比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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今日は何の日・・・61年前の8月6日・・・ヒロシマに原爆落下の日

2006-08-06 | 語り継ぐ責任 沖縄のこと
今日は広島原爆落下の日。
数年前のある日、沖縄の南部戦跡「摩文仁の丘」を訪ねました。入り口で花を買い丘の上を目指し『信濃の塔』に辿りつき献花しました。
   
・・・黙祷・・・

ほんとうは47都道府県すべての塔に献花しなければいけないのでしょうが、私のふるさと信濃の国の碑だけで、あとは気持ちだけで・・。

この丘に立つと1945年当事、小学3年生だった私ですが、太平洋の島々やこの沖縄や広島,長崎、中国各地で亡くなった人々に何を語りかけていいのか絶句します。どこかの国のエラい人のようにとてもコメントできません。
小学生当事、日の丸に見送られた人が、しばらくして白木の箱に入って若奥さんの胸に抱かれて小学校を訪れたのを覚えています。白木の中の人は何を語りたかったでしょうか。私たち小学生は「海ゆかば」の歌を捧げました。「ゆく」は「行く」なのでしょうか、それとも「逝く」なのでしょうか。
   ・・・鎮魂・・・

それにしても長野県だけはなぜ『信濃の塔』なのでしょうか。これについて語れば1冊の本になってしまいますので省略しますが、ある人などは自著のプロフィールの中でも「信州に生まれる」とだけ記しています。長野県出身て書きたくないのでしょう。なにしろ11もの藩があり,そのほかに天領,寺社領、他国の大名の飛び地、旗本知行地入り乱れて、4っつの平の国ですから。「長野県」か「信濃の国」かの話はもう100年も論争されています。このことについての本がありました。『不思議の国の信州人』(丸山一昭、岩中祥史共著、KKベストセラーズ)。
私的には伊那の谷の方の出身なので「長野」ってあんまりねえ。

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1 コメント

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信濃の国は (タンポポモドキ)
2006-08-07 06:21:32
就職したての配属職場には複数の長野出身者がいました。

呑み会のたびに必ず県の歌を聞かされていました。もちろんのことカラオケなるものはありませんでした。アカペラついでに茶碗を箸でという雰囲気です。

これを歌うときは意気投合しかも延々5・6番まで聞かされてしまいました。

地元の話になると喧々囂々、出身地方が違いお互いにケナシアウ。

長野県人への印象です。

前の沖縄での画像、今回の描かれた中の後姿そっくりでした。
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