ありとある ひとすくはむと せし月の 夢は破れて いはやどの玉
*「ありとある」は、すべての、とか、ありとあらゆる、とかいう意味のことばです。
前にも言ったことがあるように、かのじょの願いというか夢は、すべての人類を救うことでした。ひとりももらすことなく、次の、栄光の愛の時代へと人類を導こうとしていたのです。
そのために、乾坤一擲のすばらしい手を打ってくれた。それはまさに、人類のすべてを救える一手でした。本当の自分自身。それがすべての救い主であることを、かのじょは人類に教えたのです。
しかし、ことはそううまく運ばなかった。かのじょの救いに対して、否という人間もいたからです。
かのじょがあまりに美しい女性であったがために、かのじょの仕事をも馬鹿にして、認めたくないという人間もいたのです。
そういう人は、本当の自分自身をも認めないということですから、どうしてもかのじょの救いからはじかれてしまいます。
おまけに馬鹿な人はかのじょの美しさを盗んでそれを自分につけ、自分を美しくして、これが自分であると偽ろうとした。救いをなしたかのじょの徳分を盗んで、嘘で自分をよいものにしようとした。
そんなことをすれば神の忍耐をも破るのです。
ありとあらゆる人を救おうとした、月にたとえられるあの人の夢は破れて、岩戸の玉となり果ててしまいましたよ。
いはやどの玉とは何でしょうね。美しいが、かなうはずのない夢をみながら眠っている、かのじょ自身のことでしょうか。実際人類は、神によってより分けられ、本当の自分自身を受け入れないものははじかれて、この世界を追放されるのです。すべてを次の時代に導くことは、事実上不可能なのです。
そして永遠の愛の時代が始まる。この地球は、神の御意志によって、愛の世界へと変わっていくのです。