今日は何の日・・・63年前の8月9日11時02分・・・長崎市にアメリカ軍により原爆が投下された日です。
9日未明テニアン島から出撃した米軍戦略爆撃機は9時40分第一攻撃目標地の小倉市(現北九州市)上空に到着、爆撃準備にかかりますが、さまざまな理由で断念、第二攻撃目標地の長崎市に向かいます。10時50分長崎市上空に、11時2分プルとニューム原子爆弾「ファットマン」が投下されます。爆心地の近く浦上天主堂ではミサの最中、神父さんはじめ信者の方々が一瞬のうちに瓦礫の下に。
死者74000人、1発で22000㌧火薬弾相当、広島の1.5倍相当。広島より死者が少なかったのは地形上の問題。(長崎市への原子爆弾投下・・Wikipedia参照)
ここに1冊の本があります。ボロボロです。なぜか私の手元にあります。
永井隆著「長崎の鐘」
永井隆(1902~1951年)長崎大学教授・・奥様は爆死・・・自らも被爆、病をおして被爆者の治療にあたり病床に臥したあとに数々の著書を残しました。
発行は昭和24年1月、同24年2月再版、発行所は日比谷出版社、発行人は式場俊三、製作者は畑太郎とあります。
※わたくしごとですが、製作者の畑太郎さん・・・わたしがたいへんお世話になった方です。人生の恩人とも言える方です。話がそれました。
永井博士が浦上天主堂を見下ろす丘の上のオンボロ屋「如己堂」で書きのこした「長崎の鐘」、この本をもとに親交のあった式場隆三郎(医学博士、文芸畑でも活躍、画家山下清を世に出したことで有名)がレコードをプロジュース、生まれたのが不朽の名曲「長崎の鐘」です。
本の発行者式場俊三、このかたと式場博士とどう関係があるか調べましたが不明でした。
永井博士のこととこの歌が生まれるいきさつについては「二木紘三のうた物語」を参考にしました。素晴らしい文章です。ぜひ一読してください。歌詞もメロディーもあります。
今日は「ナガサキ忌」・・・・・・・合掌
原爆という無差別大量殺戮兵器の行使・・・パンドラの箱を2度も開けてしまったアメリカ。
60有余年たった今も戦争の早期終結のためにという「免罪符」のような言葉を守るしか方法がありません。戦争というものはそういうものかも知れません。でも次にパンドラの箱が開けられたとき、何百万人どころか何千万人が野垂れ死にすることは間違いありません。東京に数発落ちたことを考えてみてください。
いま、世界のどこかで行われている戦争は国益とか権益とか、そういうもので誰かが得をしています。それがエスカレートしていくと狂気になります。
そんなことにならないために世界にどうメッセージを送るか。被爆国日本の責務です。
2006.8.9のブログ「長崎原爆落下の日」
2006.9.14のブログ「長崎の鐘・・浦上天主堂・・平和祈念像」
2007.8.9のブログ「長崎の鐘」
9日未明テニアン島から出撃した米軍戦略爆撃機は9時40分第一攻撃目標地の小倉市(現北九州市)上空に到着、爆撃準備にかかりますが、さまざまな理由で断念、第二攻撃目標地の長崎市に向かいます。10時50分長崎市上空に、11時2分プルとニューム原子爆弾「ファットマン」が投下されます。爆心地の近く浦上天主堂ではミサの最中、神父さんはじめ信者の方々が一瞬のうちに瓦礫の下に。
死者74000人、1発で22000㌧火薬弾相当、広島の1.5倍相当。広島より死者が少なかったのは地形上の問題。(長崎市への原子爆弾投下・・Wikipedia参照)
ここに1冊の本があります。ボロボロです。なぜか私の手元にあります。
永井隆著「長崎の鐘」
永井隆(1902~1951年)長崎大学教授・・奥様は爆死・・・自らも被爆、病をおして被爆者の治療にあたり病床に臥したあとに数々の著書を残しました。
発行は昭和24年1月、同24年2月再版、発行所は日比谷出版社、発行人は式場俊三、製作者は畑太郎とあります。
※わたくしごとですが、製作者の畑太郎さん・・・わたしがたいへんお世話になった方です。人生の恩人とも言える方です。話がそれました。
五月のはじめ、NHKテレビである曲が流れてきました。
サトーハチロー作詞・古関裕而作曲・藤山一郎歌
名曲「長崎の鐘」です。
サトーハチロー作詞・古関裕而作曲・藤山一郎歌
名曲「長崎の鐘」です。
永井博士が浦上天主堂を見下ろす丘の上のオンボロ屋「如己堂」で書きのこした「長崎の鐘」、この本をもとに親交のあった式場隆三郎(医学博士、文芸畑でも活躍、画家山下清を世に出したことで有名)がレコードをプロジュース、生まれたのが不朽の名曲「長崎の鐘」です。
本の発行者式場俊三、このかたと式場博士とどう関係があるか調べましたが不明でした。
永井博士のこととこの歌が生まれるいきさつについては「二木紘三のうた物語」を参考にしました。素晴らしい文章です。ぜひ一読してください。歌詞もメロディーもあります。
画像はテレビ画面の映った永井博士の歌です。アコーディオンを携えて博士の病床を訪ねた藤山一郎におくったといわれます。
藤山一郎は生涯「この歌の心」を胸に抱いて「長崎の鐘」を歌ったんだなあと思いました。
藤山一郎は生涯「この歌の心」を胸に抱いて「長崎の鐘」を歌ったんだなあと思いました。
今年は永井博士生誕100年です。
この日、歌ったのは盲目のテノール歌手新垣勉さん。聖職者でもあります。
「祈り」をこめた素晴らしい歌でした。
この日、歌ったのは盲目のテノール歌手新垣勉さん。聖職者でもあります。
「祈り」をこめた素晴らしい歌でした。
今日は「ナガサキ忌」・・・・・・・合掌
原爆という無差別大量殺戮兵器の行使・・・パンドラの箱を2度も開けてしまったアメリカ。
60有余年たった今も戦争の早期終結のためにという「免罪符」のような言葉を守るしか方法がありません。戦争というものはそういうものかも知れません。でも次にパンドラの箱が開けられたとき、何百万人どころか何千万人が野垂れ死にすることは間違いありません。東京に数発落ちたことを考えてみてください。
いま、世界のどこかで行われている戦争は国益とか権益とか、そういうもので誰かが得をしています。それがエスカレートしていくと狂気になります。
そんなことにならないために世界にどうメッセージを送るか。被爆国日本の責務です。
2006.8.9のブログ「長崎原爆落下の日」
2006.9.14のブログ「長崎の鐘・・浦上天主堂・・平和祈念像」
2007.8.9のブログ「長崎の鐘」
過去のBlogにコメントいただくのは嬉しいものです。
皆さんに読んでいただきたい。そんな願いをこめて語り継ぎたいテーマをカテゴリーにまとめてあります。
平和への祈りの心を周りの人にお伝えください。
二木さんの 歌のHP よく 聞きます。
長崎の鐘から ここのプログにたどり着きました。
永井博士は素晴らしい人だったですね。
この子を残して 是非読んでみたいです。
永井博士の記念館(三刀屋町)にも 行ってみたい。
素晴らしい プログです、皆様のコメントもよい。
戦争は残酷です。山崎豊子の 大地の子 も涙が
でました。
さあ即読ませていただきたいと思いますが、コメントのレスで忙しくて明日になります。
明日(実はもう今日)隣町にある映画の夕べに行ってきます。
丸木美術館も一度訪れてみたいところです。
戦争、この世の中で最大の犯罪で、最大の環境破壊!なのに、なぜ、地球上から無くならないんでしょう。
極々一握りの人たちの権力や利権に踊らされているのは「もう嫌」だと大声で叫びましょう。
誰も戦争を望んでいません。特に命をこの世に生み出した母親は、絶対に自分の子供を、世界中の子供を戦場に送ろうとは思いません!!
私も15日・16日と、戦争の関しての書き込みを予約しました。ご笑覧いただければ幸いです。
開会式・・・見ませんでした。ああいう全体主義の国お祭りは上手なのです。一糸乱れずやります。長野オリンピックの閉会式、あんなふうに乱れた式が好きだなあ。
この本を読むとアメリカ軍の悪口は書いてありません。すべて「神の啓示」に置き換えてあります。永井隆は島根三刀屋の育ち、大変な人物です。
仲良くして欲しい・・・
「人類は今や自ら獲得した原子力を所有することによって、自らの運命の存滅の鍵を所持することになったのだ」
この本が占領下で許可されたのは医師であり宗教者である著者が渾身の力を振り絞って言葉を選んで後世に自分のメッセージを伝えたかったのでしょう。
熊谷地方(埼玉)では昨日40度を記録したとか話題になっていました。
やっとパソコン復旧しました。
つたないblogですが、またよろしくお願いいたします。
いよいよ北京オリンピックも開会されました。
「日本ガンバレ」のもとにTV観戦いたします
先日タモリさんが白紙の弔辞をおそまつ君に詠んだとか出ニュースなっていましたがこちらはぼろぼろの本が残っているようでこれは大変貴重なものと推察いたします。
戦争のおろかさ痛ましさ良くわかります。
それでも人間は相変わらず人間同士が戦うわけですから不思議なものです。
いつまでたっても 無くならないのが 悲しいです
先程、長崎の平和祈念式典を見ていたら、長崎市長の平和宣言の中で、永井博士の言葉が引用されていました。
「戦争に勝ちも負けもない。あるのは滅びだけである」という博士の言葉。この内容に奥深さを感じました。
永井博士の生き方そのものと共に、関心を強くしています。本も機会を見て読んでみたいと思いました。