(2017.12.09訪問)
迷車大和路号は今週も近江八幡を目指しております。
今日は織田信長夢の跡、絢爛豪華な天守を誇った安土城跡にある自らの菩提寺として生前建てた摠見寺を訪ねます。
大手道の正面に立つと先ず石垣と石段の豪快さが目に入ります、安土山の一角とはいえ、シンボルの城と広大な境内の伽藍配置を持
つ摠見寺のグランドデザイン、それを施工する動員された人員の数などを思いやると途方もない数でしょう。当時の為政者の力のあ
りようが彷彿とします。しかし今は全く夢の跡でしかありません。
▼信長肖像。世に云う精悍で知的ではありますが短急な性格が表現されているような……、
絵師は日本画家伊藤龍涯師、東京美術学校日本画科選科卒業、昭和35年7月80歳で歿。
[ 摠見寺 ]
●山号 遠景山 (えんけいざん)
●寺号 摠見寺(そうけんじ)
●宗派 臨済宗妙心寺派 (りんざいしゅうみょうしんじは)
●開基 織田信長 (おだのぶなが)
●開創 天正四年 (1576年)
●本尊 聖観世音菩薩立像
▲拝観 500円 朱印300円
▲時間 09:00~17:00
▲滋賀県近江八幡市安土町下豊浦6367 電話 0748-46-2142
▲JR東海道本線「安土駅」から徒歩30分
名神高速道路「竜王IC」から30分
▼安土城への登城口の石垣。右端が大手道。
摠見寺縁起
織田信長が安土城築城のとき、他所より移築し安土城本丸の西方の峰に自らの菩提寺にしたと伝えられる。天正十年天守崩落の際も
焼け残ったが、安政元年火災により本堂など境内ほとんどを焼失。今は礎石のみが三重塔の北に残っている。その後、昭和七年仮本
堂が徳川家康邸跡に建てられ現在に至っています。
▼前方大手道を見た途端戦意消失、この石段と石垣が山上安土城跡にまで執拗に続くんですヨ。
▼真っ直ぐだったり曲がりくねったりの石段、ようもまァこんな参道を造ったもんですワ。
大手道を少し上ったところに摠見寺の仮本堂があります。取り敢えず拝観しましょう。
▼いくらか名残紅葉の参道を行きますと……、
▼仮本堂が見えます。
▼仮本堂。旧家康邸跡に建てられているそうです。
▼数あるお部屋の一室に「信長公蛇石曵之図」が掛けられています。
▼信長公。
▼仮本堂のお庭です。
▼ココからは安土城跡を目指します。執拗に石段です。
▼二の丸跡。
▼二の丸跡の北に信長本廟が建ちます。
▼信長本廟。信長没後、秀吉はその一周忌にココで大法要をしたそうですヨ。
▼意外な本廟。なにか足らないような気がしませんか。
▼安土城本丸跡、天守跡への道。もうヘトヘト、ココから先はパスです。
ココからは、
仮本堂から安土城跡を訪ねその後、山門、本堂跡とか三重塔など本来の参拝順路とは逆方向を辿ることになります。
写真は本来の参拝順を貼っておきます。
TOPから二枚目写真の左の山道を行きますと……、
▼こんな参道が表れます、まさに登山口。
▼少し行くと石段が表れ、右摠見寺、天守への石標が建ってます。
▼石段ばっかり。
▼なんせ急坂、こんな石段が続くんですよ。
▼仁王門が見えます。
▼仁王門(重文)。三間一戸、楼門、入母屋造、本瓦葺、初層左右に金剛力士を安置、元亀二年(1571年)建立。
よくこんな急峻なところに建てたもんです。
▼右に阿形金剛力士(重文)。応仁元年(1467年)造立。仏師因幡院朝。
▼左に吽形金剛力士(重文)。
顔の表情といい、筋肉の造形といい非常に迫力を感じる仁王さんです。
▼組み物の美も一見の価値あり。
▼山門を潜るとはや石段、とにかく石段だらけ。
▼山門を振り返って。
▼石段の先に石段以外の空間が見えてきました。
▼三重塔です。
▼三重塔(重文)。三間三重、本瓦葺。
天正年間に信長が甲賀の長寿寺から移建したと伝わるそうです。
▼三重塔相輪。
▼無理矢理移築した感じアリアリ、空き地はココしか無いというところに。
▼三重塔西に本堂跡が。
▼本堂跡の礎石、まさしくこれぞ夢のあと。
▼本堂跡からこの石段を下ると、仮本堂、登城口へと続く参道です。
▼御朱印です。
山岳寺院特有、てっぺん安土城址へは石段登山。とにかく石段と石垣ばかりがドコまでも続く気の遠くなる安土城址と摠見寺の境内。
摠見寺仮本堂は大手道を少し上ったところにあるのでまだいいとして、お寺の顔である塔や山門は一旦山頂に上り安土城址から下っ
て行くコースとなるので、参拝イメージが少々狂いました。下りの石段も歩きにくい、いやはや石段だらけの山岳寺院はもうコリゴリ。
摠見寺これにて オ シ マ イ
次に訪ねるのはココからほん近く、やはり信長の意思が感じられる古刹です。
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