煙突の 無きとうれひし をさなの日 夢詩香
*たまには俳句をやりましょう。ツイッターを始めてから、俳句を詠まなくなってしまったので、これもブログを始めた当初に詠んだ句の中からとりました。
なかなかほかのものは俳句を詠んでくれません。歌の方がやりやすいみたいですね。俳句をやるには、わたしたちは少々大きすぎるようだ。情感が普通の人間より大きいので、多くの言葉を必要とするようです。
表題の句は、かのじょの幼いころの記憶を詠んだものです。まだクリスマスには一か月ありますが、そろそろみな準備にかかるかと思うので、とりあげてみました。
クリスマス・イヴにサンタクロースが煙突から家に入って来て、子供たちにプレゼントをくれるという話は、かのじょはもう物心つくころにはすでに知っていました。ですが、そのころ住んでいた家には煙突がなかったので、それを親に訴えた時があったのです。このままではサンタがうちに来てくれないと。
そうすると母親がこういったのを覚えている。窓から入ってくるから大丈夫だよと。それでかのじょは一安心したのでした。そしてやはり期待通り、クリスマスの朝にはちゃんと枕もとにプレゼントがあった。
そのプレゼントをめぐって、兄弟でケンカしたりなどもしたんですがね、その様子を、親が意味ありげな視線で見ていたのに、かのじょは敏感に気付いていました。
サンタを疑い始める最初のきざしでしたね。賢い子供というのは誰より早くその突端をつかむのだ。確かにかのじょはすぐにサンタを信じなくなったが。
大人になるとまた信じるようになるのです。いえ、実感として、知るようになるのです。本当にそんな存在がいると。
人間を愛して、全ての子供にプレゼントを配ってくれているような存在がいると。
そういう心が、後にかのじょにおもしろい小説を書かせました。「ばらの“み”」という。読んだ方にはわかりますね。
あの物語の始まりは、この小さな頃のかのじょの記憶に発しているのです。まだ父母もいて、弟妹と一緒に住んでいた、幸福な子供時代の思い出。後にみんな失うことになるのだが。
すさんだ子供時代を味わったかのじょが、すべての子供にプレゼントを与えるというサンタの味方につく。一体その心はどこから来たのでしょうね。普通ならすねて、地獄のような精神を生きてもおかしくはない。
悲劇的な境遇から自分を救うものは愛しかないのだと。そういうことを考えることができるほどに、高い魂の持ち主だったからです。