信州上田の・・・六文銭の写真帳
信州を横断する江戸時代の幹線道路の中山道・・・24番旧塩名田宿と25番旧八幡宿をの間、千曲川の渡し場です。
江戸時代、この川を渡る方法としては流れ板橋、跳ね橋、平橋、船繋ぎ橋などでした。千曲川は大河ですからしばしばしばしば洪水で流され難儀したようです。明治の時代に入って1873年から1893年までは船繋ぎ橋。6層の船の間に板を張ったものだったそうです。その船を繋いだのが船繋ぎ石、いまも残っています。
1893年木橋の中津橋が竣工、船繋ぎ石の使命は終わります。
1931年竣工の鉄製トラス橋の中津橋の上から。船繋ぎ石は右下の河原に。長野北陸新幹線、浅科大橋が見えます。
浅間山と黒斑山。
日本の交通の歴史遺構・・・船繋ぎ石
浅間山と黒斑山。
日本の交通の歴史遺構・・・船繋ぎ石
※撮影日は2月27日。
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