比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
写真、文章のリンク自由。

2017年暮れ・・・世界遺産「日光の社寺」・・・輪王寺大猷院(だいゆういん)を尋ねた

2017-12-25 | 道をゆく 関東
2017年12月・・・平成の大修復の進む日光東照宮を参拝。
東照宮二荒神社(ふたらじんじゃ)と三位一体となって神仏集合の「日光山」を形成した「天台宗日光山輪王寺」を続けて参拝。
雨が強くなってきました。急ぎ足で徳川家光の廟所輪王寺大猷院(だいゆういん)をまわります。
雨のせいか暗くせっかくの金箔の建物が写真に上手く写りません。

・・・彩風人の写真帳・・・

仁王門・・・国の重要文化財。この門の左に輪王寺再興の祖、天海僧正の廟所(慈眼堂)、墓所の五輪塔が。

夜叉門・・・国の重要文化財。

輪王寺 大猷院廟拝殿の前の唐門・・・国の重要文化財。

大猷院廟本殿、相の間。拝殿・・・国宝、たくさんの金彩が使われてて金閣殿と呼ばれています。

皇嘉門・・・国の重要文化財、德川家光の奥院(御墓所)に入る門、平安京御所の門の名から、中国明朝時代の建築様式。
※撮影は20167年12月8日。
輪王寺・・・奈良時代の天平神護2年(766年)、下野国の僧、勝道上人が大谷川を神橋(山管蛇橋)で渡って創建、紫雲寺立寺と名付けたという。のちに四本龍寺。767年男体山の神を祀り二荒神社を創建。中世鎌倉幕府の庇護を受け栄える。德川家康のブレーン天海僧正が貫主になり再興、1617年東照宮を建立して家康の廟所に、1655年天皇家より輪王寺の称号を受ける。明治維新までは東照宮、輪王寺、二荒神社、2社1寺、三位一体の神仏集合体であったが明治維新のあと、政府の神仏分離令により分離。1869年輪王寺の寺号も取り上げられたが1883年輪王寺に戻った。薩長政府の德川憎しであったのか。

※コメント欄開いています。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿