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塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

皆とボールを蹴ったあの頃(2)

2009-10-23 20:25:09 | 日記
 小学校時代サッカーに夢中だったことを前回お話しました。そして僕達がサッカーに夢中だった事は、担任の先生も見逃す事はできませんでした。
 僕たちの小学校は、毎日日記の提出を義務付けていて、僕はこう訴えた事がありました。「今日サッカーに誘われたけど断りました。どうせキーパーをやらされるから。」
実際僕はGKやDFをやることが圧倒的に多かった。でも僕が前線にいてもゴールは決められませんしドリブルも下手くそでした。それでも全く構いませんでした。僕は楽しくて仕方がないので、土のグラウンドにも関わらずスライディング・タックルをして服を汚して帰ったこともあります。
 GKも楽しかったです。今も普段臆病な方ですが、サッカーをしていると気持ちがおおきくなるようで、隣のクラスとの対抗戦で、相手エースのPKを胸でキャッチして、大いに盛り上がった事もありました。
 では何故GKを拒否したのか。いつしかお仕着せになってしまったんですね。「GKは盛彦君で決まり」「盛彦君のポジション?GKでしょ?」
 この学級通信の威力は絶大でした。学級通信は匿名での掲載でしたが、男子ならば匿名であっても訴えているのが誰なのか一発でわかります。その日を境にお仕着せでポジションを決める事はなくなりました。先生は僕の訴えをフィルターとして、「他人の訴えに聞く耳を持て。」という事を、僕たちに教えてくださったのです。
 もしこれがファミコンやミニ四駆関係の不満なら、先生は見過ごしていたかもしれません。ただファミコンで遊ぶ際、僕の家を含む数件に負担がかかりすぎているので、もっと分散するようにという指摘はありました。
 もちろんそれらの家にかかる負担を和らげるためでしたが、今振り返ると、先生は「遊びは自分で工夫をしろ。そしてたまには違った景色を見ろ。」と伝えたかったのかもしれません。
 こうして僕たちはサッカーを通じて、様々な体験をすることができました。僕がサッカー実体験はここで終わってしまいますが、サッカーの楽しみを知っているおかげで今がある。そう感じています。
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皆とボールを蹴ったあの頃

2009-10-23 16:32:54 | 日記
 小学生の時、休み時間や放課後僕は夢中でボールを追いかけていました。野球もしましたが、心から楽しめた事は無かったように思います。体が貧弱な僕は、木製バットがうまく振れない上、よくエラーをしたからです。エラーをすると皆から文句を言われますよね。だから僕は強制でない限り、野球に参加する事は消極的でした。
 それに野球のボールはとにかく無くしやすい!!これも野球に消極的な理由でした。
 でもサッカーの場合、不思議と下手でも巧くても皆うまいこと遊べるんですね。子供の事ですから、巧い人間がFWやMFを、下手くそな人間はDFやGKと、棲み分けも自然な形で進みました。またサッカーボールは大きいので、無くす心配も随分少なくなって好都合でした。
 僕の小学生の頃は「キャプテン翼」が大人気で、皆どこかでキャプテン翼の登場キャラクターを意識していたはずです。ストーリーが小学生から中学生へと移り、翼がドライブシュートを自在に操るようになると、クラスメートの殆どがドライブシュートを練習しました。
 また冬場は防寒用として買ってもらった通学用の手袋を、GK用手袋としても使っていました。中には町の体協でもサッカーをしているクラスメートがいて、手袋がスポーツブランドの滑り止め付ということもありました。でも素材は毛糸のため痛みが激しく指先がよく穴あき状態になったことも、今では良い思いでです。
 実はこの時期、任天堂が「ファミコン」を発売して、僕らも夢中になった口です。僕の家にもクラスメートがファミコン目当てで大勢やってきましたし、ラジコンやミニ四駆も大流行でした。
 でも僕らは外でサッカーをすることを止めませんでした。どうしてでしょうか?当時から今挙げたような娯楽がたくさんあった上、習い事をするクラスメートも何人かいました。学年が進むにつれ勉強量も増えて大変だったのに。
 今考えると理由はひとつしかありません。
 その理由は「ただ、ただ楽しいから。面白くて仕方がないから。」
 立派な理由ですよね。子供には面白いという価値観で充分なんです。それにサッカーは、学校でも授業で取り入れられるほど人気があった。男女関係なくボールを蹴飛ばした。僕らは自分たちでも気付かないうちに、サッカーの虜になっていたのです。
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ジェフにJ2降格の危機

2009-10-23 12:44:08 | 日記
 ジェフの選手の両肩には、今相当のプレッシャーがかかっていると思います。レイソルそしてトリニータの選手も同じ苦痛を味わっているはずですが、ジェフの場合は状況が異なります。
 ジェフの母体はかつての古河電工です。古河電工はJSL時代1度も降格を経験することなく、プロ化すなわちジェフへと移行しました。つまりジェフが今シーズン降格したならば、プロ・アマ通じて初の2部降格という不名誉に甘んじなければなりません。
 去年の最終節、FC東京に競り勝った1戦はまず2度は起こりません。起こらないからこそ僕のようなジェフのファン以外も感銘し、サッカーの魅力を再発見したのです。今のジェフにできることは、江尻監督の下一枚岩になること、これ以外に無いと思います。僕のような部外者が言う言葉ではない事も重々承知しています。
 ファンの皆さんは、たび重なる監督交代に加えて、2007年のオフに山岸、羽生、そして佐藤と中軸の放出を実行したフロントを、苦々しく思っているはずです。
 でも「移籍した選手がいたら」と思うことは、今懸命に戦っている選手に失礼ということもわかっていらっしゃると思います。ありきたりの言葉ですが、最後まで諦めずに戦う。これ以外に降格を回避する方法はないと思います。
 
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中田英寿さんについて思うこと

2009-10-23 01:13:15 | 日記
 最近の中田さんは柔和な表情が多くてとても好感が持てます。現役を退いて早3年。世界中の多くの人々と出会ったことが、プラスに作用しているのでしょう。
 2006年のワールドカップ前メディアの多くが、「中田がWBCのイチローのようになれるか?」と報道しましたが、僕はだいぶ違和感を感じていました。僕は中田さんに、ヤンキースの松井選手のようになって欲しかったのです。
 松井選手はシーズンオフ、必ず故郷石川県に戻って骨休みをします。そして必ず地元の方々が開く親睦会に参加しますね。その際必ずでる質問が「お嫁さんはどうしますか?」というものです。松井選手もこの質問を浴びることは重々承知しています。でも松井選手は嫌な顔ひとつせず、愛嬌たっぷりの表情で質問に答えます。松井選手はもう結婚されたので、ファンの方の楽しみがひとつ減る形になりましたが、シーズン中の真剣な表情と、オフの人間味溢れる表情の両面を知っているからこそ、故郷石川の皆さんは松井選手を応援しつづけるのでしょう。
 僕はいつも「松井選手のように、仮に中田さんが甲府や韮崎で学校訪問やサッカークリニックを行ったら、子供達は大喜びするだろうに。」と思ったものです。
 しかし今年で中田さんの提唱する「Take・In・Action」の下、甲府でのサッカーエキシビジョンが実現しました。天気にも恵まれ、多くの観客が集まったと聞きました。やはり地元の名士が音頭をとってイベントを行うと、地元の方々は喜んでくれますよね。
 これは単なる僕の希望ですが、中田さんには日本だけでなく、アジアのサッカー親善大使になって欲しいと思っています。ワールドカップ出場3回とイタリアで残した実績が色あせることはありません。アジアを代表する選手だった中田さんがやってくるなら、日本に限らず子供達は皆大喜びでしょう。近い将来その子供達がにほんでプレイする日が来るかもしれませんしね。
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