過ぎ去りて なきとなりにし 白飴の 月のねがひの こりしいはやど
*取り返しのつかないことというのはあるものです。もうわかっているでしょうが、いまだに吹っ切れていない人がいるようなのでまた言いましょう。
かのじょを惜しむ気持ちはわかる。あんなにきれいなひとはいませんでしたから。男も女も夢中になった。性欲や嫉妬や羨望の低級な感情がうずまき、あまりにも大勢の人が狂った。それほど人を揺り動かすことのできる美女などほかにいません。
天使が美女に生まれたら大変なことになったというのが、結論だ。人間はあまりにも未熟だった。たぐいまれな美女が、心まできれいだという事実に、耐えきれなかった。感情に溺れさいなまれ、人間としてやってはいけないことをやりすぎた。
故に神はもう永遠にかのじょの愛を封じたのです。悔いても戻りはしない。かのじょがいなくなればこの世界に美女がいなくなる。その現象的事実を見て驚いた人もたくさんいることでしょう。この世界の美女を作っていたのはかのじょだったからです。美女がいなくなれば世界が変わる。もう世界は今までの世界ではない。自分のしたことが、こんなことになって帰ってくるとは思わなかったでしょう。
だが今さら、愛しているから戻って来てくれなどと、何度言おうともだめなものはだめなのです。
あなたがたはかのじょに、おまえなどいやだ、二度と来るなと言ったのですから。
あの人は愛のみで人類の救済を願っていました。すべての人を救いたいと願っていた。だがその願いはもうだめになった。人間はかのじょと一緒にその救いも拒否したからです。
いはと(岩戸)とか、いはやど(岩屋戸)というのは、かのじょの救いの願いの結晶のようなものだ。疲れ果てて氷のように眠っているかのじょがこもっている。
あのままかのじょは永遠に出て来はしない。自分も岩になってしまったかのように、眠り続ける。
実際の世界では、かのじょは故郷に帰ってから目を覚まし、その時にはもうすべてを忘れている。そして自分として新たな活動をはじめていくわけだが。
この世界では、永遠に岩戸にこもり続けるかのじょのイメージが、人類の夢に刻まれることでしょう。