信州上田の・・・六文銭の写真帳
初冬の中山道・・・「是より南 木曽路」の碑から贄川宿・・・平沢間の宿・・・奈良井宿・・・福島宿、さらに南へと進んできました。
中山道42番「妻籠宿」です。
「妻籠宿の高札場」です。
☆幕府の、藩の・・・いまでいう官報を貼りだしました。字の読めないものは誰かに読んでもらったのでしょうね。
むかし(明治時代)の郵便局です。資料館になっています。出梁造、竪繁格子、江戸時代そのままです。
口留番所の跡(跡だけです)です。
口留番所・・・戦国時代から江戸時代の初めまで、交通の要所に設けた交通や物流の監視所。通行料の徴収も行った。
江戸幕府になって関所に変わっていき、各藩の番所は禁じられたが、物流の制約、脱藩、犯罪者の追跡、百姓逃散などを監視するため続けられたところも。
☆幕府の、藩の・・・いまでいう官報を貼りだしました。字の読めないものは誰かに読んでもらったのでしょうね。
むかし(明治時代)の郵便局です。資料館になっています。出梁造、竪繁格子、江戸時代そのままです。
口留番所の跡(跡だけです)です。
口留番所・・・戦国時代から江戸時代の初めまで、交通の要所に設けた交通や物流の監視所。通行料の徴収も行った。
江戸幕府になって関所に変わっていき、各藩の番所は禁じられたが、物流の制約、脱藩、犯罪者の追跡、百姓逃散などを監視するため続けられたところも。
※撮影日は11月27日、
※コメント欄オープン。
古き良き、昔の旅籠、集落を見せて貰い大変勉強になりました。
どうしても1つだけ疑問点が残るんです。
妻籠、馬籠、贄川、奈良井等々ポイントの写真拝見しました。
昔は中山道を行き来する人たち、山に出入りする林業、木工(ウルシ・木工品等)でそれなりの生活の糧が得られたのでしょう。 現在はその当時と違い天と地ほどの差異があります。観光客とて車で1直線、山の林業とて衰退の一途…。
街の保存で「売らない、貸さない、壊さない」一致団結。。
此処で暮らす人たちの
≪生活は何をどのようにして生計を立てているのか・・・・!?≫
この辺が大きな疑問となりました。
比企野さんは、こちら長野のお方、何か見たり聞いたり学んだことで知っていたら教えてください。
≪生活は何をどのようにして生計を立てているのか・・・・!?≫
この辺が大きな疑問となりました。
縄文人さんと同じ疑問がわきます。誰でもがそう思うと思います。
越生の山で聴きました。昭和30年代までは十分食って行けたそうです。間伐、下刈りなど仕事は十分あったそうです。
今は全国のヤマの民は年寄りだけになっていくそうです。テレビの「山の中の一軒屋」という番組が物語っています。
今は多くの農家は兼業農家、三チャン農家(母ちゃん、爺ちゃん、ばあちゃん)でご主人はお勤めに。機械で田植えはGW,、稲刈りはお彼岸の3連休にしています。家の周辺の農家さんはほとんどそうです。馬籠、妻籠あたりの山の民は岐阜県中津川市あたりにお勤め・・・だろうと思います。今は車社会ですから通勤が容易になりました。
吉田の山奥の集落もそうしてると思います。
ただただ健闘を祈るのみです。
ネットでググると奈良井、妻籠、馬籠の観光客集客数は年間約60万人。経済的には一部の店だけで村全体というわけではありません。現状を維持すること・・・たいへんだろうと思います。
古い文化を守る、住民の思いに感謝です。