とこしへの われを捨てても みつかひの かほが欲しきと 馬鹿者の夢
*前にも言ったことですが、ここでは「つかひ」とか「みつかひ」とかいうのは、天使のことを意味します。天使とは自己存在の進化形。永遠に進化していく自己存在の、一時期の姿であると思ってくださればよい。
自己存在というものは、進化の過程で一時期、翼のようなものが背中にある時があるのです。人間にはまだそれはありません。必要のないものだからです。ですが人間も人間としての修業を真面目につんでいき、人間として大きくなってくると、突然背中に翼が生え、天使になるのですよ。これは本当です。
自分というものは、永遠の進化の道筋をまっすぐに進んでいけば、やがて天使になれるものなのです。神はそういう風にわたしたちを創ってくださっているのです。それを「とこしへのわれ」とここでは表現しているのだが。
永遠の本当の自分を捨ててでも、天使の顔が欲しいという、馬鹿者どもの夢であることよ。
馬鹿が、本当の自分を信じず、簡単に天使の顔を盗むことによって、嘘で天使になろうとすることほど、愚かなことはない。それで人間は、遠い未来に天使になれるという自分自身の可能性を全部つぶすことになるからです。
天使になりたいなら、本当の自分に戻り、本当の自分を自分で生き始めねばならないのです。本当の自分に目覚めて、愛のためになんでも自分でやっていく、美しい存在になり、本当の自分をどんどんやっていけば、人は美しい学びを経て、いずれ天使の羽が生えてくるのです。しかし馬鹿はそういう自分の美しい可能性を全部馬鹿にしてでも、嘘で一足飛びに天使になりたがるのだ。
なぜか。それはそれは天使が美しいからです。馬鹿どもは、あれだけ美しければ、なんでも自分の思い通りになると思っているのです。すなわち、天使並みの美貌で人をだまして自分のために利用しようとしているのです。
そんなことを考えている馬鹿が美しいわけがない。自分のことだけしか考えていない馬鹿の欲望をかなえるために、天使の美貌を盗むことほど、愚かなことはない。
天使の外面を簡単に盗むだけで、馬鹿は人間を落ち、神が保証してくださっていた永遠の未来を失うことになるのです。