塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

選手なくしてサッカーは成立しませんが

2021-11-15 00:03:02 | 日記
 漫画「ゴールデンカムイ」の4巻では、鮭がアイヌの人々にとってどれだけ大切な存在だったかが描かれます。

 アイヌにとって鮭は「神の魚」「本当の食べ物」と呼ぶほど食生活の中心だった
 でもある時から神の魚が川を上ってこなくなった
 男たちが砂金を採って水を汚したせいだ

 と金に目をくらんだことを、主人公アシリパのおばあさんが説きます。

 この点、現代サッカーにもあてはまりますよね

 新型コロナウイルスで明らかになったように、サッカーという興行は無観客開催が可能な一方、無選手、つまり選手と指揮官が存在しなければ存在そのものが価値として認識されません。

 しかし選手たちにかかる肉体的、精神的負担は全く軽減されず、ワールドカップ2年周期という改革案は、UEFAチャンピオンズ・リーグを意識しすぎています。

 選手(鮭)がつぶれてしまっては砂金(ワールドカップや各大陸選手権出場の開催、出場の喜び)は得られませんよね。

 金のことだけを考えても拉致はあかないでしょうし、今はインターネットの掲示板が専門誌、日刊紙よりも影響力を持つほどですし。

 ル・キップは1998年フランス・ワールドカップ優勝監督、エメ・ジャッケを批判し続けたことがアレルギーとなり、2010年のレイモン・ドメネク政権に意見できませんでした。

 一方のフランス・フットボールも含めて、フランスでは代表監督をイングランドやイタリアとは異なり、政権発足後からしばらく様子見を行います。

 それは指揮官と代表選手たちに時間的猶予を与えることで、様座な実験(布陣の準備、新顔の招集など)を行えることが代表の活性化につながるためです。

 選手たちがいなければ利潤が追求できないことを忘れてはいけませんが、クラブが利潤を追求するからこそ、キリアン・エムバッペやアーリン・ハーランドの高額報酬が支払われることも確かです。

 ただ「お金」を軸に市場が展開されることは、どこかで歯止目が必要ででしょうが、後戻りは後退にしかならないのでしょうか。
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