5月15日、軽井沢を散歩してから上田にやって来ました。稲倉の棚田です。
青いジャージーの体育用制服の子どもたち。
入口近くで歩いていた子どもの胸の名札に「佃中学校」と書かれていた。「東京から来たの」と聞いたら「ハイっ」と答えてくれました。
東京都中央区佃・・・チャキチャキの都会っ子たち。ヌルヌルとした田んぼの泥の感触、一生忘れないでしょうね。
今年最初の田植えは佃中学校、このあと埼玉の伊奈中学校、新座中学校、東京の日本橋中学校、各地から棚田オーナー・・・と続いているようです。
青いジャージーの体育用制服の子どもたち。
入口近くで歩いていた子どもの胸の名札に「佃中学校」と書かれていた。「東京から来たの」と聞いたら「ハイっ」と答えてくれました。
東京都中央区佃・・・チャキチャキの都会っ子たち。ヌルヌルとした田んぼの泥の感触、一生忘れないでしょうね。
今年最初の田植えは佃中学校、このあと埼玉の伊奈中学校、新座中学校、東京の日本橋中学校、各地から棚田オーナー・・・と続いているようです。
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※上田市ホームページ農産物・農林業より「稲倉の棚田」・・・概要、オーナー制、イベントなど詳しい情報が→クリック
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※私のブログを読者登録してくださっている「池 千之助 信州ありふれた写真」より・・・→クリック
今、いろんな体験をする場が少しづつ広がってきていることに拍手を送っています。
横浜の孫も、山梨に来てキャンプ体験をしました。
新潟の棚田も能登の棚田も姨捨の棚田もここの棚田も、こうした体験学習の場とかオーナー制とかで賑わっていますが限界があります。
どうすればいいか、次の世代に考えてもらいたいです。
思えば、あの戦争に負けたとき、日本に餓死者が出なかったのは水田とお百姓さんがいたからです。