面白く、そして下らない

私は批判をして何かを為した気になっている大衆の一人に過ぎないが、何か少しでも波紋を起こす小石になれればと書いている。

財務省の犬・土居丈朗の記事を批判する

2022-12-25 20:35:34 | 経済
週刊誌は加点主義で評価すべきだと考えている。どんなに愚かな記事があってもスクープがあれば評価すべきなのだ。皇室に対する無礼だけは許せないが。

しかし新聞は総合評価で考えざるを得ない。いやどちらかといえば減点主義だ。財務省の犬になって緊縮財政や消費税増税を主張する新聞を評価することはできない。全国紙だけではなく地方紙も不買すべきだ。2、3紙例外があるようだが。

東洋経済やダイヤモンド、プレジデントのような「経済誌」についてはどうだろう。私は自分でも嫌になるほど減点主義なのだ。その人や物事の美点よりマイナス点にばかり目がいってしまう。人間は美点を見るべきだと考えてはいるのだが。

だから東洋経済が財務省の犬の土居丈朗の記事を載せると東洋経済そのものへの評価が辛くなる。元々経済誌を購読する習慣はないが、不買を呼び掛けたくなる。まあ少なくとも土居丈朗のプロパガンダ記事への批判だけはするつもりだ。今回の記事がそれになる。

~~引用ここから~~
急膨張する国家予算、「段階的縮小」が不可欠だ

急膨張する国家予算、「段階的縮小」が不可欠だ

コロナ対策で異常に膨張した補正予算。財政支出の増大が続けば、財政不安から消費や投資を逆に萎縮させてしまう可能性がある。2023年は補正予算の段階的縮小が不可欠だ。

東洋経済オンライン

 


2023年は、わが国の財政にとって正念場の年となる。必要なのは、コロナ禍で異常に膨らんだ補正予算の段階的縮小をスタートすることだ。

2022年度第2次補正予算は、当初25兆円規模とされていたが、与党内の反発もあって最終的に29兆円へ膨れ上がった。それだけ急を要する財政支出があるならまだしも、今すぐには使わず年度越しを目的とした50基金の新増設のために8.9兆円もつぎ込んだ。

コロナ前の2010年代にも補正予算は編成されたが、下図のようにそれは3兆円前後だった。ところがコロナ禍になって桁が1つ増え、2020年度には73兆円、2021年度には36兆円もの補正予算が組まれた。

その原資は、大半が国債の増発だ。おまけにその巨額の補正予算を必要があってすぐに使ったのかというと、そうではない。2020年度には約31兆円が使用されず2021年度に繰り越された。そして、2021年度末まででも6兆円余を使い残した(2021年度当初予算分含む)。さらに、2021年度から2022年度へも22兆円余を繰り越している。

当初予算自体、年々膨らみ気味で、2022年度は約108兆円も計上したが、そこに22兆円余と年間予算の2割にも上る繰り越しが加わったのだから、本来なら補正予算など組まなくても十二分に財政支出ができる状況だ。それにもかかわらず、2022年度は2度の補正予算で32兆円も計上したのである。

コロナ禍への対応が必要な時期があったのは確かだが、すでに日本経済は人々の行動制限のない状態に移行している。それでもなお、給付金などの財政支出に依存する社会構造を常態化させてしまえば、活気ある日本経済は取り戻せなくなる。コロナ禍の収束を見据え、過度な財政依存から脱却しなければならない。

これに対し、コロナ禍で傷んだ経済を回復させるためには財政出動が必要だ、という見方がある。目下、GDP(国内総生産)ギャップが30兆円ほどあり、それをすべて財政支出で埋めるべきだと主張する。

GDPの主役は政府支出にあらず

しかし、日本は社会主義国家ではない。GDPの主役はあくまで民間の消費や投資であって政府支出ではない。民間の消費や投資を喚起することが重要なのに、後先考えずに国債を増発して無節操に財政支出を行っても、持続的な経済成長には資さないだろう。

政府が賢明な支出先に財政支出を行えばよいという「ワイズスペンディング」という考え方はある。この言葉はリーマンショックのときにも多用され、それを旗印に財政出動が行われた。しかしその後、日本経済はそのワイズスペンディングによって見事に立ち直っただろうか。経済対策の支出がワイズ(賢明)だったことは多くない。

コロナ収束後は、以前よりも経済動向の不確実性が増す。それにより惹起(じゃっき)される将来不安によって、家計の消費も企業の投資も萎縮しかねない。加えて、わが国の財政状況は、必要とはいえコロナ対策でかつてないほど国債を大量増発したことにより、コロナ前よりも脆弱になった。その象徴は、国債の満期構成である。

国債は、1年程度の返済期限のものから40年満期のものまである。コロナ前は、できるだけ長い返済期限で国債を発行できていた。しかし、コロナ禍で巨額の国債を増発せざるをえなくなったため、今や新規に発行する国債の過半は2年以内に返済期日が来る状態となっている。返済期限が長い国債を多くは出せなくなったのだ。

2年以内に返済が来るとしても、借り換えればいい。しかし、また1~2年で満期が来て借り換えるという「自転車操業」が続けば、1~2%のわずかな国債金利上昇で、利払い費が年に数兆円も増える事態に追い込まれる。わが国の財政状況は、コロナ前にも増して金利上昇リスクにさらされている。

こうした状況下、さらに財政出動を重ねれば、国民や金融市場の間に財政に起因した不安を惹起させかねない。国債金利が少し上がるだけで急増する利払い費を、政府は賄うことができるのか。その財源確保のために社会保障給付などの政策的経費が圧迫されれば、国民は予定どおりに給付を受けられなくなるかもしれない。

ただでさえ世界経済の不確実性が高まっているのに、日本で財政に起因した将来不安を増幅させれば、消費や投資を逆に萎縮させてしまう。

2025年度の黒字化目標は達成可能

将来不安を和らげ、日本経済を再び持続的な成長経路に乗せるには、過剰な財政依存からの脱却が必要だ。対象を限定した低所得者支援は格差是正のために重要だが、コロナ前に自立的に営むことのできていた企業や家計にまでばらまき財政を続ける必要はない。政府は、むしろ民間の自立性を尊重して、それを財政支出以外の手段(規制緩和やデジタル化など)で支援するべきである。

もちろん、急激な歳出削減を行うと、景気に悪影響を与える「財政の崖」が生じうるため、ソフトランディング(軟着陸)が求められる。冒頭で示したように、まずはコロナ禍で巨額に上った補正予算の規模を段階的に縮小させることが重要である。

またその段階的縮小は、間近に控えた2025年度の基礎的財政収支黒字化目標の達成に向けたペースメーカーとなりうる。

不幸中の幸いというべきか、わが国の税収は、消費税率を10%に引き上げたことや法人税収の好調によって順調だ。筆者の試算に基づくと、コロナ禍で過剰になった歳出を抑制できれば、消費税の追加的な増税がなくとも2025年度の黒字化目標は達成可能である。

こうした黒字化目標の達成は、単に官僚の自己満足ではなく、前述のような財政に起因した将来不安の払拭に貢献するものだ。2023年こそ、コロナ収束後の経済財政運営の礎を築くために行動を起こすべきである。
~~引用ここまで~~


財務省の犬の論理とはこういうものかとしか思えない。真面目に読む人こそ少ないだろうが、ひとつひとつ丹念に潰していく必要がある。

>おまけにその巨額の補正予算を必要があってすぐに使ったのかというと、そうではない。2020年度には約31兆円が使用されず2021年度に繰り越された。そして、2021年度末まででも6兆円余を使い残した(2021年度当初予算分含む)。さらに、2021年度から2022年度へも22兆円余を繰り越している。

財務省側の理屈として補正予算をその年に使いきれず繰り越しを繰り返しているから予算を組むべきではなかったというものがある。

三橋貴明の言葉を借りるが、

~~引用ここから~~
三橋貴明『公共事業予算繰り越しの真実』

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(略)

1.そもそも通常予算ではなく、毎年度10-12月期、1-3月期に補正予算で公共事業費を数兆円規模で増やしているため、年度中に消化できるはずがない。巨額繰り越しが出ない方が、むしろ異常。
2.通常は年度初め(4-6月期)に公共事業の発注がなく、土木・建設業者が苦しんでいたが、繰り越し分の消化により、仕事の平準化がある程度実現している。

(略)
~~引用ここまで~~


からだ。年度ギリギリに予算を組んでも消化できるはずがない当たり前のものと、公共事業は一年中平準化して発注して欲しいという業者の要望を敵えているので問題ないのだ。

>それでもなお、給付金などの財政支出に依存する社会構造を常態化させてしまえば、活気ある日本経済は取り戻せなくなる。コロナ禍の収束を見据え、過度な財政依存から脱却しなければならない。

麻生太郎は貯蓄に回ると言って国民への給金を10万円1度切りしかしなかった。それで依存など話になるまい。デフレ、コストプッシュインフレだが、では財政支出が必要なのだ。

>しかし、日本は社会主義国家ではない。GDPの主役はあくまで民間の消費や投資であって政府支出ではない。民間の消費や投資を喚起することが重要なのに、後先考えずに国債を増発して無節操に財政支出を行っても、持続的な経済成長には資さないだろう。

資本主義国家だろうが、社会主義国家だろうが関係がない。民間需要がないときは政府が歳出を増やして景気を下支えするしかないのだ。それを怠ったからこその失われた30年ではないか。いい加減土居丈朗は学べと言いたい。

>政府が賢明な支出先に財政支出を行えばよいという「ワイズスペンディング」という考え方はある。この言葉はリーマンショックのときにも多用され、それを旗印に財政出動が行われた。しかしその後、日本経済はそのワイズスペンディングによって見事に立ち直っただろうか。経済対策の支出がワイズ(賢明)だったことは多くない。

「ワイズペンディンディング」も「選択と集中」も必要な予算を出さないことへの言い訳でしかない。デフレから脱却していないのだから予算の絶対額が足りないのだ賢い支出など財務省の犬の理屈だ。

>国債は、1年程度の返済期限のものから40年満期のものまである。コロナ前は、できるだけ長い返済期限で国債を発行できていた。しかし、コロナ禍で巨額の国債を増発せざるをえなくなったため、今や新規に発行する国債の過半は2年以内に返済期日が来る状態となっている。返済期限が長い国債を多くは出せなくなったのだ。

国債をわずか2年以内の短期国債にしたのは財務省のマッチポンプだ。短期でしか国債が発行できないから予算を増やせないという論理を作るためのマッチポンプだ。こちらが付き合う必要はない。

>2年以内に返済が来るとしても、借り換えればいい。しかし、また1~2年で満期が来て借り換えるという「自転車操業」が続けば、1~2%のわずかな国債金利上昇で、利払い費が年に数兆円も増える事態に追い込まれる。わが国の財政状況は、コロナ前にも増して金利上昇リスクにさらされている。

利払い費が心配なら日銀に買わせれば良い。それだけだ。統合政府で政府と日銀は一体だから利払いは問題なくなる。

>ただでさえ世界経済の不確実性が高まっているのに、日本で財政に起因した将来不安を増幅させれば、消費や投資を逆に萎縮させてしまう。

国民は将来不安で消費を萎縮させたりしない。もう貯蓄がない世帯ばかりではないか。日々生活する事で精一杯で消費を減らすことはない。できないのだ。財布の「紐」の問題ではない。財布の「中身」の問題なのだ。

>不幸中の幸いというべきか、わが国の税収は、消費税率を10%に引き上げたことや法人税収の好調によって順調だ。筆者の試算に基づくと、コロナ禍で過剰になった歳出を抑制できれば、消費税の追加的な増税がなくとも2025年度の黒字化目標は達成可能である。
>こうした黒字化目標の達成は、単に官僚の自己満足ではなく、前述のような財政に起因した将来不安の払拭に貢献するものだ。

最後は基礎的財政収支の黒字化だ。基礎的財政収支の黒字化を達成すれば経済が良くなるというのか。無論そんなことはない。財務省の緊縮財政の理屈付けに過ぎない。まさに官僚の「自己満足」である。

秀才であろう慶応大教授の土居丈朗をこれほど簡単に論破できて良いのだろうか。土居丈朗のプロパガンダ記事を読んでその通りと騙される人はそうはいないが、世の中に溢れるほど財務省のプロパガンダ記事を流せばそれが「世論」ということになってしまう。だから財務省の犬のプロパガンダ記事は丹念に潰していく必要があるのだ。私の弱小ブログでは世間への波及効果は小さいのだが。

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