・・・彩風人の写真帳・・・
(比企の丘からブログのギャラリー開放です)
彩風人の旅は・・・函館から青森に戻り、八戸から久慈へ、久慈から三陸鉄道各駅列車で宮古へ。(比企の丘からブログのギャラリー開放です)
田野畑駅に着きました。北リアス線の鉄道はここで分断されて小本駅までバスになります。
2012年4月1日復旧、さくらのラッピング、「キットずっとカンパネルラ田野畑駅」のラッピングはネスレ日本の協賛だそうです。
2012年4月1日復旧、さくらのラッピング、「キットずっとカンパネルラ田野畑駅」のラッピングはネスレ日本の協賛だそうです。
カンパネルラは宮沢賢治の小説「銀河鉄道の夜」の登場人物に因んで。
田野畑村・・・人口3590人、漁業を中心とするこの村はあの大震災で漁船565隻のうち512隻を失い、死者行方不明者39人、漁業施設のすべてが壊滅、漁業被害だけで村の財政の2倍の76億円に及ぶとか。
田野畑駅から代替バスで「小本駅」へ。
鍾乳洞で有名な龍泉洞の岩泉町の海岸線の地籍の小本です。
ここから再び気動車に乗って宮古駅に。
ここでも「キットずっと東北プロジェクト」さくらのラッピングが施された36系気動車が待っていました。
「キットカット」さんの協賛です。
ここでも「キットずっと東北プロジェクト」さくらのラッピングが施された36系気動車が待っていました。
「キットカット」さんの協賛です。
もう夜です。ホントはここから宮古へ行く途中の田老の写真も撮ってもらいたかったのですがパスでした。
世界一の防潮堤(高さ10.5m。長さ2433m)といわれた田老の防潮堤・・・あの震災であっという間に破壊されて市街地は全壊、人口4430人のうち200人近くの死者行方不明者を出したといいます。
※縄文人さんから田野畑村で19年間を過ごした医師の話を紹介したコメントをいただきました。
↓クリック花鳥風月・・・気ままな写真日記 2007年6月12日のブログ
「無医村に花は微笑む」筆者との60年ぶりの手紙での再会
↓クリックAmazonから・・・本の情報。
将棋面誠著「無医村に花は微笑む」(ごま書房 2002年刊)
↓クリック2006年、テレビドラマ化しました。テレビデータベースからの情報。
フジテレビ金曜エンタテイメント「無医村に花は微笑む」・・・三浦友和、伊藤蘭・・・
テレビドラマは見た記憶があります。
三陸海岸の旅は続きます。
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