たそかれの 空にかかれる ゆふづきの たしかに白き ゑまひのかたち
*夕暮れの空にかかる細い月は、ほほ笑みの口元に見えますね。そういうことを前にかのじょも言っていました。
空に細い三日月がかかっているときは、誰かが空から自分に向かい、笑いかけてくれているようだと。
まっすぐにまじめに、愛に生きていても、誰も理解してくれる人はいない。だけど空には、全てを分かってくれる人がいて、わたしに笑いかけてくれるのだ。誰もしらなくても、わたしは知っているよと。
自分を見失い、人を見て、すきあらば上げ足をとってやろうとしている人ばかりがいる世の中だ。落ち度がなくとも、ブラウスの襟から糸が一本出ているだけで、その人を全否定して馬鹿にしてしまう。そんなことばかりしている人が、うようよといる世の中でした。
そんな世界で、美しい女性が生き抜くことは、ほぼ不可能と言ってよかった。
あの人が死んだとき、自分がどんなに傷だらけかということさえ、わかっていなかった。わかっては生きていけなかったのです。逆風の嵐の中を、ひとりで満身創痍になりながら、突っ切っていかねばならなかった。それがどんなにひどいことかは、いつかはあなたがたも味わうことができるでしょう。
もはや何もかもは終わり、あの人は眠っている。傷つきすぎた魂を、すべて神に預けている。わたしたちが刺激を与えれば、わずかに反応するが、何も活動してはいない。
死んではいないが、見ていてはわたしもつらすぎるほどだ。こんなことになるのかと。
かのじょの寝顔を見る時は、試練の天使も苦しそうだ。何かにじっと耐えている風がある。冗談ばかりを言って、あからさまには言わないが、何かを思っているに違いない。
わたしもことさらには言いませんが。胸を破ってしまいたいほど泣きたいときはありますよ。
だが泣きはしない。返ってほほ笑む。笑ってすべてをやっていく。泣いて感情に溺れても、何もなりはしないのだ。
かのじょもそうだった。どんなにつらくても、泣きはしなかった。細月のように微笑んで、悲しみを消し、生きていた。