われならぬ われとなりては とこしへの 栄えが欲しきと 闇に食はれぬ
*一応毎日詠んでいますが、なかなかいいものができませんね。これなどもあまりよくない。言いたいことはわかるが、どうもまとまりがよくない。スランプから抜け出すのはまだまだのようだ。それでも、毎日のためしは続けていきましょう。こういう努力が、のちの自分を豊かにするのだと考え、試練にも耐えていかねばなりません。
「栄え」は「はえ」、見栄えの華やかさとか、名誉とかいう意味のことばです。
自分ではない自分になって、永遠の名誉が欲しいと言って、闇に食われてしまった。
この時代、人間は盛大にうそをついて、自分とは全然違う自分を作り、それを無理やり生きてきました。
顔や肉体を人から盗んで、人生も人から盗んで、まったく違う自分になり、都合のいい人生を生きようとしてきたのです。
見栄えのいい人生が欲しかった。何にもつらいことのない、ずっといいことばかりが続く人生が欲しかった。美形になって、人に愛してもらって、なんでもやってもらえる人生が欲しかった。
わかっているでしょうが、愚かなことですね。いいことばかりの人生になど人生の意味がない。人生は霊魂の学びのためにあるのですから、時に神が与える試練にも耐えていかねばならない。そんな神の愛を無視してまで、馬鹿な人は人生を勝手に改造している。
しかしそういう人は、本当の自分を痛く剋していますから、その見栄えのいい人生を生きれば生きるほど、本当の自分がいやなことになっていく。どんどん人間とはかけ離れたものになっていくのです。
そして闇に落ちる。もう永遠に人間には戻れないところまで、行ってしまうのです。
そんなことになってはもうおしまいなのです。たとえ本当の自分がどんなに小さくても、それを正直に生きることのほうが、人間にはずっと幸せなのです。