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塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

カルチョ2002

2009-10-17 19:14:10 | 日記
 日本でイタリアサッカー専門誌が発売されている。試行錯誤を繰り返し、発刊から10年以上の月日が流れている。これは本当に凄いことだ。
 だってそうだろう。仮にイタリアで、日本サッカーの専門誌を発刊しようとする。一体誰が買ってくれるというのだ?その前にこの企画の趣旨を、イタリア人が理解するとは思えない。カルチョ2002が発刊されていることは、前例のない勝負に勝利した事を意味する。

 今僕が唯一新刊で購入している専門誌が「カルチョ2002」です。文字通りとことんアズーリとセリエAにこだわった雑誌です。創刊したのは中田英寿がペルージャに移籍した1998年。その創刊号を目にした時、僕は正直良い印象は持ちませんでした。また新手のサッカー雑誌が創刊したのか。そう思ったくらいです。
 ただ創刊号から特徴のある紙面づくりを行っていました。創刊号の見出しは「チャオ・ジャッポネージ」、そして背番号7をつけた中田の後姿を表紙にする、斬新なレイアウトでした。
 創刊号に限らず、雑誌の表紙は旬の人物を、当然顔を写す形で掲載しますが、カルチョ2002はそうしなかった。もちろん背番号とユニフォームで、誰を表紙にしているかはわかりますが、思い切ったことをしたものです。
 カルチョ2002は今に至るまで、様々な試行錯誤を繰り返してきました。例えば5号ではベッカムを表紙にして、プレミアリーグの特集を組みますし、モノクロのページも多かった。大きさも今よりもひとまわり小さく、今の大きさと綴じ方で完全カラーページで発売されるようになったのは、2007年10月号からです。それ以前から大きさとカラー化は、今と同じになっていましたが、この号からより厚みを増す形になりました。
 カルチョ2002は、故ジャンルカ富樫さんの手で誕生しました。富樫さんは大のインテルファンでしたし、何よりサッカーへの愛情に溢れていた方です。ですからセリエAを媒体に、日本のファンへ海外サッカーの持つ伝統と、サッカーの楽しさを伝えようと、カルチョ2002の創刊に踏み切ったと僕は考えています。
 ちなみに今のカルチョ2002には、インテルとユヴェントスのファンならば、見逃せない連載が掲載されています。
 「チャオ・ユヴェンティーニ」
 ユヴェントスの選手が月代わりでインタヴューに答える企画。見開き2ページでサイン入り写真のプレゼントがあります。
 「ピネティーナからの手紙」
 インテルの広報パオロ。ヴィガノ氏が綴るコラムです。ちなみヴィガノ氏はかつてワールドサッカーダイジェストに寄稿していた時期もあります。
 僕はインテルファンということもあり、購読を始めて今年で7年になります。カルチョ2002最大の強みは、執筆陣の多くがイタリア人である点です。つまりセリエAに最も近い関係者の記事が読める点が最大の強みと言えます。
 アズーリとセリエAのファンで、まだ読んだことが無いと言う方、是非手にとってみてください。最新号はインテルの特集になります。
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選手の価値は、ピッチに立つ事にある

2009-10-17 11:27:05 | 日記
 皆さんは新しい仕事を覚えなくてはいけない時、どのようにして覚えようとしますか?
 以前から僕は、B5の仕事用ノートにメモをとっていました。最近はロディアという方眼紙のメモパッドに、内容をバックアップして携帯するようにしています。また本屋で目にしたノート術の本も購入し参考にしています。
 僕の場合、新しく任された仕事が最初からうまくいく事は滅多にありません。事前に情報収集してノートを用意していても、いざ実践するとなると勝手が違います。想定外の出来事に巧く対処できず、実戦していくうちに新しい疑問点が浮んでくるのです。
 サッカー選手も同じ事が言えると思うのです。ベンチから試合を眺めていても、技術の向上には繋がりません。特に選手同士族の駆け引き、間合いの計り方は体感してこそわかるものですし、傍から眺めていてもわかることではありません。
 もちろんピッチに立つ事は、選手にリスクをもたらします。自身の怪我の心配もあれば、相手選手に怪我を負わせてしまうかもしれない。自分の判断ミスが失点の原因となり、チームが勝ち点3を失うかもしれない。そしてファンから受けるブーイング。
 それら多くの恐怖を乗り切るには、雑念を振り切ってピッチに立ち続けるしか方法はありません。重要なのは立つことではなく、「立ち続ける」ことです。継続するとわかることがあります。それはミスをしない人間はいない。そして自分より立場の上の人間、サッカーで言えば代表選手だってミスはする。ただ彼らは自分より立場が上だからこそ、下の人間と同じ立場の人間から、避難されることがないだけだと。
 欧州では日本以上に有望と呼ばれる若手をレンタルで貸し出し経験を積ませます。ただこのレンタルは明暗分かれる事が多い事も事実です。
 例えばかつてレアルで将来を嘱望されたFWポルティージョ。経験を積む為にイタリア、ベルギーでプレイしましたが、彼が再びレアルの一員になることは困難極まりないでしょう。
 またベッカムのように、レンタル期間を経て大きく飛躍した選手もいます。残念ですが貸し出された先のクラブの考え、国の事情が選手の育成に大きく影響を与える事は避けられません。それでも試合に出たい若手選手は、いとも簡単に国境を越えます。
 今の僕の改善すべき点は、「はい」という受け応えが、「相槌」と「わかります」の両方の意味を含む、非常に曖昧な物だということです。この改善が今の僕の課題です。
 ですから選手もレンタル移籍をクラブから打診されたなら、疑問点は曖昧にせず問いただす必要があります。その疑問を解決する姿勢こそが、選手として大成する大きな原動力になるはずです。言い換えれば向上心であり、向上心が成長を促す栄養剤になるからです。
 皆さんお互い向上心を忘れないでやっていきましょう。
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進化するサッカースパイク

2009-10-17 01:15:11 | 日記
 一昔前サッカースパイクといえば、黒のボディに白いラインと相場は決まっていました。しかし今では青にオレンジ、緑に赤のボディとまさに豪華絢爛の時代です。そしてスパイクのカラー化以上に拍車がかかっているのが、スパイクの持つ機能性です。
 まず先鞭をつけたのが1994年アメリカワールドカップに向け、アディダスが発表した「プレデター」です。プレデターは甲の部分に突起物をつけたデザインが特徴で、当時の広告には「スピード、コントロールを10%、カーブ率を20%アップさせる」と書いてあります。まさにエポックメイキングなスパイクの登場でした。
 続く1998年フランスワールドカップ、ナイキが軽量スパイク「マーキュリアル」を発表します。ブラジル代表ロナウドはマーキュリアルを着用し、ブラジルをファイナルまで導きます。
 飛んで2006年ドイツワールドカップの目玉として、ロットがスパイクからシューレースを排除した画期的な「ゼロ・クラビティ」をリリース。広告塔はイタリア代表のルカ・トニで、イタリアは見事優勝の美酒に酔いしれます。
 以下各メーカーの代表するスパイク名になります。
 ナイキ 「マーキュリアル・ヴェイパー」
 アディダス 」F50」
 プーマ 「キング」
 ミズノ 「モレリア」
 アシックス 「DSライト」
 各ブランドが様々なデザイン、機能を搭載したスパイクをこれからも沢山発売する事でしょう。しかし子供達が憧れる選手のスパイクは、どれも値が張る物ばかりです。またジュニアモデルは安くても、子供の成長に合わせて、常に買いなおすひつようがあります。親御さんの負担は年を追うごとに高まっているような気がしてなりません。
 各メーカーには、選手の要望に答えるだけでなく、子供と親御さんという一番身近な立場の声を、今まで以上に聞く必要がでてきたのではと思います。
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