比企の丘

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春の佐久平・・・日本最古1875年建築の・・・コロニアル風の擬洋風建築・・・旧中込学校を尋ねた

2021-04-22 | 信濃の国は 上田・佐久・東信濃
信州上田の・・・六文銭の写真帳

3月17日、春の佐久市野沢から中込方面へ・・・国の重要文化財「旧中込学校」を尋ねました。・・・

旧中込学校・・・1872年明治政府は学制を発布、翌1873年長野県佐久郡下中込村、今井村、三河田村の3ヶ村組合村では下中込村の少林寺を仮校舎にして成知学校を開校、1875年校舎を建設、1876年中込学校と改称。1919年新校舎建設。以後、この建物は中込町役場。、公民館、佐久市中込分室、開発公社などに。1966年県宝指定、1969年国の重要文化財に。
建築は下中込村出身の大工の棟梁市川代治郎が請負、当初予算380円、最終建設費は膨らみに膨らみ6000円、アメリカ渡航経験を持つ市川代治郎はアメリカのコロニアル建築、横浜居留地の外人住宅の設計を取り入れ贅を尽くした擬洋風建築を完成させました。膨大に膨らんだ建築費は村内篤志家の寄付と村民の負担によりほとんどを賄ったが、後に村の財政に大きな負担を及ぼしたそうです。それにしても大雑把な建築見積をしたものです。そしてそれを許したのは江戸時代から明治時代のはじめ、この村は裕福だったからと思われます。

旧中込学校・・・明治維新から9年後、学制発布から3年後の1875年建築の小学校、日本最古・・・です。
長野県に残るもう一つの擬洋風建築の・・・松本の開智学校(国宝)は1年後の1876年の建築です。



建築床面積259.4㎡、木造2階建て、、寄棟妻入り玄関、玄関ポーチ、正面ベランダ、八角屋根の搭屋は典型的なコロニアル風。




※撮影日・・・3月17日。
佐久市中込・・・佐久平の中心部、千曲川を挟んで右岸に佐久市中込、左岸に佐久市野沢。中込地区は1889年下中込村、瀬戸村が合併して中瀬村に、1899年中込村に改称、1919年中込町に、1956年内山村、平賀村を合併、1961年浅間町、東村、野沢町、中込町が合併して佐久市に。中込地区と野沢地区は町制が違う公共団体でしたが、千曲川の右と左だけの違い、経済圏としては同じように見えます。江戸時代は岩村田藩の陣屋町。富岡街道(国道254号線)が町内を横断、甲州往還、中山道、北国街道にも近く、交通、物流の要衝となり街道町、問屋町、市場町として栄えました。
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