永六輔さんが「遠くに行った」・・・
※永六輔(1933~2016.7.7)・・・東京は元浅草の最尊寺の住職の子として生れる、本名永孝雄、祖先は江戸初期に中国から渡来した学僧、祖父、父は姓を「ヨン」と名乗っていて、本人は在日外国人17代目といっていたそうだ。日米大戦の敗色濃厚な1944年、小学生の時に長野県北佐久郡南大井村(現小諸市)に疎開、1946年旧制上田中学校入学、1947年東京に引揚げて旧制早稲田中学校へ。1952年早稲田大学中退、放送作家の道に。元放送作家、元作詞家、随筆家、放送パーソナリティー・・・多彩な顔を持つテレビ草創期から現在に至るまで主として電波を通して活躍したタレントでした。
戦中、戦後に東京の下町で育った焼跡派、江戸っ子気質、そのため言っていることは筋が通っていましたがいろいろ物議をかもしたオジサンでした。永さんが作曲家の中村八大、いずみたくと組んで作った日本の歌・・・100年200年続くような曲があります。
「上を向いて歩こう」「見上げてごらん夜の星を」「いい湯だな」「おさななじみ」「こんにちは赤ちゃん」「遠くへ行きたい」・・・
「遠くに行きたい」・・・自分の知らない世界を歩いてみたい・・・新しい自分が生まれる・・・永さんのライフテーマだったかも。
永さんは学生時代に民俗学者宮本常一に惹かれていたそうです。宮本常一は日本中を隈なく歩いて日本人の原点を探り続けた人です。そんな彼の心を継いで仕事の合間に旅を重ねた永さん。旅とは人とのふれあい、その土地の空気を吸うこと。
永さんがいずみたく、デューク・エイセスと組んで作った「にほんのうた」シリーズの「東京」。
「君の故郷は」の一節・・・・・・「東京編」ですがなぜか田舎への憧憬です。。
教えてくれ君のふるさとを
聞かせてくれ昔からの歌を
御先祖様の
墓の見える畠
泥にまみれるおふくろ
教えてくれ君のふるさとを
東京にはない土と空の話を
2011年3月11日東日本大震災、2011年3月12日福島第一原発で水素爆発、そのときラジオで永六輔さんがこうトークしていました。
※縄文人さんから「徹子の部屋・・・永六輔さんと大橋巨泉さんとの対談」のYou Tubegaがコメントで送られてきました。
https://www.youtube.com/watch?v=BaKdlIuYmx4
TBSラジオ永六輔の誰かとどこかで、土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界
今も・・・スイッチを入れれば、あの舌足らずの発音のおしゃべりが聞こえてきそう。
今も・・・スイッチを入れれば、あの舌足らずの発音のおしゃべりが聞こえてきそう。
※永六輔(1933~2016.7.7)・・・東京は元浅草の最尊寺の住職の子として生れる、本名永孝雄、祖先は江戸初期に中国から渡来した学僧、祖父、父は姓を「ヨン」と名乗っていて、本人は在日外国人17代目といっていたそうだ。日米大戦の敗色濃厚な1944年、小学生の時に長野県北佐久郡南大井村(現小諸市)に疎開、1946年旧制上田中学校入学、1947年東京に引揚げて旧制早稲田中学校へ。1952年早稲田大学中退、放送作家の道に。元放送作家、元作詞家、随筆家、放送パーソナリティー・・・多彩な顔を持つテレビ草創期から現在に至るまで主として電波を通して活躍したタレントでした。
戦中、戦後に東京の下町で育った焼跡派、江戸っ子気質、そのため言っていることは筋が通っていましたがいろいろ物議をかもしたオジサンでした。永さんが作曲家の中村八大、いずみたくと組んで作った日本の歌・・・100年200年続くような曲があります。
「上を向いて歩こう」「見上げてごらん夜の星を」「いい湯だな」「おさななじみ」「こんにちは赤ちゃん」「遠くへ行きたい」・・・
「遠くに行きたい」・・・自分の知らない世界を歩いてみたい・・・新しい自分が生まれる・・・永さんのライフテーマだったかも。
永さんは学生時代に民俗学者宮本常一に惹かれていたそうです。宮本常一は日本中を隈なく歩いて日本人の原点を探り続けた人です。そんな彼の心を継いで仕事の合間に旅を重ねた永さん。旅とは人とのふれあい、その土地の空気を吸うこと。
永さんがいずみたく、デューク・エイセスと組んで作った「にほんのうた」シリーズの「東京」。
「君の故郷は」の一節・・・・・・「東京編」ですがなぜか田舎への憧憬です。。
教えてくれ君のふるさとを
聞かせてくれ昔からの歌を
御先祖様の
墓の見える畠
泥にまみれるおふくろ
教えてくれ君のふるさとを
東京にはない土と空の話を
※写真は7月17日AM9:00TBSテレビ「サンデーモーニング」から。
2011年3月11日東日本大震災、2011年3月12日福島第一原発で水素爆発、そのときラジオで永六輔さんがこうトークしていました。
「天災は言いようのない悲しみ。
人災は言いようのない怒り。 」
人災は言いようのない怒り。 」
※縄文人さんから「徹子の部屋・・・永六輔さんと大橋巨泉さんとの対談」のYou Tubegaがコメントで送られてきました。
https://www.youtube.com/watch?v=BaKdlIuYmx4
私も14日のブログで
永六輔さんのことを書きました。
深みのある旅をするようになったのは
宮本常一さんの助言だったんですね、
私もいい旅をしたいと思いつつも
なかなかできていません。
「永六輔&大橋巨泉・徹子の部屋」をご覧ん頂ければ、
お二人の供養になるかと思いまして、あえてupしました。
見ていたら御免なさい。
TV時代を築いた偉大な人たちでした。
https://www.youtube.com/watch?v=BaKdlIuYmx4
愛川欣也・永六輔・大橋巨泉・・・かって軍国少年だった人たちは、だから平和を愛し、何よりも大切に思っていたのでしょうね。
今の世を愁いながらの旅立ちだったと思います。
その志を引き継いでいかなければ!
信州を旅するのがお好きなようですね。関西の人に多いようです。地元の人より信州のことが好きな写真家の本も読んでいます。
高ポッチ・・・マイナーなコースで、そういうところも尋ねるなんてグッドです。
諏訪から杖突街道、秋葉街道も車中泊家にはいいコースです。
陣馬形はわが村です。小学生の遠足コース。今が林道が上まで。中川村HPにマップあり。
東京育ち、疎開、焼跡派、戦争には兵隊として参加しなかったが戦争を見た人、リアルに戦争の罪悪を知っていました。
巨泉さんはこういいてました。
「戦争は老人が起して、若者が死んでゆく」
巨泉さんの先生が戦争に応召、戦地に行き前に輸送船で死んで、父が「犬死ダ」といったとき激しく父を憎んだが、戦後意味が分かったそうです。
私は、巨泉さんがあまりにも才人過ぎて好きになれませんでしたが、何よりも平和を愛していた人でした。
「君の故郷は」・・・の「お先祖様の墓の見える畠 泥にまみれるおふくろ」の一節が何ともいえません。まるでわが故郷のことを歌ってるようです。
だんだん昭和も遠くになりますね。
永六輔といえば坂本九の上を向いて歩こうを思い出します。
今でも時々口ずさんで懐かしんでおります。
はからずも縄文人さんが、いい番組をUPして下さいました。
番組を見て巨泉さん、永六輔さん、渥美清さんのご冥福を祈りたいと思います。
ユーモア溢れる中に、いずれも温かい心の持ち主でしたね。
この人たちの声がこれからの人に届いていたでしょうか。
「上を向いて歩こう」・・・未来に向けて希望の唄でした。
コメントありがとうございました。