親のなき われにありせば 子を捨つる 親にならむと おもはざりしを
*この場合の「を」は終助詞、「~のに」というような意味で、詠嘆の意味を含みます。感情をこめやすいのでよく使われます。
親のない身のわたしでしたから、子を捨てる親になろうなどとは、思わなかったのになあ。
胸にせつせつと迫ってくるものがありますね。子を持ったことのある親ならわかることができるでしょう。子を捨てる親になど決してなりたくはない。だが、そうならざるを得なかった人の気持ちとはどういうものだろうかと。
かのじょは子供の時、両親が離婚し、父にも母にも捨てられた経験を持っています。長いこと、親戚の家に預けられて育ちました。親の愛情などほとんど得られなかった。そういう子供の寂しさ、悲しさがわかっていますから、自分の子供にはそんな思いを味わわせたくないと思うのは当然のことです。
ですから、どんなにつらくとも、夫と離婚するなどのことはしなかったのですが。夫の無理解やひどい仕打ちにも耐えていたのですが。
まさかこんな感じで、自分の子から離れることになるとは思わなかった。悲しくないはずはない。身を切るような思いをすることも、考えてしまえばつらすぎるから、痛いことにして何とかしたのだ。すべては人間のためだから。自分が下がらなければ、みなが困るから。
後で感じる後悔は激しいものかもしれない。だが今は、自分にそれを感じさせないことで何とかしよう。子供のことは、みながやってくれるだろう。
そういうかのじょの思いを、わたしたちはすぐそばで感じていました。もう二度と会えなくなるだろうことは予感していたが、それを今考えるのはつらすぎる。ここを乗り越えるには、自分を無のようにするしかない。
難しすぎる壁を乗り越えるすべを、わたしたちは、あなたがたより千倍も知っているのです。
かのじょが産んでくれた4人の子供たちのことは、わたしたちも深く愛しています。あの人が本当に愛おしく思っていた子どもたちだからです。あの人を愛しているから、その子供たちも愛している。あの人の代わりに、やれることはすべてやってあげよう。
最後まで親の愛を果たせなかったあの人の代わりに、すべてをやってあげたいと思うのです。
わたしたちもまた、親だからです。