比企の丘

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海老名香葉子さんの本「お咲ちゃん」を読んだ

2010-04-20 | 語るべき責任 満蒙開拓とは何だったのか
☆「満蒙開拓・大地の子・終わりなき旅」だけ見たいかたは・・・クリック

4月17日のブログで・・・戦災孤児海老名香葉子さんの本の話を書きました。これはその続きです。

1945年3月10日の東京大空襲で家族8人のうち6人を失った戦災孤児の香葉ちゃんは12歳から16歳、落語家の三遊亭金馬師匠の養女になるまで親戚・知人の家を転々とします。そのとき最後にお世話になったのが中野坂上の久伯母さん。お父さんの一番上のお姉さん。ご主人を若くして亡くし、長男が勤めていた当時の満州鞍山市に3人の子どもと渡満、そして敗戦、長男(岩太郎)、長女(お咲ちゃん)の遺骨を抱えて二人の子ども(明男、省吾)と引揚げてきます。

お咲ちゃん」(徳間書店1997年刊)
この本の話は・・・その久伯母さんの三男省吾さんと4泊5日の中国への旅に出かけるところからはじまります。
1991年、あの敗戦から46年目、香葉子さんは、小さいころよく遊んでくれた10歳上のキレイな従姉妹の「お咲ちゃん」の面影を求めて、その弟の省吾さんを誘い中国への旅を思い立ったのです。

旅の途中の苦しげな省吾さんの表情、3日目の夜、鞍山のホテルで香葉子さんは省吾さんから3時間半、ある真実を聞かされます。大好きだった「お咲ちゃん」の死についてです。
旧満州国鞍山市、満鉄の開発した八幡製鉄に次ぐ大製鉄工業都市。敗戦と同時にソ連軍が占領、ソ連兵の跳梁跋扈、何があったか・・・

病の床についた咲ちゃんは、やがてみんなに抱きかかえられて引揚げ船(氷川丸)に乗り・・・日本の陸地が見えるころ、
ありがとう・・・」という言葉を残して静かに息を引きとります。

中野坂上の伯母さんの家にお世話になっていたころいっしょに寝起きした省吾さん、そのご故三平師匠と仲人をしてあげた省吾さん、このことを口にしたのは事件から46年目の旅のときがはじめて。
お咲ちゃんの悲劇はわずかな時間に省吾さんといっしょに外出したとき起こりました。省吾さんの苦しくて、悲しくて、悔しい、負の記憶が口を閉ざさせたのでしょうか。小学生(3年生)のころですが満州にいた(侵略国家側にいた)というひけ目が口を閉ざさせたのでしょうか。いずれにしてもわたしには推し測ることはできません。

平和について考えるとき、65年前の「あの戦争はなんだったのか」・・・考えてみましょう。

※ソ連兵のことを書きましたが戦争ではこういうこと(加虐、被虐)は古今東西どの国でも起こり、今でもありうることです。

※コメント欄オープン。


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7 コメント

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読書 (pochiko)
2010-04-20 00:14:29
以前投稿された、「うしろの正面だあれ」や「半分のサツマイモ」。
一度読んでみたくなりました。
今回の「お咲ちゃん」も何れも戦争中による話で
今には感じられない人情味や切なさなどを感じます。
最近 ちょっと本ずいて、チョコチョコっと何かしら読んでいます。
ほとんどが単行本ですけど…ちょっと面白い本を見つけるのが
今のとこの楽しみでもあります(^_^)v
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きっと・・・・・・ (こきおばさん)
2010-04-20 06:13:43
読んでいて思わず涙があふれてきました。

戦争で いえ、いまも沖縄で、平和なこの時期でさえ起こりうることですが、特に戦争中には人間が人間でなくなりますね。お咲ちゃんはどんなに怖ろしく悲しい思いをしたことか・・・・・

省吾さんも、話すことが出来ないまま、自分を責め続けていたのでしょうね。香葉子さんが、受け止めてあげたことで、省吾さんは少しは気持ちが楽になったことだと思います。香葉子さんだから出来たことなのでしょう。

当時私の叔母は20歳、従姉は14歳でしたが、二人とも髪の毛を坊主に近く短くしていました。父は必死に家族を守り通してくれました。
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読書 (pochikoさんへ・・ヒキノ)
2010-04-20 11:00:02
私は3つの図書館のカードを持っていて自宅のPCで検索して蔵書しているところで借りています。また、なくても県内の蔵書している図書館から予約して取り寄せてくれます。便利になりましたね。どうしても手元に置きたい本だけはAmazonで中古本の安いのを買います。
今回の3冊の本、特に最後の本は泣けます。女性なら何が起こったかすぐわかる話です。
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泣きました (こきおばさんへ・・・ヒキノ)
2010-04-20 11:21:33
満州にいた方なら何が起こったかすぐわかるでしょうね。本文中にはとても書けないことでした。死因は民間の堕胎薬ではないかと思います。咲ちゃんもそのころ20歳くらい、髪を切って顔に墨を塗りオンドルの中に隠れていたようですがチョッとの油断でした。
こういう話はいっぱいあったでしょう。鞍山だけでなく特に辺境の地ではひどかったのではないでしょうか。

海老名さんがこの話を本にしたのは6年後です。。身内の悲しい話を世間にさらす・・・ずいぶん悩んだしょう。庶民の戦争犠牲者のために書かなければという使命感が書かせたと思います。
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読みました。 (こきおばさん)
2010-05-27 12:28:31
今、一気に読み終わり、まだ涙があふれています。
ヒキノ様に教えていただいたので、この本を読んでみようと思い立ったのですが・・・・・・涙が止まりません。今尚、戦場では起こりうることなのでしょうが・・・・・・もっと重い体験をした人も、それをあからさまに出来ぬまま亡くなっていった人も多いのでしょうね。

香葉子さんも活字にするまで、辛く苦しい長い時間を過ごしたのでしょうが、お咲ちゃんのためにも書いてあげたことは良い供養になったと思います。

このあと、「半分のサツマイモ」と「南京の真実」を続けて読むことにしています。3冊とも市立図書館から西公民館経由で取り寄せてもらいました。

まだあまりで歩けませんので、有効な時間が過ごせます。ヒキノ様のお陰です。有難うございます。
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ありがとうございます (こきおばさんへ・・・ヒキノ)
2010-05-28 08:58:34
ぜひ、《いけだねっと№2》で読後感想を書いてください。できれば私のブログもリンクしていただければと思います。
できれるだけ多くの人に戦争でこんな悲惨なことがあったと言うことを知ってもらいたいのです。
それが戦争で死んだ人のための供養になると思います。

「お咲ちゃん」に何があったか・・・なぜ死に至るほどの体になったか・・・女性ならすぐわかると思います。

あらためて、私のブログから平和を訴える本を読んでいただいたことお礼申し上げます。
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書かせていただきました。 (こきおばさん)
2010-06-01 05:00:25
「お咲ちゃん」私はとうとう内容はかくことが出来ませんでしたが、ヒキノ様のこのページを読んで頂くほうが良いと思いましたので、リンクさせていただきました。

平和ミュージアムで、この夏、戦争の記録集を出します。私の屈文の載りますので、いずれ紹介させていただきます。

もう、二度とこんな思いを誰もしてはいけないと強く思います。
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