比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
写真、文章のリンク自由。

渡良瀬遊水地・・・延命院の鐘

2008-05-22 | 語り継ぐ責任 公害・被ばく・環境
渡良瀬遊水地の中、旧谷中村の役場跡から葦原の間の道を雷電神社、延命院、そして共同墓地の跡にやってきました。
その遺構は小高い丘と位置を示す柱以外は何もありません。

雷電神社跡・・・かつて深い緑の杜に囲まれていたであろう社(ヤシロ)は1本の木と1本の柱だけです。ここは谷中村の鎮守様というだけでなく、公害にたいして田中正造がムラビトと一緒にたたかった砦のようなものでしょうか。

説明板の文章を読むと100年近くなる「公害の原点」とも言うべき谷中村のことが見えてきます
ムラビトたちの菩提寺・・・「真言宗雷臺山谷福寺延命院本宮跡地
延命院の梵鐘・・・伝言箱
この梵鐘は1741年鋳造のもの。ふとしたきっかけで埼玉県久喜市の火の見櫓の半鐘が延命院の梵鐘と判明(鐘の裏の刻印で鋳造年や郡村名が)、返還されて藤岡町の歴史資料館に、レプリカがここにおかれているようです。
伝言箱・・チョット邪魔な人物に遮られていますが鉄製の赤い箱があります。連絡ノートとそれをまとめた「谷中村たより」がありました。

連絡ノート」より・・「谷中村たより。
富山から来ました・・・
水俣から来ました・・・
主人も今年亡くなり思い出の地で鐘を鳴らして帰りました・・・
阿賀地蔵建立のために雲竜寺にやってきました・・・
戦争も公害もない年に、がんばりましょう・・・
主人と快気祝いのハイキングです・・
目をつむって耳をすませると心が落ち着きました・・・

渡良瀬川の最上流の足尾銅山、そしてこの谷中村をつなぐ線が近代日本の公害の原点です。そしてそれが富山神通川イタイイタイ病、水俣病、阿賀野川新潟水俣病、四日市喘息、アスベスト公害と続いてきました。近代日本の国力強化と人間の生命の大事さとどう折り合いをつけてきたのでしょう。

    ヨシキリと 延命院の鐘 ハ~モニ~
                            比企の丘人

延命院の鐘、ふりかえればムラビトたちの墳墓の丘です。


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6 コメント

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Unknown (自然を尋ねる人)
2008-05-22 22:19:02
話すも涙、聞くも涙の公害問題。
その原点がこの地ですか。
桑のみが赤くなり始めたこの時期にこの記事が紹介されたの葉何か意味があるような気がしてなりません。
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ヒキノさんありがとう・・・・ (縄文人)
2008-05-23 08:28:17
 いまこうして「渡良瀬遊水地・・・延命院の鐘」
の内容を読ませていただきあの時は、ただ通り抜けた場所が鮮明に蘇ってきました。(団体行動でしたので)

 人は年月を過ぎると歴史的事実として知るのみですが、当時の村人たちそして子・孫がここを訪れて小高い丘に立ったとき万感胸に迫る思いがあることでしょう。関係者の人たちから見ればホンの一握りしか知らない我々が、何をどう伝えていってよいか計り知れないものがあります。

 そうだったですか『鐘』は、
延命院のものそして久喜までの地へ行きそれが戻ってこの地に再現された。

 この地は湿地帯、たくさんの葦が生い茂っている。
今時分は、訪れる一人ひとりに、ヨシキリが語りかけているようでならない。

 足尾銅山の地に足を踏み入れた者にしてみますと『公害』の広がりが実に大きかったのだと改めて詠む事ができました。

つたないレポートですが、
  私の行った時のものです。
http://blog.goo.ne.jp/tsyouji5243_001/e/27bb6195e1de899f1e20b54d5af00bf3

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Unknown (オールドレディー)
2008-05-23 08:46:33
やっと爽やかな初夏の季節がやってきました。
野山を散策するには最高なシーズンですね。

沖縄は入梅、本州は6月中ごろでしょうか、もうまもなくうっとうしい日が続くようになります。

若葉の美しい今のうち、あちこち足を伸ばして史跡の紹介をしてください。
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五月雨の合間の晴れた日に (自然を尋ねる人さんへ・・ヒキノ)
2008-05-23 10:12:54
ここを訪ねました。ハイキングのつもりでした。
ここは100年前の
とんでもない政財官のトロイカが突っ走ったところです。日本の国益に良かったか悪かったかはわかりません。考えています。
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縄文人さんのブログで (縄文人さんへ・・ヒキノ)
2008-05-23 10:25:20
知った谷中村。訪ねてみてほんの少しわかってきました。今はネット時代でいろいろ調べられますね。
縄文人さんにつられて一句を供えています。

実は貴ブログのリンクを貼ろうと思ってましたが、推敲中に、コメントで送ってもらいました。改めてこのブログと、足尾のブログを本文中に入れる予定です。
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温故知新 (レディーさんへ・・ヒキノ)
2008-05-23 10:31:59
「知らない街を訪ねてみたい」そんな歌がありました。何か現代に通じるものがあるはずです。
100年前、この闘争がなかったら、公害問題はもっとひどいことになってるでしょうね。
田中正造は狂人として葬られ、ムラビトは神様として祀りました。この人たちはいまならアカと呼ばれるのでしょうか。
むかしもいまも政財官は同じことをしてるようです。
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