比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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狭山丘陵の谷戸を歩く・・・野山北・六道山公園

2011-01-15 | 道をゆく 東京散歩
1月12日、狭山丘陵の西の端、東京都立野山北・六道山公園を散歩しました。
地域は埼玉県の西の端の入間市、所沢市に接し、東京都の武蔵村山市、瑞穂町にまたがる広大な丘陵自然公園です。

野山北公園の管理所の赤坂駐車場に車を置いて野山北・六道山インフォメーション・センターで地図をもらって出発。尾根づたいのアップダウンのない散歩道です。北側が高い鉄網フェンスで囲われているのは東京都の水がめ村山貯水池・山口貯水池の保護林を守るためです。
ランニングの人、サイクリングの人、遠くから来たというおばあちゃん、熟年夫妻など、ときどき人に逢うていどでした。


落葉樹の重なる快適な散歩道と思って歩いていましたが最後に見なければいいものを見ました。もう7~8年になるそうです。こういうことをやってはいけないというサンプルでしょうか。片付けるのは簡単のようですが・・・あえて醜いものを置いているのかな。


六道山公園・瑞穂町立文化の森にある展望台・・・ここは標高205m・・・「馬鹿と煙は高いところが好き・・・」で登ってみました。あいにく富士山は霞んでいましたが東京スカイツリーが棒のように見えました。


宮野入谷戸から岸たんぼへ。
谷戸・・・地方によって谷地、谷内、谷津、谷戸、谷那など・・・丘陵地の小さな谷の集水域、湿地をいうようです。ここ武州西部(多摩地区)では谷戸といったようです。
谷戸は最初は湿地・・・小さな沼に・・・小さな田んぼから谷が開けていくにしたがい大きな田んぼになって行きます。


この丘陵は尾根から谷戸が何本も南に向って落ち込んでいます。谷戸の終点は農家です。

古民家・・・説明板に・・・江戸中後期の名主格の家。この地域の農家の家を図面取りして復元したとあります。古いものではなく新築ですね。間口10間,奥行き5間くらいか。大戸があって潜り戸があって、通し土間に竈、流し、厩が2つ。上がり端からお勝手、囲炉裏のあるデイ(居間)、座敷と奥の間。互い違い4間造り(田の字構造)、2LKです。座敷にはちょうど小正月、繭玉が飾ってありました。50坪くらいですが、むかしの家は半分が土間です。居室が狭いように感じます。茅葺入母屋、2階があるようで物置、隠し部屋、養蚕などに使われたのでしょうか。門は冠木門に屋根をつけた腕木門。


ここの古民家は誰でも自由に出入りできるように開放されています。囲炉裏にチロチロ薪が燃えています。土間に入って大戸の構造や上を見上げて梁や竹材も使った天井を眺めるのもいいものです。写真もいっぱい撮りましたがここでは省略します。管理する人がいていろいろ説明してくれました。新潟から来たという研修生のお嬢さんもにこやかに挨拶してくれました。

赤坂谷戸・・・出発地点の駐車場に戻りました。ここまで15000歩、3時間。


たいへん壮大な公園ですが周遊コースが住宅街に出てしまうところと案内板のわかりにくさが欠点のようです。

狭山・・・とは今では市の名前になっていますが武蔵の国の西のほうの入間川、多摩川の水系の間の台地をいうようです。埼玉県入間市、所沢市、東京都武蔵村山市、東大和市、東村山市、瑞穂町にかかっています。狭い山という意味ではなく小さな山(丘)の塊をいったのでしょう。小夜(さよ)、小霧(さぎり)、小乙女(さおとめ)とかいう小(さ)です。
狭山丘陵として形をとどめているのは東西11km、南北4km、Yahoo地図の空中写真で見ると緑の部分が見えます。東京都の水がめ多摩湖、狭山湖をを守るため開発を免れた貴重な緑地です(中に西武鉄道系の大公園がありますがこのことも結果的に緑地を守った要因になっています)。
狭山茶というブランド茶が有名でこの範囲はもっと広く東京多摩地区から埼玉県入間・比企の地区から採れるお茶をいいます。水田が出来ない丘陵地だからお茶を作ったのでしょう。「色の静岡、香りの宇治、味は狭山」なんて勝手なCMが江戸時代にあったそうです。

バードウォッチングも兼ねて、双眼鏡、コンデジを持参。最初にジョウビタキの♀を確認、宮野入谷戸でアオジを確認、岸たんぼの横の林でゲラのドラミング確認、赤坂谷戸でカケス確認。いずれも写真を撮れるような状態ではなかった。三脚を担いだ鳥撮りさんは1人だけ。


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