わたしが旅したのではありません。彩風人の信濃の旅です。
・・・彩風人の写真帳・・・
(比企の丘からブログのギャラリー開放です)
5月15日、7年に一度(4月5日から5月31日まで)の善光寺の御開帳です。・・・彩風人の写真帳・・・
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駐車場は90分待ち、参道から境内まで人の群、「戒壇巡り」が90分待ち、本堂で「前立本尊」を拝観するには30分の行列。
7年に一度といいますが、御開帳の年を1年目に数えるので実際は次の御開帳は6年目になります・・・ヘンですね。
門前町から参道を進むと・・・仁王門・・・定額山の山号が。
1762年最初の建造、2度の消失で1918年再建。仁王像は高村光雲、米原雲海の作。
1750年建造の国重要文化財の山門(三門)、サワラの板葺屋根。
1707年再建の国宝・・・善光寺本堂・・・入母屋をT字型に組み合わせた憧木造りという構造。高さ27m、間口24m、奥行き53m、檜皮葺屋根。
1尺5寸の本尊・・・一光三尊阿弥陀如来像が安置されているが門外不出。
数えで七年に一度の御開帳には、金銅阿弥陀如来及両脇侍立像(前立本尊)が絶対秘仏のご本尊の代理として公開される。
本堂の前の回向柱は本堂で開帳されている阿弥陀如来像の代理の前立本尊像のそのまた代理で「善の綱」で結ばれている。
この回向柱に触れることでご本尊と結縁し来世の幸せが約束されるという。
1762年最初の建造、2度の消失で1918年再建。仁王像は高村光雲、米原雲海の作。
1750年建造の国重要文化財の山門(三門)、サワラの板葺屋根。
1707年再建の国宝・・・善光寺本堂・・・入母屋をT字型に組み合わせた憧木造りという構造。高さ27m、間口24m、奥行き53m、檜皮葺屋根。
1尺5寸の本尊・・・一光三尊阿弥陀如来像が安置されているが門外不出。
数えで七年に一度の御開帳には、金銅阿弥陀如来及両脇侍立像(前立本尊)が絶対秘仏のご本尊の代理として公開される。
本堂の前の回向柱は本堂で開帳されている阿弥陀如来像の代理の前立本尊像のそのまた代理で「善の綱」で結ばれている。
この回向柱に触れることでご本尊と結縁し来世の幸せが約束されるという。
※善光寺・・・644年創建、ご本尊の「一光三尊阿弥陀如来像」は552年インド、中国、百済経由で伝わったといわれ、ときは大和王朝時代、物部氏により難波の堀江に捨てられていたのを信濃国司の随行員として都に上っていた信濃国麻績郷(現飯田市座光寺)の本多善光なるものが拾い出し郷里に持ち帰り安置(飯田市元善光寺)。そのご上水内郡芋井郷(現長野市)に、642年現在の地に。本多善光の名を取って善光寺とした。
したがって飯田市の元善光寺が元祖、長野の善光寺は新社屋、全国に散らばる善光寺は分家ということになります。
※仏教が各宗派に分かれる前なのですべての宗派を受け入れている。
※回向柱・・・1707年の再建のとき松代藩が普請管理を行った関係で、回向柱は松代(現長野市)の大回向柱寄進建立会の寄進で、松代町を練り歩いたあと牛に牽かれて善光寺入りする。
御開帳は5月31日までです。
「遠くとも一度は詣れ善光寺」といわれましたが、いまは新幹線であっという間です。。いかがですか。
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