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「沈黙の春」のレイチェル・カーソンの生誕100年です。
私はこの人のことを知りません。「沈黙の春」にしても流し読みにした程度です。
1962年 「Silent Spring」が発刊されます。レイチェル55歳のときです。
1964年 「生と死の妙薬」という題で邦訳されます。
1974年 原題のままに「沈黙の春」と改題されて再発行。
1965年 石牟礼道子が水俣病について執筆を開始。1969年「苦界浄土」として刊行。
1969年 新田次郎が富山県神通川のイタイイタイ病について小説「神通川」を発表。
1974年 「複合汚染」という小説を有吉佐和子が発表。
「沈黙の春」(Silent Spring)の序章です。
1. 明日のための寓話
アメリカの奥深くわけ入ったところに、ある町があった。生命あるものはみな、自然と一つだった。豊かな田畑が碁盤の目のようにひろがり、穀物畑の続くその先は丘が盛りあがり、斜面には果樹がしげっていた。・・・・・・(中略)
ところがどういう呪いをうけたのか、暗い影があたりにしのびよった。いままでで見たこともきいたこともないことが起こりだした。若鶏はわけもわからぬ病気にかかり、牛も羊も病気になって死んだ。・・・・・・(中略)
アメリカでは、春がきても自然は黙りこくっている。そんな町や村がいっぱいある。いったいなぜなのか。そのわけを知りたいと思うものは、先を読まれよ。
1960年代 私の家内の父がポリドール(パラチオン)中毒で入院騒ぎを起しました。
有機リン系農薬です。稲の害虫に画期的な農薬でした。1952年農水省登録、1971年失効。各地で死者も出た恐ろしい毒薬です。
人と自然は共存しているというのは幻想でしょうか。人間の作ったもののために自然が破壊されてきたという事実。鉄などの金属を作るため緑を破壊し毒物をタレ流してきたのはもう数千年になります。日本では足尾銅山が19世紀末に、三井神岡鉱山のイタイイタイ病が20世紀初頭に、チッソの水俣病が報告されたのが1956年です。
この話の続きは次回を読まれよ。
私は、この方も知りませんし、本の存在すら知りません。アメリカもやっと大気汚染問題(CO2)の問題を真剣に考えるようになって来ましたね。私は仕事以外に車を使用致しません。なぜなら車が無いから(当たり前)乗らないので10数年前に処分、必要に応じた交通機関を利用しております。世の中、便利になれば成るだけ自然環境が壊されて行き、いずれは人間に影響を及ぼして,いや今まさにその時が来ている様に思われます。日本もかつて、さまざまな公害問題を引起して来ましたが、今の中国は急速な経済発展で一度に諸問題を抱えています。長くなりますので結論を、
私たち一人一人が環境問題に対して何が出来るのか?
何をすれば良いのか? 自分が出来る身近な事から何か一つでもやって行けばと思っています。
正直言って私にも公害のことはわかりません。四日市喘息といっても分かりません。水俣病にしても遠い九州のことかと思ってました。化学物質は分解せずに土にも水にも蓄積してゆくようです。孫子の代にまで溜まってゆくといわれます。オロオロするだけです。
車社会、普及してるのは農村部です。一家に3台はあります。農耕用、通勤用、主婦のパート用、いろいろです。私のところも過疎地です。バスも電車もありません。これも両刃の剣です。ちなみに私の義妹のところは東京ですので車は使ってません。
難しい問題です。
山法師さんの言われるとおり何をすればいいのか自問自答です。次の世代のために答えを見つけねばなりません。