敷島の やまとの国は 細月の ごとくなれども おのれある国
*この項を書いているのは7月10日です。西日本豪雨があってから少しあとのことです。あの豪雨は大変なことでしたね。死者行方不明者がたくさん出た。悲しいことに出会った人も多いことでしょう。
ですが、いつまでも悲しんではいられません。人間は前に進んでいかなければならない。自然界の浄化はまっすぐにうけとめ、改めねばならないことは改めつつ、なすべきことをなしていかねばなりません。
浄化とは試練を乗り越えていく人間の心の中にも起きるのです。愛を発揮し、助け合っていくなかで心が清くなっていく。他人事と見捨ててはおれない。誰にだって起こり得ることだからです。いい加減にしておかないで、できることはしていきましょう。
これが発表される頃には、事態も少し落ち着いていることでしょうか。
日本の国は、形は細月のようにたよりないが、自分というものがある国なのだ。
たしかに日本の国は東西に長く、大陸に向かって少し遠慮をするように微妙に曲がっている。その形が細い月に似ていなくもない。それは大きな欠落を持つという自己存在の特質をも表しているようです。だがそこにはまぎれもなく自分自身がある。その自分こそが、何もかもを救っていくのです。
落ちて来た山のように大きな岩が道をふさいでいる。ひとひとりの力ではいかんともしがたい、自然界からの挑戦に、人間は自分自身でどう挑んでいくか。馬鹿なことにしないで、ひとつひとつがれきを拾っていく。何もかもを失ってしまった人の心によりそい、話しかけていく。知恵を出し合い、ものを出し合い、体を出し合う。できることはたくさんある。それらのひとつひとつに愛を灯しつけ、すべてをやっていきましょう。
試練が国を美しくする。試練の時こそ、人間の真価がためされる。ほんとうに美しい人は、愛ですべてをやっていくでしょう。