(2012.09.29訪問)
妙心寺塔頭、退蔵院にやってまいりました。
臨済禅院の売りはなんと云ってもお庭! とりあえず名苑を巡ってみましょう。
[ 退蔵院 ]
●寺号 退蔵院(たいぞういん)
●宗派 臨済宗妙心寺派(妙心寺塔頭)
●開基 波多野重通
●開山 無因宗因禅師(むいんそういん)
●開創 応永十一年(1404年)
●本尊 聖観音菩薩
退蔵院縁起 (退蔵院パンフレットより抄出)
退蔵院は、今から約六百年前、室町中期の応永11年(1404年) 越前の波多野出雲守重通が妙心寺第三世無因
宗因禅師に帰依し創建した寺である。
▼薬医門(山門)。
▼庫裡。
▼方丈(重文)。慶長七年(1602年)建立。
▼紙本墨画淡彩瓢鮎図(ひょうねんず)(国宝)。
ひょうたんでなまずを押さえるという禅の公案を描いたこの絵は部分図ですが、山水画の始祖といわれてい
る画僧如拙が、足利義持の命により心血注いで描き、現存する彼の作品 の中で最高傑作といわれています。
「ただでさえ捕まえにくいなまずを、こともあろうに瓢箪で捕まえようとする。」この矛盾をどう解決する
か、この絵に対して当時京都五山の禅僧三十一人が賛を寄せその回答を連ねています。現在京博に寄託につ
き方丈ではコピーしか見れません。
▼方丈枯山水庭園「元信の庭」(退蔵院HPより抄出)。
狩野元信は、室町時代後期の画聖で、狩野派画法の基礎を確立しました。退蔵院方丈庭園「元信の庭」は、
彼が画家としてもっとも円熟した七十歳の頃の築庭と推測されています。自分の描いた絵をもう一度立体的
に表現しなおしたもので、彼の最後の作品が造園であったことで珍しい 作品の一つと数えられています。
▼「元信の庭」蹲。枯山水庭園で唯一の水。
▼余香苑へ。(退蔵院HPより抄出)。
この広大な庭園は造園家中根金作氏の設計によるもので、昭和三十八年に着工し、三年の月日を費やして完
成しました。余香苑は伝統的な造園手法を基盤とした厳しさの中にも優雅さを含み、京都はもとより全国で
も有数の昭和の名園と言えます。構造上目立たぬ苦心が随所に払われており、正面から庭園を見渡すと、奥
行きが生まれ、庭園が広く見えることなどが例としてあげられます。
▼余香苑「陽の庭」
▼余香苑「陰の庭」
▼余香苑景。
▼余香苑水琴窟。竹水道から落ちる水音のみで、琴の調べは全く聞こえませんでした。
よーく考えますと今、耳医者に通っています。
▼散り忘れの彼岸花二輪。
▼余香苑「ひょうたん池」。
▼「ひょうたん池」睡蓮一つ。
▼藤棚から余香苑景。
▼「ひょうたん池」の源、竜王の滝。
▼門前に境内絵図。
仏像拝観や古寂びた堂宇、伽藍の拝観、持ち合わせていない信仰心を一刻隠して、さりげなく本尊の前で手
を合わす、仏教教理や哲学のさわり、宗派や宗祖のお話を僧侶から聞き、判ったような顔して成るほど顔で
今日の拝観はオシマイと云うバチアタリな考えが頭の隅にあり、それにも増して特に京都、特に禅宗寺院で
何故いまさら寺で庭園鑑賞や、ちょっと違うんじゃないのと云う思いに、実はず~ッと引っ掛かっていまし
た。
禅宗寺院では座禅だけではなく、食事も家事もすべて修行。一に掃除、二に掃除、三、四がなくて、五に座
禅と禅修行の一つに掃除の重要性が唱えられ、塵ひとつない、掃除が行きとどいた庭も禅の修業とされ、掃
清められた美しい庭だからこそ、禅の心を磨くことができるという理念のもと築庭されていると聞きました。
一凡人のあさはかさでした。それにしても修行にはお金がかかるもんですネ。
お寺でお庭? そこには深~い意味があったのです。
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