比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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惜別・・・永六輔さんが・・・「遠くに行った」・・・

2016-07-20 | 惜別
永六輔さんが「遠くに行った」・・・

TBSラジオ永六輔の誰かとどこかで、土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界
今も・・・スイッチを入れれば、あの舌足らずの発音のおしゃべりが聞こえてきそう。


永六輔(1933~2016.7.7)・・・東京は元浅草の最尊寺の住職の子として生れる、本名永孝雄、祖先は江戸初期に中国から渡来した学僧、祖父、父は姓を「ヨン」と名乗っていて、本人は在日外国人17代目といっていたそうだ。日米大戦の敗色濃厚な1944年、小学生の時に長野県北佐久郡南大井村(現小諸市)に疎開、1946年旧制上田中学校入学、1947年東京に引揚げて旧制早稲田中学校へ。1952年早稲田大学中退、放送作家の道に。元放送作家、元作詞家、随筆家、放送パーソナリティー・・・多彩な顔を持つテレビ草創期から現在に至るまで主として電波を通して活躍したタレントでした。
戦中、戦後に東京の下町で育った焼跡派、江戸っ子気質、そのため言っていることは筋が通っていましたがいろいろ物議をかもしたオジサンでした。さんが作曲家の中村八大いずみたくと組んで作った日本の歌・・・100年200年続くような曲があります。
上を向いて歩こう」「見上げてごらん夜の星を」「いい湯だな」「おさななじみ」「こんにちは赤ちゃん」「遠くへ行きたい」・・・


遠くに行きたい」・・・自分の知らない世界を歩いてみたい・・・新しい自分が生まれる・・・永さんのライフテーマだったかも。

永さんは学生時代に民俗学者宮本常一に惹かれていたそうです。宮本常一は日本中を隈なく歩いて日本人の原点を探り続けた人です。そんな彼の心を継いで仕事の合間に旅を重ねた永さん。旅とは人とのふれあい、その土地の空気を吸うこと。
さんがいずみたくデューク・エイセスと組んで作った「にほんのうた」シリーズの「東京」。
君の故郷は」の一節・・・・・・「東京編」ですがなぜか田舎への憧憬です。。
     教えてくれ君のふるさとを
     聞かせてくれ昔からの歌を
     御先祖様の
     墓の見える畠
     泥にまみれるおふくろ
      教えてくれ君のふるさとを 
      東京にはない土と空の話を


※写真は7月17日AM9:00TBSテレビ「サンデーモーニング」から。

2011年3月11日東日本大震災、2011年3月12日福島第一原発で水素爆発、そのときラジオで永六輔さんがこうトークしていました。

天災は言いようのない悲しみ。
 人災は言いようのない怒り。
 


縄文人さんから「徹子の部屋・・・永六輔さんと大橋巨泉さんとの対談」のYou Tubegaがコメントで送られてきました。
https://www.youtube.com/watch?v=BaKdlIuYmx4


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8 コメント

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Unknown (はりさん)
2016-07-20 17:41:12
コメントをいただきありがとうございます。

私も14日のブログで
永六輔さんのことを書きました。
深みのある旅をするようになったのは
宮本常一さんの助言だったんですね、

私もいい旅をしたいと思いつつも
なかなかできていません。
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大橋巨泉が逝ったと…・との報道 (縄文人)
2016-07-20 20:14:58
何も、お話することはありません。
「永六輔&大橋巨泉・徹子の部屋」をご覧ん頂ければ、
お二人の供養になるかと思いまして、あえてupしました。
見ていたら御免なさい。

TV時代を築いた偉大な人たちでした。

https://www.youtube.com/watch?v=BaKdlIuYmx4
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また一人・・・ (こきおばさん)
2016-07-21 06:55:58
「昭和」の星がまた一つ、遠くへ旅立ちました。
愛川欣也・永六輔・大橋巨泉・・・かって軍国少年だった人たちは、だから平和を愛し、何よりも大切に思っていたのでしょうね。
今の世を愁いながらの旅立ちだったと思います。
その志を引き継いでいかなければ!
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コメントありがとうございます。 (はりさんへ・・・ヒキノ)
2016-07-21 14:13:16
宮本常一・・・周防大島の生れ、大阪で小学校教員、そのあと渋沢敬三の食客になって日本中を隈なく歩く。その土地の人と同じ目線で触れ合った人でした。

信州を旅するのがお好きなようですね。関西の人に多いようです。地元の人より信州のことが好きな写真家の本も読んでいます。
高ポッチ・・・マイナーなコースで、そういうところも尋ねるなんてグッドです。
諏訪から杖突街道、秋葉街道も車中泊家にはいいコースです。

陣馬形はわが村です。小学生の遠足コース。今が林道が上まで。中川村HPにマップあり。
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永さん、巨泉さん (こきおばさんへ・・・ヒキノ)
2016-07-21 14:24:04
一時代を築いた人が去っていきます。
東京育ち、疎開、焼跡派、戦争には兵隊として参加しなかったが戦争を見た人、リアルに戦争の罪悪を知っていました。
巨泉さんはこういいてました。
「戦争は老人が起して、若者が死んでゆく」
巨泉さんの先生が戦争に応召、戦地に行き前に輸送船で死んで、父が「犬死ダ」といったとき激しく父を憎んだが、戦後意味が分かったそうです。
私は、巨泉さんがあまりにも才人過ぎて好きになれませんでしたが、何よりも平和を愛していた人でした。
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永さん、巨泉さん (縄文さんへ・・・ヒキノ)
2016-07-21 14:40:13
永さんは稲荷町の近くのお寺の息子、巨泉さんが両国のカメラ屋さんの息子、。ともに疎開、田舎の旧制中学から東京の旧制中学校へ。田舎では東京弁、お上品、勉強ができるで苛められたようです。今の子どもの陰湿な苛めではなく田舎の子どものカルチャーショックですね。東京っ子に対する羨望です。永さんはそのことがよくわかっていて、田舎のことが好きで田舎に旅することが好きだったのです。

「君の故郷は」・・・の「お先祖様の墓の見える畠 泥にまみれるおふくろ」の一節が何ともいえません。まるでわが故郷のことを歌ってるようです。
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昭和の星が叉一つ・・・。 ()
2016-07-21 15:24:52
こんにちは。
だんだん昭和も遠くになりますね。
永六輔といえば坂本九の上を向いて歩こうを思い出します。
今でも時々口ずさんで懐かしんでおります。
はからずも縄文人さんが、いい番組をUPして下さいました。
番組を見て巨泉さん、永六輔さん、渥美清さんのご冥福を祈りたいと思います。
ユーモア溢れる中に、いずれも温かい心の持ち主でしたね。
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戦中、戦後・・・青春を送った東京ッぺたち (紅さんへ・・・ヒキノ)
2016-07-22 16:44:58
渥美清、愛川欣也、、永六輔、巨泉さん・・・戦争中は小学生、疎開、旧制中学校、焼跡育ち。戦争の恐ろしさ民主主義の素晴らしさを身に沁みて育った世代。
この人たちの声がこれからの人に届いていたでしょうか。

「上を向いて歩こう」・・・未来に向けて希望の唄でした。

コメントありがとうございました。
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