かをりなき かなしき花に 夢とひて また色ありと 月ぞいひける
*これは京極為兼の歌に寄せてつくった本歌取りですね。とはいいますが少々苦しい作品です。本歌取りとも思えぬ全然違う作品になっている。
ツイッターでは毎朝本歌取りをやっていますが、時にちょっと苦しいのもあります。そこはそれ、毎日のためしだからです。完璧を期してやっているのではない。
こんなことも毎日続けていくと、スキルアップにつながりますよ。古語の使い方がやわらかくなってきます。
香のない悲しい花に夢がやってきて、あなたにはまた色があるのだよと、月が言ったのだ。
あの人はそういう人のいいところを見つけるのが好きでした。とても上手でしたね。絵本の読み聞かせボランティアのサークル友達にも、それぞれによいところを見つけて、その完成予想図なんて絵も描いてくれました。
今は未熟なところも多い人たちだけど、それが成長し、高くなっていけば、こんな美人になるだろうという、予想図です。
あの人は、人のいいところばかりを見るような人だったのです。
花にもいろいろあって、中には香のない花などもありますが、心ない人はそんな小さな欠点をついて、花を全否定してしまう。香のあるほかの花とくらべたりしてね。だがそんなことには意味はない。香のない花にも、美しい色がある。色に現れる心がある。それがあなたのよさなのだよと、かのじょなら言ってくれる。
すべてが完全に備わっている花などありません。薔薇は百合のように清らかに咲くことはできない。百合は薔薇のようにあでやかに咲くことはできない。全く違うものなのだ。薔薇が百合のまねをしても、百合が薔薇の真似をしてもおかしい。
それそのものであることこそが美しいのだ。
まあ、本歌取りでも、元歌をすっかり真似しなくてもいいということでしょう。下手でも自分の良さがある。元歌を尊敬しつつ、自分なりの心を詠っていければいい。
大事なのは練習です。積み重ねです。自分を積み重ねていくこと。拙くても、自分の花を何度も咲かせること。
その努力の中で、自分の花もどんどん美しくなっていくのです。