信濃路・・・JR東日本HB-E300系「リゾートビューふるさと」が早苗田の安曇野を走っています。
背景の有明山(2268m)は安曇富士と呼ばれ安曇野を象徴する山。有明山の後方に燕岳(つばくろだけ 2762m)、左後方に大天井岳(おてんしょうだけ 2921m)、常念岳(2857m)、飛騨山脈系の展望ビューポイントなんですが、雲に覆われていました。
・・・ではじまる・・・1913年発表の唱歌「早春賦」は東京音楽学校(現東京芸大)教授、文部唱歌編集委員長の吉丸一昌がこの地を旅して、その情景を歌ったものといわれます。作曲は中田章。この歌がつくられてから100年余、いま唱歌の枠を超えて「日本の心の歌」になっています。吉丸先生がどこを逍遥してこの歌を発想したかは定かではないようですが、この近くの穂高川(乳房川ともいう)の畔に「早春賦の碑」があります。
※安曇野(あずみの)・・・福岡県糟屋郡阿曇郷(現在の福岡市東部、滋賀島に通じる海の中道の付け根のあたり)に住した海の仕事を生業とする一族(阿曇族)が7世紀、何らかの理由で全国に散じたといわれ各地に安曇、阿曇、厚見、渥美、熱海、温海、安積、安住などの地名がありますが・・・ここ安曇野はそのひとつ。日本海から姫川を遡ってこの地(姫川上流域、高瀬川流域、梓川流域)に入り、律令時代から信濃国安曇郡(あずみごおり)と呼ばれていました。
背景の有明山(2268m)は安曇富士と呼ばれ安曇野を象徴する山。有明山の後方に燕岳(つばくろだけ 2762m)、左後方に大天井岳(おてんしょうだけ 2921m)、常念岳(2857m)、飛騨山脈系の展望ビューポイントなんですが、雲に覆われていました。
JR大糸線、細野駅~安曇追分駅間。
春は名のみの 風の寒さや
谷のうぐいす 歌は思えど・・・
谷のうぐいす 歌は思えど・・・
・・・ではじまる・・・1913年発表の唱歌「早春賦」は東京音楽学校(現東京芸大)教授、文部唱歌編集委員長の吉丸一昌がこの地を旅して、その情景を歌ったものといわれます。作曲は中田章。この歌がつくられてから100年余、いま唱歌の枠を超えて「日本の心の歌」になっています。吉丸先生がどこを逍遥してこの歌を発想したかは定かではないようですが、この近くの穂高川(乳房川ともいう)の畔に「早春賦の碑」があります。
※安曇野(あずみの)・・・福岡県糟屋郡阿曇郷(現在の福岡市東部、滋賀島に通じる海の中道の付け根のあたり)に住した海の仕事を生業とする一族(阿曇族)が7世紀、何らかの理由で全国に散じたといわれ各地に安曇、阿曇、厚見、渥美、熱海、温海、安積、安住などの地名がありますが・・・ここ安曇野はそのひとつ。日本海から姫川を遡ってこの地(姫川上流域、高瀬川流域、梓川流域)に入り、律令時代から信濃国安曇郡(あずみごおり)と呼ばれていました。
※「リゾートビューふるさとシリーズ」はこれで終了。撮影はすべて6月7日、 Panasonic LUMIX DMC-GH2 14~140mm。
http://miuraongakukyoushitsu.web.fc2.com/cafe.html
↑をご覧ください。
偶然とはいえ、なんか嬉しくなりました。
美しい日本とは、物質文明の豊かさでなく、心の豊かさのはずです。
水田が広がり、社の森があって、河が流れていて、里山があって、高い峰々がある。国土の70%が山岳地帯の日本は資源が乏しい。それでも昭和までは大きな戦争をしないで来ました。そしてあの戦争以来70年、戦の無い時代を過ごしました。
美しい日本とは戦をしない国、戦に巻き込まれない国です。
この風景は、これより少し前の田植え勅語が最も美しいといわれています。
何と美しい憧憬でしょうか。
ずっと見ていたい衝動に駆られます。
何日も更新せずにいて欲しいものです・が・そうもゆきませんね。
日本の原風景とはこう言う情景なんですね。
お見事と言わずして何と言えば良いのでしょう・・心に残る『鉄道風景』の極みです。
こちらが舞台でしたか。
これからはこの山並みをイメージして歌うことにします~
春はお山にはまだ雪が残っているのでしょうね。
信州らしい美しい景色と思います。
電車とのマッチング、良いですね! 早苗田の緑が映えて。
天候、シーズン、順光などすべての条件がそろうのは難しいです。
画像の出気はともかく構図は気に入ってます。スポットは国道から県道に、農道に入り探索しました。「好き」と「執念」です。
このスポットは水田に水を張ったばかりの5月が最高でしょうね。
上高地に行った帰りにぜひお寄りください。
右のフォトチャンネル「日本鉄道」の表紙を変えました。滝シリーズの表紙も竜頭滝に変えました。
ボツボツ、バイクはじめられそうですか。