比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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世界遺産・・・越中五箇山…相倉合掌造り集落・・・黄金の稲穂と白い蕎麦の花

2014-09-25 | 道をゆく 越後・越中・加能・越前
9月15日、金沢から富山県に入り砺波平野(庄川扇状地)を西に向かい東海北陸自動車道の城端PAを過ぎ白山山系の北端の山なみの下、トンネルを抜ける五箇山(ごかやま)です。世界遺産「白川郷・五箇山の合掌造り集落」の谷、相倉(あいのくら)集落を尋ねました。標高約400m。

世界遺産といっても日常生活の場です。江戸時代は楮(和紙)、蚕、塩硝造りが主な生活の道。
集落内で水田耕作が始められたのは明治の中期の1888年ごろだそうです。

稲の天日乾燥・・・架懸け(はざかけ)。

旧五箇山街道(相倉往来、城端往来)の標識柱。

五箇山街道(城端往来)・・・越中城端と五箇山を結ぶ街道。現在は中部北陸自然歩道(約12㎞)、城端側の若杉集落跡(標高533m)~唐木峠(680m)~朴峠(850m)~鹿取峠(730m)~相倉(標高400m)に至る古の道。徒歩の道であり、人の背中、牛の背中による荷駄輸送の道でした。ところどころの石畳が残るそうです。浄土真宗中興の祖蓮如が1468年に北陸から白川郷を経由して京都に向った道。1887年(明治22年)に道谷新道開削、1927年にほぼ現在の304号線に、1935年井波~五箇山を結ぶ現在の国道156号線開通。1952年(昭和27年)城端~五箇山バス路線開通。1984年五箇山トンネル開通。塩硝街道という古道があるそうです。塩硝は火薬、加賀藩が五箇山の民に作らせた軍事品、その輸送路は秘められて謎だそうです。、

蕎麦の花盛り。蕎麦は米作が普及する前の貴重な穀類だったと思います。

蕎麦の花と合掌造りの家。

※世界遺産は非日常の世界ではありません。日本人の生きてきた道を考える場所です。
   ①ゴミは持ち込まない、捨てない(おいていってイイのは足跡だけ
   ②火気厳禁・・・合掌造りは木と萱と藁縄、すべて植物の自然素材でできています。
   ③自然を大切に・・・道端の花を勝手に採らない(トッてイイのは写真だけ)踏んづけない、畑や田圃や畦道の中に入らない。
   ④トイレは・・・駐車場にあります。
   ⑤世界遺産、史跡ですが日常の生活の場です。散策路以外の私有地に入らないで・・・どうしてもというときは了解を得ることです。
    住宅により、資料館、お休み処、お土産処などになっていますが、そうでない住宅もあります。むやみに戸を開けたりしないように。
    写真のように今は収穫の最盛期です。おジャマにならないように。でもアイコンタクトしたらスマイルで。必ずスマイルを返してくれます。
(パンフレットより)


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