土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

朝護孫子寺の大般若経転読祈祷会はスゴイ!

2012年10月17日 | 奈良の古寺巡り


(2012.10.13訪問)

先日、Uさんのブログで朝護孫子寺空鉢護法堂の記事を読ませてもらい、冷や水チャレンジ精神フツフツ湧
き、元山岳部としては登らにゃなるめえと信貴山山頂を目指しました。下りでもキツイとのことで、最近の
足腰老化促進で果たして成功なるか。

とりあえず下界お堂を先に巡りました。

▼ガゥウォォォォ。




[ 朝護孫子寺 ]
●山号 信貴山(しぎさん)
●寺号 朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)
●宗派 信貴山真言宗総本山
●開基 聖徳太子
●開創 (587年)
●中興 命蓮上人
●本尊 毘沙門天立像

朝護孫子寺縁起 (朝護孫子寺HPより抄出)
今から千四百余年前、聖徳太子は、物部守屋を討伐せんと河内稲村城へ向かう途中この山に至りました。太
子が戦勝の祈願をするや、天空遥かに毘沙門天王が出現され、必勝の秘法を授かりました。その日は奇しく
も寅年、寅日、寅の刻でありました。太子はその御加護で勝利し、自ら天王の御尊像を刻み伽藍を創建、信
ずべし貴ぶべき山「信貴山」と名付けました。以来、信貴山の毘沙門天王は寅に縁のある神として信仰され
ています。その後、醍醐天皇の御病気のため、勅命により命蓮上人が毘沙門天王に病気平癒の祈願をいたし
ました。加持感応空なしからず天皇の御病気は、たちまちにして癒えました。よって天皇、朝廟安穏、守護
国土、子孫長久の祈願所として「朝護孫子寺」の勅号を賜ることとなりました。朝護孫子寺は信貴山寺とも
呼ばれ、多くの方に親しまれています。

▼仁王門。三間一戸、十二脚門、二層楼門。入母屋造、本瓦葺。




▼山号信貴山と揮毫されている扁額。




▼阿形金剛力士。




▼吽形金剛力士。




▼仁王門横の高台から本堂が望めます。




▼チョット引っ張ってみました。




▼金剛力士の後ろに阿吽の狛犬がいますよ。






▼勧請注連縄が参道入り口です。




▼参道石造鳥居、扁額に多聞天と刻されています。社形石灯籠が続きます。




▼信貴山ナンバーワンキャラクター、張り子の大寅。世界一だそうで。




▼赤門です。




▼参道。社形石灯籠が続きます。




▼参道脇に戦闘態勢の聖徳太子騎馬像、なぜか笛を吹いています。どんな由緒でしょうか。北村西望作。




▼フッと右上を見ると本堂が見えます。




▼榧の木稲荷社です。 (朝護孫子寺HPより抄出)
樹齢千五百年の榧の木です。蘇我一族と物部一族が政治の実権を握るため争っていた大和朝廷の時代に、一
粒の榧の実が萌芽して以来、有為転変する世相を鳥瞰してきた御神木です。この御神木を敬い稲荷社を建立
しました。




▼本坊です。玄関で寅が口を開けています。




▼池にかかる宝寿橋。夏には蛍が飛び交うらしいです。




▼かなり入組んだ真っ赤っかの参道ですがもうすぐ本堂です。




▼本堂前に手水舎。ここでは水屋と呼んでいます。




▼経蔵堂です。中にはデッカイマニ車が。




▼本堂です。




▼黒々と木札が。




▼毘沙門天王の扁額が掛かる本堂正面。
文禄年中 (1592年~) 豊臣秀吉により再建。または慶長7年 (1602年) 秀頼の再建。延享3年 (1746年) に完
成。舞台造。




▼本堂舞台から奈良盆地が一望できます。



▼袴腰の鐘楼。
貞享4年 (1687年) 再建。




▼多宝塔。
本尊大日如来。像高約90cm、伝恵心僧都作。元禄2年 (1689年) に建立。




▼開山堂裏参道。




▼開山堂。
享保十七年 (1722年) 建立。聖徳太子、弘法大師、命蓮上人、歓算上人、四国八十八ヶ所本尊を安置。




▼中興命蓮上人の墓と伝承されている塚。




▼厄除け観音堂。




▼十三重供養石塔。




▼仁王門の前に安置された赤の前掛けの千体地蔵。




▼開運橋。
全長106m剛性橋。昭和六年十二月竣工。上路カンチレバー橋で現存する日本最古の橋だそうです。
事実上の参道入り口で、橋の手前にはお店が並んでいます。




なんとスゴイ迫力!
本尊お前立ちにしばらく拝していると、僧侶の方からもうすぐ大般若経転読祈祷が始まるのでぜひ見学して
みてはと伺い、はじめて参加しました。大音声、スピード、経の節回し、どれをとっても迫力満点、心経だ
けは何とか聞けましたが他はサッパリ。気持ちはスッキリ。イイ経験をさせていただきました。

心おきなく天空の空鉢護法堂へ登山が出来ます。朝護孫子寺第2部、天空の空鉢護法堂へとつづくのです。



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等持院庭園は、夢窓国師作庭の三大名園の一つ。

2012年10月11日 | 京都の古寺巡り


(2012.10.07訪問)

龍安寺からきぬかけの路を挟んで5~6分のところ、等持院へ向かいます。
その前にきぬかけの路沿いのカフェ山猫軒さんで、龍安寺の石庭の謎に迫ろうとコーヒーをいただきながら
考えてみようと思いましたが、無駄な努力なので止めました。コーヒーでおなかがふくれたところでイザ!
天下の不人気、足利尊氏の足利将軍家菩提寺等持院は、 夢窓国師作庭の天下の名庭園を誇っています。

▼庭を前にして……。




[ 等持院 ]
●山号 萬年山(まんねんざん)
●寺号 等持院(とうじいん)
●宗派 臨済宗天龍寺派
●開基 足利尊氏
●開山 夢窓国師(むそうこくし)
●開創 暦応四年(1341年)
●本尊 釈迦牟尼仏

等持院縁起
暦応四年(1341年) 室町将軍足利尊氏が夢窓国師を開山として開創。当初二条高倉にあって等持寺と称した。
二年後現在地に別院北等持寺を建てた。その後尊氏が没するとこの寺に葬り、寺名を等持院と改めたが、応
仁の乱で等持寺が焼失し、等持院が本寺となり足利家歴代の廟所となる。足利歴代将軍の木像が霊光殿に安
置されている。

▼総門。




▼参道をしばらく行くと急に広まった処に出ます。




▼中門です。




▼中門からスグ、堂々の庫裡が迎えてくれます。




▼庫裡から廊下伝いに書院があります。




▼達磨さん。
書院廊下の突き当たり方丈西端にどこかで見たと思ったら、そうそう天龍寺でした。描いた僧侶は違います
が、天龍寺式祖師像でしょうネ。




▼書院から見る庭園。
方丈と書院の前に広がる庭園は、夢窓国師の作庭と伝えられる池泉回遊式庭園で、芙蓉池と心字池を中心に
東庭と西庭に分けられています。書院でお茶をいただきながら庭園を眺め、時としてお庭に下りて池を巡り、
ゆるりと小道を散策するのも一興、しばし喧噪を忘れひとときの静寂に浸ってみるのもこれまた心身のいい
お薬ではないでしょうか。




▼方丈。現在の方丈は元和二年(1616年)福島正則が妙心寺塔頭海福院から移築したものだそうです。
今、ここ方丈で寺宝展をやってます。書画と軸が中心ですが、室町文化の一端を見ることが出来ます。




▼方丈前庭。




▼方丈前庭から方丈門。




▼外から見る方丈門。




▼書院前の芙蓉池です。さて、書院からお庭に下りてお庭を歩きましょうか。




▼芙蓉池左の高台に茶室清漣亭。
貴人重視の茶室、義政好みの茶室形と云われているらしいですが定かではないそうです。




▼清漣亭の横の蹲。司馬温公形と云われる蹲、でこぼこの石に溜り水穴をあけたものを云うそうです。




▼心字池の青もみじ。




▼少し角度を変えて芙蓉池。




▼秋の気配が深まりつつあるようです。




▼足利尊氏墓と伝わる宝篋印塔。




▼陽に透けてキラキラの穂波はもう少し。




▼芙蓉池。




▼鐘楼。




▼鐘楼柱の飾り彫り。象と思うんですが。




等持院夢窓国師作と伝わる庭園は訪れる人も少なく、ゆっくりとお庭散策が出来ました。今は季節と樹叢の
端境期、中秋から晩秋にかけて錦秋の色濃く、黄や橙から赤、朱の色に染まる頃のこのお寺も間違いなく訪
れる人々で溢れることでしょう。


▼オマケ
出町の高野川と賀茂川の出合うところ。四時頃です。それでは帰ります。






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龍安寺、石庭に秘められた謎とは。

2012年10月09日 | 京都の古寺巡り


(2012.10.07訪問)

禅哲学と禅の心髄を石庭に求めて、てなことはボクの場合決してありません。
過去の碩学が十五の石に秘められ、極端に象徴化された石庭と禅の奥義は如何にと、この意味を求めて結論
のでない葛藤に四苦八苦が今も続くこの謎の石庭とは一体どんなものか、一度見たくて龍安寺を訪ねました。

▼方丈石庭。
方丈前庭に東西25m、南北10mの空間に白砂を敷き詰め、15個の石を配したたったこれだけのお庭。
室末末期、優れた禅僧により作庭されたと伝わるのみで作庭者は不明です。




[ 龍安寺 ]
●山号 大雲山(だいうんざん)
●寺号 龍安寺(りょうあんじ)
●宗派 臨済宗妙心寺派(妙心寺塔頭)
●開基 細川勝元
●開山 義天玄承(ぎてんげんしょう) 妙心寺五世住持
●開創 宝徳二年(1450年)
●本尊 釈迦牟尼仏
●平成六年(1994年) 古都京都の文化財として世界文化遺産に登録。

龍安寺縁起 (龍安寺パンフレットより抄出)
宝徳二年(1450年)室町幕府管領細川勝元が、藤原北家傍流徳大寺家の山荘を譲り受け寺地とし、妙心寺五世
住持義天玄承を開山として創建された。応仁の乱で全山焼失、明応八年(1499年)勝元の息政元が再興したが
寛政九年(1797年)の火災で仏殿など主要伽藍を焼失したため、塔頭の西源院の方丈を移築して龍安寺の方丈
(本堂)とした。方丈前庭は枯山水の石庭として著名で禅苑の名刹である。

▼嵐電龍安寺から道すがらにある道標。




▼寺名石標。




▼参道。




▼山門。




▼参道。




▼庫裡。




▼庫裡。




▼庫裡の煙抜き。




▼韋駄天、禅宗庫裡の守り神。




▼庫裡の鬼瓦。




▼枯山水石庭を見て皆さん何を感じているのでしょうか。




▼石庭。




▼なかなか前へ行けません。




▼石庭。




▼方丈内部。東から西を見ています。




▼ズーとこの状態ですわ。




▼石庭。




▼方丈北庭の青もみじ。




▼銭形蹲(レプリカ)。 四角の溜まりが口で、共用すれば [吾唯足知] われただたるをしる。禅の格言の謎解き。
水戸光圀の寄進と伝わるそうです。
文字が読めないのは、なんせ写真がヘタなんです。




▼方丈東庭の龍安寺垣。




▼方丈勅使門。




▼鏡容池。
名勝龍安寺庭園、徳大寺家により築かれた池だそうで、広い回遊池は巡りごたえがありますよ。今は睡蓮も
咲き終わり間近で、いくらか寂しさが漂っています。




▼鏡容池。




▼鏡容池。




▼鏡容池。




▼山門を入ると大きな山内マップが掲示されています。




何はともあれ、名苑は常に訪れる人々で一杯!
世界遺産のアピール度の凄さに改めて脱帽。京の世界遺産、古都京都の文化財十七社寺の約半数は訪ねてい
ますが石庭人気がこれほどまでとは、勿論好シーズンや休暇の長短によるでしょうが。
ア~ン (あいた口がふさがらない) ですわ。






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妙心寺塔頭の退蔵院には有名なナマズがいます。

2012年10月03日 | 京都の古寺巡り


(2012.09.29訪問)

妙心寺塔頭、退蔵院にやってまいりました。
臨済禅院の売りはなんと云ってもお庭! とりあえず名苑を巡ってみましょう。

[ 退蔵院 ]
●寺号 退蔵院(たいぞういん)
●宗派 臨済宗妙心寺派(妙心寺塔頭)
●開基 波多野重通
●開山 無因宗因禅師(むいんそういん)
●開創 応永十一年(1404年)
●本尊 聖観音菩薩

退蔵院縁起 (退蔵院パンフレットより抄出)
退蔵院は、今から約六百年前、室町中期の応永11年(1404年) 越前の波多野出雲守重通が妙心寺第三世無因
宗因禅師に帰依し創建した寺である。

▼薬医門(山門)。




▼庫裡。




▼方丈(重文)。慶長七年(1602年)建立。




▼紙本墨画淡彩瓢鮎図(ひょうねんず)(国宝)。
ひょうたんでなまずを押さえるという禅の公案を描いたこの絵は部分図ですが、山水画の始祖といわれてい
る画僧如拙が、足利義持の命により心血注いで描き、現存する彼の作品 の中で最高傑作といわれています。
「ただでさえ捕まえにくいなまずを、こともあろうに瓢箪で捕まえようとする。」この矛盾をどう解決する
か、この絵に対して当時京都五山の禅僧三十一人が賛を寄せその回答を連ねています。現在京博に寄託につ
き方丈ではコピーしか見れません。




▼方丈枯山水庭園「元信の庭」(退蔵院HPより抄出)。
狩野元信は、室町時代後期の画聖で、狩野派画法の基礎を確立しました。退蔵院方丈庭園「元信の庭」は、
彼が画家としてもっとも円熟した七十歳の頃の築庭と推測されています。自分の描いた絵をもう一度立体的
に表現しなおしたもので、彼の最後の作品が造園であったことで珍しい 作品の一つと数えられています。




▼「元信の庭」蹲。枯山水庭園で唯一の水。




▼余香苑へ。(退蔵院HPより抄出)。
この広大な庭園は造園家中根金作氏の設計によるもので、昭和三十八年に着工し、三年の月日を費やして完
成しました。余香苑は伝統的な造園手法を基盤とした厳しさの中にも優雅さを含み、京都はもとより全国で
も有数の昭和の名園と言えます。構造上目立たぬ苦心が随所に払われており、正面から庭園を見渡すと、奥
行きが生まれ、庭園が広く見えることなどが例としてあげられます。




▼余香苑「陽の庭」






▼余香苑「陰の庭」




▼余香苑景。




▼余香苑水琴窟。竹水道から落ちる水音のみで、琴の調べは全く聞こえませんでした。
よーく考えますと今、耳医者に通っています。




▼散り忘れの彼岸花二輪。




▼余香苑「ひょうたん池」。




▼「ひょうたん池」睡蓮一つ。




▼藤棚から余香苑景。




▼「ひょうたん池」の源、竜王の滝。




▼門前に境内絵図。




仏像拝観や古寂びた堂宇、伽藍の拝観、持ち合わせていない信仰心を一刻隠して、さりげなく本尊の前で手
を合わす、仏教教理や哲学のさわり、宗派や宗祖のお話を僧侶から聞き、判ったような顔して成るほど顔で
今日の拝観はオシマイと云うバチアタリな考えが頭の隅にあり、それにも増して特に京都、特に禅宗寺院で
何故いまさら寺で庭園鑑賞や、ちょっと違うんじゃないのと云う思いに、実はず~ッと引っ掛かっていまし
た。
 
禅宗寺院では座禅だけではなく、食事も家事もすべて修行。一に掃除、二に掃除、三、四がなくて、五に座
禅と禅修行の一つに掃除の重要性が唱えられ、塵ひとつない、掃除が行きとどいた庭も禅の修業とされ、掃
清められた美しい庭だからこそ、禅の心を磨くことができるという理念のもと築庭されていると聞きました。
一凡人のあさはかさでした。それにしても修行にはお金がかかるもんですネ。

お寺でお庭? そこには深~い意味があったのです。


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妙心寺は日本最大の禅寺にして算盤上手。

2012年10月01日 | 京都の古寺巡り


(2012.09.29訪問)

京五山十刹に属さない反骨の禅寺、大徳寺と妙心寺。室町幕府や江戸幕府の圧迫に屈すること無く臨済禅の
本分を遺憾なく発揮し、今洋々の寺観と法灯を灯し続ける妙心寺、お寺が唱い上げる「日本最大の禅寺」に
相応しい偉容がこの花園の地に誇っています。妙心寺は「算盤ずら」と云われるほど寺院経営上手といいます。
末寺3400、僧数7000人、関連経営に大学、高校、中学、等の教育機関を擁しています。山内のデカさは歩
くとよく判ります。禅宗七堂伽藍が一直線に甍を並べ、四十六の塔頭寺院が山内に点在。まさに豪快な禅寺、
そんな妙心寺を訪ねてみました。

▼丸太町通妙心寺道に建つモダーン寺標。左の道が南総門への参道。
市が標榜する景観を守るはどこに行ったんでしょう。交差点とはいえ、標識、ポールの多さ、空に張り巡ら
された電線の繁雑さ、クモの巣の美しさを思い出しましょう。国際観光都市の名が泣きますよ。




[ 妙心寺 ]
●山号 正法山(しょうぽうざん)
●寺号 妙心寺(みょうしんじ)
●宗派 臨済宗妙心寺派大本山
●開基 第九十五代 花園天皇(はなぞのてんのう)
●開山 関山慧玄(かんざんえげん) 無相大師 大徳寺開山した大燈国師の弟子
●開創 建武四年(1337年)
●本尊 釈迦如来坐像

妙心寺縁起 (妙心寺HPより抄出)
第九十五代花園天皇は、大燈国師(だいとうこくし)で知られる大徳寺を開かれた秀峰妙超(大燈国師)に参禅し、
印可(弟子が悟りを得たことを師匠が認可すること)されています。
宗峰妙超禅師は病に伏し重態となられ、花園法皇の求めに応じて、弟子の関山慧玄(かんざんえげん)を師と
するよう推挙されました。そして、花園法皇は花園の離宮を禅寺にし、宗峰妙超禅師が正法山妙心寺と命名
されました。十二月二十二日宗峰妙超禅師が亡くなられましたが、妙心寺ではこの建武四年を開創の年とし
ています。

▼南総門(重文)。三間一戸、切妻造、本瓦葺。慶長十五年(1610年)建立。




▼境内案内絵図。広大な境内がよくわかります。




▼勅使門(重文)。三間一戸、切妻造、檜皮葺。慶長十五年(1610年)建立。




▼放生池。




▼三門(重文)。桁行五間三戸、梁行1間、本瓦葺、入母屋造、重層楼門、慶長四年(1599年)建立。






▼仏殿(重文)。桁行五間、梁行五間、入母屋造、本瓦葺き、裳階付き。文政十年(1827年)建立。
 



▼仏殿須弥壇。本尊 釈迦如来坐像。脇侍 釈迦十大弟子の阿難尊者、迦葉尊者。




▼仏殿。




▼仏殿と法堂を繋ぐ渡り廊下。




▼法堂(重文)。桁行六間、梁行六間、入母屋造、本瓦葺き、裳階付き。明歴二年(1656年)建立。
 天井には狩野探幽の雲龍図が描かれています。




▼浴室(重文)。明歴二年(1656年)建立。




▼経蔵(重文)。寛文十三年(1673年)建立。




▼鐘楼(重文)。




▼大方丈の唐門。




▼大方丈(重文)と前庭。承応三年(1654年)建立。




▼大方丈本尊。




▼大庫裡(重文)。承応二年(1653年)建立。




▼鐘楼。




▼北参道。




▼北総門(重文)。慶長十五年(1610年)建立。



▼北総門横の寺標。




南総門から入山して北総門から下山したんですが、途中塔頭寺院の退蔵院へ寄って見ました。通年公開してい
る塔頭は三院のみですが、そのうちの一つです。 つ づ く



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