信州上田の・・・六文銭の写真帳
1月18日・・・厳冬の小諸散策・・・小諸城址懐古園にやってきました。千曲川の段丘、崖上にある小諸城址、戦国時代の1487年佐久大井荘地頭として勢力を張った大井家の大井光忠が築城したといわれ、1554年甲州武田氏の支城として山本勘助の縄張(土木設計)によリ現在の城構えになったとされていますが定かな史料はないようです。江戸時代初代小諸藩主千石秀久の1610年代に三重の天主などの城が建てられましたが1626年落雷により焼失、大手門、三之門だけが残ってます。それが今の懐古園です。
小諸城に関係する遺構を尋ねます。
小諸城址懐古園前の(三の門」{1615年建造、1742年洪水のため崩壊、1765年再建、国指定重要文化財)扁額は徳川家達(徳川宗家16代)の書。
小諸城大手門(1612年建造、国指定重要文化財)・・・小諸駅に近い街の中の一角にポツンとに建っています。
明治維新で民間に払下げ、料亭になったり小諸義塾の教室になったり、いろいろあって2008年修復、復元。
本町通りを北に向かって上って行くと突き当りに天機山傳通院光岳寺・・・総門・・・
江戸時代の小諸城の足柄門(1596年建造)、明治維新後に移築。
※画像クリックで説明板が。
小諸城大手門(1612年建造、国指定重要文化財)・・・小諸駅に近い街の中の一角にポツンとに建っています。
明治維新で民間に払下げ、料亭になったり小諸義塾の教室になったり、いろいろあって2008年修復、復元。
※画像クリックで説明板が。
本町通りを北に向かって上って行くと突き当りに天機山傳通院光岳寺・・・総門・・・
江戸時代の小諸城の足柄門(1596年建造)、明治維新後に移築。
鍋蓋城址・・・小諸市本町通りの交差点近く・・・1484年佐久大井城(現佐久市岩村田)の大井氏が葛尾城(現坂城町)の村上義清に滅ばされ小諸の地で再興して鍋蓋城を造った。1487年小諸城の築城といわれますから、仮住まいだったのでしょうか。
江戸時代は小諸藩城代家老屋敷・・・現在の建物は昭和時代に作られた住宅・・・とても城址とは思えないが・・・遺構といえるかどうか?
江戸時代は小諸藩城代家老屋敷・・・現在の建物は昭和時代に作られた住宅・・・とても城址とは思えないが・・・遺構といえるかどうか?
※撮影日は1月18日。
※コメント欄開いています。
前の日が雨でしたが、訪ねた日はよく晴れてました。浅間山頂に雪が積もりましたょ。
前に来た友がおいしいソバ屋があると連れて行ってくれたのが、「そば処 菖蒲庵」でした。
小諸市街と浅間連山と千曲川を見渡される立地もご馳走でした。
お店すすめの「おろしぶっかけそば」が、とてもおいしかったです。お店の庭にヘリコプターが3台下りられるということでした。
信州のお蕎麦屋さんは概して二八蕎麦で値段が安い、量が多いのが特徴です。
信州の秋を楽しまれたことが写真で拝察いたししました。