たまくしげ 蓋をかへして うらみては 人のこころを 捨てむとぞする
*「たまくしげ」は、「ふた」にかかる枕詞ですね。「うらみては」は「裏見ては」と「恨みては」にかけてあります。
蓋を返すように、人間の裏を見ると、人を恨んで、人の心を捨てようとする者がいる。
とまあこんな感じでしょうか。技巧が先立って、心がついてこないような感じがしますが、まあいいでしょう。
人間の裏というのには、すさまじいものがあります。一見すばらしくよい人生を生きているように見える人が、裏から自分の人生を書き換えていたりする。人の人生を盗み、人の徳分を盗み、人の美貌を盗み、本来の自分とは全然違う自分になっていたりするのです。
そういう人間の裏を見ると、人間のいやらしさがわかる。人を恨んでばかりいて、人をうらやんでばかりいて、人の心を捨てて、自分だけをいいものにしようとする馬鹿の真実がわかる。
偽物ではない、本当の自分の人生では、人は苦い思いもつらい思いもせねばならないのです。自分のプライドを引きつぶされるような経験もせねばならない。それは、そのほうがいいからなのだが、人間の馬鹿はそれを嫌がって、自分のプライドを逃がそうとばかりする。
自分の人生を改造している人間の特徴と言いますか、とにかく自分のプライドを守ろうとしますね。そのためには人を傷つけることなどかまいはしない。人に自分の気持ちを押し付けることなどかまいはしない。
そういう人は自分を引くということができません。口を開ければ人を馬鹿にしてばかりいる。それで世間に苦しみをふりまいてばかりいる。
そういう自分の未熟さゆえの馬鹿さ加減をわかるためにも、人間は一度はプライドを潰されるという経験をしたほうがいいのです。そこから永遠に逃げ続けるわけにはいかない。
本当の自分に戻り、本当の自分の人生を生きるということは、そういう神の試練を受け入れるということなのです。