あをにびの さうびの色は われになき われをはてなき 夢に見る夢
*青い薔薇は不可能の象徴です。
薔薇というのは自己存在の真実を表す花だ。それは環境ではない。すべてを受け入れる青という色は環境の色だ。それゆえに青は薔薇の存在意義に適わないのです。薔薇は受け入れるというより自分を押し出していくものだ。
命の広がりの象徴だ。だから、愛の下で潮の流れに身をまかせて自分をひいていくようなことはその本質に合わない。しかし青という色は、すべてを愛に吸い込んでいく。要するに、薔薇と青という色は根本で、矛盾するのです。
甘い塩などないように、青い薔薇も存在しない。どこかの人がバイオテクノロジーで作ったことがあるそうですがね、それも青というよりは紫色だった。やはり、青い薔薇を作ることなど不可能なのです。
しかし言葉の上では青い薔薇という形をつくることはできます。それが醸し出す観念の中に、自分ではない自分という意味を生じさせることはできる。
人間は、自分ではない自分になりたがって、あらゆる愚かなことをしてきた。自分など全然だめなものだと思い込んで、勉強もせず、他人からいいものを盗んで勝手に自分を作り変え、本気で自分以外のものになろうとしてきた。
自分が自分以外のものになることなど、事実上不可能なことですから、そのことを青い薔薇に擬していうことはできるのです。
青鈍色の薔薇は、自分ではない自分を、はてもない夢の中に見る夢だ。その夢は決してかないはしない。
自分以外のものになろうとしている限り、人は人から奪うことをやめられない。人は人から奪ったものを自分にくっつけて、自分を変えようとするからです。青い色をすみれから奪って、青い薔薇になろうとするようなものだ。そして奪いあい傷つけあい、人はどんどん奈落に沈んでいく。
薔薇が青くなったからと言って、幸せかどうかは、薔薇に聞いてみればわかる。自分を著しく剋す青い色になったとき、薔薇は自分というものをすべて馬鹿にしてしまうのです。