空蝉の 世は蟷螂の おのれをぞ 倦みてあばるる 人の暗闇
*「空蝉の」は「世」につなぐ枕詞ですね。「世」を呼ぶ枕詞はほかにもありますが、これを使うとむなしさが強くなります。枕詞にも重要な意味がありますから、そこはいろいろ知っておきながら、塚こなしましょう。
「蟷螂の」は序詞的に、「斧」から「おのれ」を呼んでいます。こういうことを最初にしたのはかのじょでしたね。スランプの時期に、あがきながら詠んだ歌にこういうのがありました。
蟷螂のおのがみちゆくちさきわれだいなるわれとかはりゆくとき
いろいろあって疲れすぎている時でした。頭の中を馬鹿が暴れまわっていたのです。だからどうしても自分の歌が詠めないという時期でした。そういう時に、こういう発想が湧く。自分というものを考える時、かまきりという虫が鮮烈に頭の中に浮かんできたのです。
かまきりというのは、昆虫の霊魂の中ではわずかに進化している存在です。まだ何もわからない混沌の中にある昆虫の魂が、切り裂かれるようにかすかに輪郭を帯びてきた。それがかまきりというものだ。だからかまきりは、まるで全身が何かの輪郭の一部であるかのようなすがたをしている。
その印象が、「おのれ」という言葉を呼んできたものでしょう。
これを発展させて、「蟷螂の」を「おのれ」を呼ぶ枕詞にしてみたいんですがね、まだそこまでは発展しないようだ。「にきしねの」はなんとなくすんなり言ったのだが。
これからいろいろ作例を作っていくうちに、そうなって行ってほしいものだと思います。枕詞は美しい。歌が詠みやすい。自分というものを詠みたいときは、ぜひに「蟷螂の」を使ってください。
それはそれとして、表題の歌はこういう意味ですね。
空蝉のように空しい世とは、自分というものに倦んだ人の暗闇なのだ。
「蟷螂の」は特に訳しませんでした。必要ないと思ったのです。言わずもがなでしょうが、この苦しい世界の正体は、自分というものがつらい人間が、人を馬鹿にしてばかりいた世界だということです。自分がつらいから、人が自分ではないというだけで妬ましくて、人の邪魔ばかりしてきた。そういう人がたくさんいたということが、この世界の不幸の原因なのです。
本当に、不幸の原因はこれだけです。人間はいつもこれだけで苦しんできた。
そしてようやく、その苦しみの世界を抜けられる時が来たのです。
自分というものの真実を知り、本当の自分の輪郭をつかんだからです。