こんな本を図書館で見つけて読んでいます。
いわゆる児童書です。児童書の書架には別の本を探しにいってこの本を見つけ気になって借りたのです。
今日は8月15日・・・この本のことをブログにして紹介しようと思いました。
本の名前は・・・
「八月十五日 ぼくはナイフをすてた」
戦争の中の僕の中学時代(井出孫六著 ポプラ社1998年刊)
信州佐久地方の小さな町の少年が太平洋戦争の真っッ最中の1944年(昭和19年)4月、むかしの県立中学校に進学して、1945年8月敗戦を迎えるまでのことを書いた本です。著者にとって50年以上むかしのこと、当時の友だちとの話をつなぎ合わせ記憶をたどり書いたものと思われます。
プロローグは中学受験の口頭試験から始まります。尊敬する人を聞かれてなぜか野口英世と答えてしまいます。将来の進路を聞かれて医学部と答えます。幼年学校、予科練という進路を促されると、軍医になってお国のために尽くしたいと答えます。前線で戦う勇気がなかったのかもしれません。
入学後、配属将校のこと、教練教師のこと、勤労奉仕のこと、学校の一部が工場になったこと、晴耕雨読で晴れた日は校庭でサツマイモを作り、勉強は雨の日だけというような学校生活を送り、やがて敗戦の日を迎えます。
8月15日の重大放送、校庭に集まって聞くのですが雑音が多くて何がなんだか記憶があいまいです。
8月25日、進駐軍が到着する日、少年はひそかに登山ナイフを研ぎます。アメリカ兵が子どもたちを銃剣で刺し殺し、家に押入って略奪し、女を追いかけ乱暴するという事態に備えて、「You shall die!」と叫んで差し違えを覚悟したのです。けれど何も起こりませんでした。ジープに乗ってやってきたアメリカ兵は陽気でチュウインガムを子どもたちの投げて帰っていきました。
脱力感におそわれた少年は滔々と流れる千曲川にナイフを放り投げます。
この本は子どもたち向けに書かれた児童書です。
戦争中の子どものことを書いていますが、戦争のことをいいとか悪いとか書いていません。信州の山奥の町のことですから、沖縄のように住んでいたところが戦場になったり、東京のように空襲で火の海の中で逃げ惑ったり、広島や長崎のように一瞬で周りの人たちが焼け爛れた・・・という経験もありません。
少年は13才~14才、2つくらい上の年代の子どもたちは学徒動員で工場勤務、予科練、満蒙開拓青少年義勇軍など志望することを教員から勧められました。
不幸な時代の記録です。
《蛇足》
井出孫六(1931年生まれ)・・・作家、「秩父困民党群像」(新人物往来社1973年刊)は逆賊と呼ばれた秩父困民党の事件に陽の目を浴びさせ、「終わりなき旅」(岩波書店1986年刊)は中国残留孤児の問題を日本人全体に考えさせるきっかけになりました。
実家は江戸初期、元禄のころには既に酒屋株を持っていた酒造家。長兄は三木内閣の官房長官を務めた政治家井出一太郎、孫六という名前は兄と19歳差の六男という意味か?、1903年生まれの長姉が女性運動家の丸岡秀子(日本母親大会の立ち上げ時のメンバー)。
配属将校・・・皇国の皇民を教育するために旧制中学校以上に軍隊から配属された現役将校。ほかに現場で実際に教練を行う退役将校もいた。国民皆兵だから当たり前といえば当たり前だが思想統一教育も行い、教師の思想調査も行ったのではないかと思う。
いわゆる児童書です。児童書の書架には別の本を探しにいってこの本を見つけ気になって借りたのです。
今日は8月15日・・・この本のことをブログにして紹介しようと思いました。
本の名前は・・・
「八月十五日 ぼくはナイフをすてた」
戦争の中の僕の中学時代(井出孫六著 ポプラ社1998年刊)
信州佐久地方の小さな町の少年が太平洋戦争の真っッ最中の1944年(昭和19年)4月、むかしの県立中学校に進学して、1945年8月敗戦を迎えるまでのことを書いた本です。著者にとって50年以上むかしのこと、当時の友だちとの話をつなぎ合わせ記憶をたどり書いたものと思われます。
プロローグは中学受験の口頭試験から始まります。尊敬する人を聞かれてなぜか野口英世と答えてしまいます。将来の進路を聞かれて医学部と答えます。幼年学校、予科練という進路を促されると、軍医になってお国のために尽くしたいと答えます。前線で戦う勇気がなかったのかもしれません。
入学後、配属将校のこと、教練教師のこと、勤労奉仕のこと、学校の一部が工場になったこと、晴耕雨読で晴れた日は校庭でサツマイモを作り、勉強は雨の日だけというような学校生活を送り、やがて敗戦の日を迎えます。
8月15日の重大放送、校庭に集まって聞くのですが雑音が多くて何がなんだか記憶があいまいです。
8月25日、進駐軍が到着する日、少年はひそかに登山ナイフを研ぎます。アメリカ兵が子どもたちを銃剣で刺し殺し、家に押入って略奪し、女を追いかけ乱暴するという事態に備えて、「You shall die!」と叫んで差し違えを覚悟したのです。けれど何も起こりませんでした。ジープに乗ってやってきたアメリカ兵は陽気でチュウインガムを子どもたちの投げて帰っていきました。
脱力感におそわれた少年は滔々と流れる千曲川にナイフを放り投げます。
この本は子どもたち向けに書かれた児童書です。
戦争中の子どものことを書いていますが、戦争のことをいいとか悪いとか書いていません。信州の山奥の町のことですから、沖縄のように住んでいたところが戦場になったり、東京のように空襲で火の海の中で逃げ惑ったり、広島や長崎のように一瞬で周りの人たちが焼け爛れた・・・という経験もありません。
少年は13才~14才、2つくらい上の年代の子どもたちは学徒動員で工場勤務、予科練、満蒙開拓青少年義勇軍など志望することを教員から勧められました。
不幸な時代の記録です。
《蛇足》
井出孫六(1931年生まれ)・・・作家、「秩父困民党群像」(新人物往来社1973年刊)は逆賊と呼ばれた秩父困民党の事件に陽の目を浴びさせ、「終わりなき旅」(岩波書店1986年刊)は中国残留孤児の問題を日本人全体に考えさせるきっかけになりました。
実家は江戸初期、元禄のころには既に酒屋株を持っていた酒造家。長兄は三木内閣の官房長官を務めた政治家井出一太郎、孫六という名前は兄と19歳差の六男という意味か?、1903年生まれの長姉が女性運動家の丸岡秀子(日本母親大会の立ち上げ時のメンバー)。
配属将校・・・皇国の皇民を教育するために旧制中学校以上に軍隊から配属された現役将校。ほかに現場で実際に教練を行う退役将校もいた。国民皆兵だから当たり前といえば当たり前だが思想統一教育も行い、教師の思想調査も行ったのではないかと思う。
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