たてがみの なびくおのれの 男ぶり とくとみせむぞ 馬鹿男ども
*これはツイッターで、鬣、という名前を使っている人の歌です。わかっているでしょうが、瑠璃の籠ではアルギエバに当たります。いかにもぴったりの名前ですね。アルギエバはしし座の星ですが、図で見ると、確かに獅子のたてがみのあたりに光っています。
鬣、なんて漢字があるのも知らなかったでしょう。書ける人もまれなのではないかな。まあ、書く必要がある場面は滅多にないでしょうが。珍しい字があったので、本人は採用したようです。
アルギエバは、この歌どおりの人ですよ。実に熱い、激しい。いやなやつらを激しく憎み、真っ向から攻撃してくる。こわいですよ。勇気のない馬鹿男は、この人の名前を聞くだけで玉が縮みあがるのです。
アンタレスも憎いくらいすごいですがね、この人もすばらしくすごいのです。
人類の男性は、まだその男性性がここまで開いてはいません。はっきり言って、強く女性に依存している。女性が自分を低くしてくれなければ、まともな男がやれない男が多いのです。ですから人間は、男はこういうものなのだということにして、弱いこともずるいことも卑怯なことも、肯定しようとする。
しかしそれはとんでもないことだ。男はずるかったり悪かったりしてはいけません。常に正義でなくてはならない。秩序を守る戦士でなくてはならない。
勇気のない男は男ではないのです。
わたしたちは、全てが男です。女性同様だというかのじょも、実にきつい男です。ひとりで万の敵の中に突っ込んでいく勇気はある。実際そういうことをしましたしね。どうすればそういうことができると思いますか? 弱い女性の身だ。普通はおびえる。嫌な男が大勢で固まって自分をせめてくるのです。
そんな中に、あの人はただ一人で自分を投げていった。あふれる愛で人類を救うためにです。こんなことができる天使はかのじょだけではありません。わたしも、同じ場面に遭遇したなら、同じことをするでしょう。
男なら、それができて当たり前なのです。できなければおかしいのです。
やる時はこうだ。神を信じて、自分をまるごと投げるのです。神の流れというものがあることを、天使は知っている。それを感じ、それを見て、自分の感性が正しいと感じる方向に、自分の行動をまるごと投げていくのです。最も自分らしいことをしていく。
そうすることによって、高い運命をつかむことができるのです。その結果が自分の予想に反していてもかまわない。いや、反するからこそいい。
すべては神のおやりなさっていることだからです。
男はこれができねばなりません。自分の命や体を惜しんではならない。すべてを神にささげるつもりで、突っ込んでいくのです。
そんなことをするのは馬鹿だという男は、永遠に何をすることもできません。いつまでも、甘えられる女を探して、猿のように暗闇をさまよっているがいい。
できもしないことだなんて思い込んでいるからこそ、いつまでも何もできないのです。