しなてるや 片身のかひを 胸にかひ ちさき玉なす おのれの玉を
*今日も一年前のツイートから持ってきました。「しなてるや」は「片」にかかる枕詞ですね。「かひ」が重なっているところがおもしろい。
片身の貝をむねに飼い、小さいけれども自分の玉をつくるのだ。
片身の貝とは、欠落の大きい自分自身のことを表します。完全ではない、完全などになれるはずのない自分自身の実相を表します。
人間の幼い頃は、全知全能だとか、完璧だとかいうものを追い求めたりする人が出るものですがね、かしこい人は、早いうちにそれが不可能なことだとわかって、やめるものだ。だが勉強の進んでいない人は、人に負けるのがいやなばかりに、無理にでも自分を完璧にしようとすることがある。
要するに、だれにもまけないすごいやつ、というものになりたがるのだ。それは幼稚な子供の願望にすぎないのだが、大人になってもこの願望を捨てきれない者がいる。そういうものは、人の心に迷惑をかけ続ける。
完璧になどなれるはずがありませんから、少しでも自分が落ち度をつくると、屁理屈をこねてそれを他人のせいにし、自分を守ろうとするのです。
何だかどこかの国を思い出してしまいそうだ。
しかし、完璧な存在になどなれないとわかっている人は、自分の間違いは間違いだと柔らかく考えることができる。落ち度を落ち度と認め、それをやり直し、いつまでも落ち度にしてはおかない。
小さくても、自分らしい自分というものがあり、それによって、あらゆることをなしていくのだ。
自分というものを、自分として、永遠に、完全に向かって、立ててゆくことができる。永遠に完全になどなれはしない。逃げることはできない自分を自分の中に認め、欠点も多いけれどもすばらしいものも持っている自分を実行していくことによって、より自分として完成していく。その過程こそがすばらしく、完全なのだ。
これがわかれば、人間、どんなに恥ずかしい失敗を犯しても、自分をなんとかしていくことができます。
自分の馬鹿を認めない馬鹿な自分を捨て、ほんとうの自分に飛び込んでいく。その勇気さえあれば、どんな壁にも挑戦していくことができる。
不可能だと思えることさえも、できるようになっていくのです。