(2012.10.07訪問)
禅哲学と禅の心髄を石庭に求めて、てなことはボクの場合決してありません。
過去の碩学が十五の石に秘められ、極端に象徴化された石庭と禅の奥義は如何にと、この意味を求めて結論
のでない葛藤に四苦八苦が今も続くこの謎の石庭とは一体どんなものか、一度見たくて龍安寺を訪ねました。
▼方丈石庭。
方丈前庭に東西25m、南北10mの空間に白砂を敷き詰め、15個の石を配したたったこれだけのお庭。
室末末期、優れた禅僧により作庭されたと伝わるのみで作庭者は不明です。
[ 龍安寺 ]
●山号 大雲山(だいうんざん)
●寺号 龍安寺(りょうあんじ)
●宗派 臨済宗妙心寺派(妙心寺塔頭)
●開基 細川勝元
●開山 義天玄承(ぎてんげんしょう) 妙心寺五世住持
●開創 宝徳二年(1450年)
●本尊 釈迦牟尼仏
●平成六年(1994年) 古都京都の文化財として世界文化遺産に登録。
龍安寺縁起 (龍安寺パンフレットより抄出)
宝徳二年(1450年)室町幕府管領細川勝元が、藤原北家傍流徳大寺家の山荘を譲り受け寺地とし、妙心寺五世
住持義天玄承を開山として創建された。応仁の乱で全山焼失、明応八年(1499年)勝元の息政元が再興したが
寛政九年(1797年)の火災で仏殿など主要伽藍を焼失したため、塔頭の西源院の方丈を移築して龍安寺の方丈
(本堂)とした。方丈前庭は枯山水の石庭として著名で禅苑の名刹である。
▼嵐電龍安寺から道すがらにある道標。
▼寺名石標。
▼参道。
▼山門。
▼参道。
▼庫裡。
▼庫裡。
▼庫裡の煙抜き。
▼韋駄天、禅宗庫裡の守り神。
▼庫裡の鬼瓦。
▼枯山水石庭を見て皆さん何を感じているのでしょうか。
▼石庭。
▼なかなか前へ行けません。
▼石庭。
▼方丈内部。東から西を見ています。
▼ズーとこの状態ですわ。
▼石庭。
▼方丈北庭の青もみじ。
▼銭形蹲(レプリカ)。 四角の溜まりが口で、共用すれば [吾唯足知] われただたるをしる。禅の格言の謎解き。
水戸光圀の寄進と伝わるそうです。
文字が読めないのは、なんせ写真がヘタなんです。
▼方丈東庭の龍安寺垣。
▼方丈勅使門。
▼鏡容池。
名勝龍安寺庭園、徳大寺家により築かれた池だそうで、広い回遊池は巡りごたえがありますよ。今は睡蓮も
咲き終わり間近で、いくらか寂しさが漂っています。
▼鏡容池。
▼鏡容池。
▼鏡容池。
▼山門を入ると大きな山内マップが掲示されています。
何はともあれ、名苑は常に訪れる人々で一杯!
世界遺産のアピール度の凄さに改めて脱帽。京の世界遺産、古都京都の文化財十七社寺の約半数は訪ねてい
ますが石庭人気がこれほどまでとは、勿論好シーズンや休暇の長短によるでしょうが。
ア~ン (あいた口がふさがらない) ですわ。
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この龍安寺の石庭は心静かに見てこそですが、
このように人がいっぱいでは石庭の良さを感じることは出来ないですね、個人的に。
あと気になったのが見ず知らずの人の顔が写った写真を
アップされていますね。
私はどこかのブログ等で知らず知らずの内にネットでアップされてると思うといい気がしませんので、
目線を入れるなり配慮していただければと思います。(^^
もっともなご指摘、痛み入ります。
肖像権問題や個人情報についての知識が不十分でした。
配慮の無い写真の扱い、今後は十分注意をいたします。
これ、「国生み神話の島々」を表しているのではないか、とふと思い当たりました。
つまり、大八島の国(淡路島・四国・隠岐の島・九州・壱岐・対馬・佐渡島・本州)、小六島(吉備児島・小豆島・大島・女島・知訶島・両児島)と、最初に創った「オノゴロ島」です。これで、あわせて15島です。
しかし、神話には記載されているのに、場所がはっきりしない、「オノゴロ島」は、まさに存在しているのかどうなのかわからない島。古事記には15島と書いてあるのに、どう調べても14島しか判らない。
このことを、この石庭が表現しているのではないかと思ったのですが、どうでしょうか?
「石庭」と「オノコロ島」ユニークな発想に敬服です。
「オノコロ島」とは実在の島か、空想上の島か。
こればかりは神話作者にしか判らないでしょうネ。
謎解きの過程を楽しむくらいで「オノコロ島」を想像しておいたらいかがでしょうか。