピーで、山門写真のところ「細い仏光寺通りに面していきなりの山門」とあるのは間違いで、
正しくは「仏光寺通りから坊城通りを右に入るとスグに山門」でした。
ボケがボツボツ、いやですワ。
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